ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「ウクライナのハチ公」から一週間

 ちょうど1週間前、ロシア兵に殺された飼い主を玄関で待ち続けている秋田犬がいることを知りました。犬の名前は本当はリニというそうですが、「ウクライナのハチ公」の名で呼ばれ、写真や動画が拡散しました。3日後、新しい引き取り手が見つかったそうです。「朗報」という見出しには、何か釈然とせず、もやもやした気持ちが残りました(ずっと待っている「主人」は帰って来ないのですから)。それはともかく、当然のことながら、5日後の今、小生もふくめ、多くの日本の人は「ウクライナのハチ公」のことは忘れています。大谷選手がメジャーリーグで打ちまくり、佐々木選手が再度完全試合一歩手前の快投を演じれば、大概の人はそちらに眼が向きます。それはやむをえないことだと思います。
「ウクライナのハチ公」の悲痛な姿。殺害された飼い主を1カ月待ち続ける【画像・動画】 | ハフポスト WORLD
「ウクライナのハチ公」に朗報。新しい飼い主に引き取られる | ハフポスト WORLD

 昨日、モンズルル・ハックさんの書いた難民問題のコラムを読みました。難民の選別をしていないかと問うこの記事、ずっしり重く感じられました。引用をお許しください。日本語訳は金子淳さんによります。

私が思う日本:外国メディア特派員が見たウクライナ問題とコロナ モンズルル・ハック記者、符祝慧記者 | 毎日新聞

どこに行っていたんだ、青い目の息子よ――。
 これは、ボブ・ディランさんの有名な楽曲のひとつ、「はげしい雨が降る」(1963年)の歌い出しである。「青い目の息子」。この表現は、別に間違っているわけではない。だが、文脈によっては、政治的に正しいかどうかが問題になることもある。例えば、同じように安住の地を求めている難民がいる中で、人々が黒い瞳の浅黒い顔をした子供たちよりも、青い瞳を持つ子供たちのために、より多くの涙を流しているのだとすれば。
 ウクライナでは、強力なロシア軍を前に、何百万人もの人が愛する故郷から逃れざるを得なかった。難民たちの苦しみを伝えるニュースも多い。国境を越え、初対面の人たちに温かくハグされる人々の映像は毎日のように流れてくる。長旅を続けてきた難民たちのために、地元の村人がつましい民家に迎え入れているという心温まる話もあり、私たちは涙を流すことを禁じ得ない。

 しかし、今の難民危機には、もう一つの側面もある。それはひどく不快で残念なものだ。
 難民危機は別段、新しい問題ではない。故郷から逃れなければならない人たちは太古の昔からいて、今この世界でも、彼らの惨状は目新しいわけではない。いつか先祖が生まれた場所に戻れるだろうという希望とともに、故郷の家の鍵を何世代も引き継いでいるという話だって、枚挙にいとまがないほどだ。
 しかし、こうした夢はたいてい、かなうことはない。多くの場合、新たな支配者はドアを固く閉ざしており、さび付いた鍵を持つ人たちは、先祖が住んでいた土地を一目見ることすらかなわない。このような話は、場所や文脈を変えながら何度も繰り返されてきた。だが、名も知らぬ難民の苦しみに対し、人々は同じように悲しみ、暗い気持ちで涙を流してきただろうか。

 ウクライナ難民を巡る報道は、人種の問題を抱えた一方的なものであると感じる。もっと広く世界を見れば、民族や宗教、人種によって難民となった人たちは無数にいる。今も世界には、国内避難民も含めると、およそ8400万人もの難民がいると言われている。そのうえ、もっといい暮らしをしたいと夢見て、命がけで他国に向かう人たちもいる。悲しいことに、大きな災難でもない限り、こうした人たちの窮状が報じられる機会は少ない。
 それに戦火から逃れた人たちの中でも、出国先あるいは難民同士で差別があるという報道がある。ウクライナ各地で学んでいたアジアやアフリカ出身の留学生の中には、避難場所に入れてもらえなかった人がいるという。列車やバスはウクライナ出身者が優先され、乗せてもらえなかった人もいたとの報道も目にした。彼らの多くは何キロも歩いて国境までたどりついたが、そこでも多くの困難に直面したのである。
 こうした差別は、一部の人による特異なものだとして片付けてはならない。残念ながら国家レベルでも、誰を正式に難民として受け入れるか、選別が行われているのだ。悲しいことに日本もこうした国の一つであると言える。

 日本は一般的に難民に優しい国とは言えないが、それでもいち早くウクライナ難民の受け入れを表明し、寛容さを世界に示した。政府は、日本国内に親族などがいなくてもロシアの侵攻から逃れたウクライナ人を受け入れる方向で調整していると発表した。そしてすでに数十人のウクライナ人を受け入れている。
 だが、実は日本からそう遠くない場所でも、終わりの見えない難民危機が続いており、多くの人が苦しんでいる。その難民たちは、ウクライナの人たち以上に無慈悲で残酷な仕打ちを受け、故郷を追われた。
 バングラデシュに逃れたミャンマーの少数派イスラム教徒「ロヒンギャ」の難民たちだ。最初に彼らを迫害したのは、世界から「民主的だ」と称賛された政権だった。その後は、残忍な弾圧をする軍事政権に代わった。
 約100万人のロヒンギャたちは2017年8月ごろから、バングラ南東部コックスバザールの粗末な難民キャンプに住んでいる。日本やほかの先進国が、あの極貧の生活を送るロヒンギャを受け入れたという話はあまり聞いたことがない。ロヒンギャは無論、ブロンドで青い目の難民ではない。彼らの多くは背が低く、日に焼けており、みすぼらしい服を着ている。ロヒンギャの人々が何年もの間、ずっと厳しい災難に直面しているにもかかわらず、その窮状に目を潤ませる人は少ない。ロヒンギャは大国のパワーゲームのコマでもない。彼らは国際社会の注目を浴びないまま、ただ、逃れた先でやつれていくばかりである。

 もちろん、私の心は苦しんでいるすべての人たちとともにある。私もかつて似たような騒乱の中、安全を求めて逃げ出した人々を目の当たりにしたことがあるからだ。難民の人々が求めているのは、差し迫った危険から守ってくれる避難場所だ。安全な生活への扉は、肌や目、髪の色にかかわらず、あらゆる人に対して、いつだって開かれていなければならない。どんな差別もあってはならないのだ。そうでなければ、状況はいっそう悲劇的なものになってしまう。そう、例えばシリア人の子供たちのように。きっと彼らは天国で、この不公平な世界を作った神に、何が起きたのかを伝えていることだろう。

 あなたは誰のためにどのくらい、涙を流しているだろうか。私たちは無意識のうちに、選別してはいないだろうか。

 難民の「選別」については人権NGOヒューマン・ライツ・ウォッチ」の笠井哲平さんの連投Tweetもあります。17日日曜に放送されたというNHKスペシャル「忘れられゆく戦場~ミャンマー 泥沼の内戦~」は見ていないのですが、笠井さんは、

ミャンマーで起きている現状を知る」という点では優れていますが、同時に「私たちを代表する日本政府がミャンマーの人々のために何をしているか、あるいは何をしていないのか」については全く触れませんでした。
https://twitter.com/TeppeiKasai/status/1515862586998521856

と書いています。

 毎日ニュースが大量生産・大量消費(浪費)されるなか、ハックさんや笠井さんたちのこうした指摘は貴重です。
「ハチ公」はウクライナだけでなく、おそらくはシリアにも、ミャンマーにも、そして、クルド……その他の地にも、いたはずです。なぜ、「ハチ公」にされて主人の帰りを待つことになったのか。主人はどうなってしまったのか……。こうした想像力は忘れないようにしたいと改めて思います。




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