片山ふえさんの『オリガと巨匠たち――私のウクライナ紀行』(未知谷 2010年)を読みました。副題にあるとおり、片山さんの西ウクライナの旅日記なのですが、案内人のオリガ・ペトローワさんをはじめ道中で出会うウクライナの人々の人生と時々の風景がみずみずしく重なり、まるで一緒に旅をしているような感覚に何度もとらわれました。合間にウクライナと土地の歴史などが語られているのも親切でしたが、18世紀のリヴィウで制作活動をしていた彫刻家ピンゼル、その後忘れられた彼の作品の収集に精力的に取り組んだヴォズニツキ氏のことなど、初めて知りました(1917年ロシア二月革命を、「いわゆる『メンシェビキ革命』」と記述したのはいただけません)。
ウクライナ・バロックとピンゼル報告
ヴォズニツキ氏の言葉――…目的が正しく、個人の利害を超越したものなら、必ず助けてくれる人が現れる、このことを私は経験から確信しています。(230頁)
オリガさんの言葉――ウクライナではね、「ここにいない人のために」って乾杯する習慣があるのよ。(281頁)
短いけれども、非常に印象的です。
もし、今の事態が起こらなければ、素晴らしい旅のエッセイとして読めたと思います。しかし、もうそういうわけにはいきません。全体を通じて、西ウクライナの人々の民族意識、愛郷心の強さを随所に感じてしまいます。何度も何度も戦乱の舞台にされ、統治国(主君)もめまぐるしく替わった当地の歴史と人々の苦難を知れば知るほど、これらが人々の絆を深めることにつながっただろうと想像します。しかし、こうした強い民族意識や愛郷心は、美談だけでは語れないところがあります。片山さんもぽつりと、こう書いています。あるレストランで――
オリガがメニューを見ながらクスクス笑っている。お料理の一皿ごとにそれらしい名前と説明がリヴィウ方言でついているらしい。曰く、<ツポレフ(ソ連の戦闘機?)は飛ぶ>(これは鶏の手羽焼き)、<カルパチアの植民地化>(これは赤いトマト)、<激しい戦闘>(こんがりやけた豚肉)などなど。キワドイ意味のものもあるみたいで、ひとつひとつが手のこんだ言葉遊びなのだそうだ。…
もちろん、これがすべて一種の冗談であることはわかる。レストランの主人は「民族主義を鼓舞しよう」と思ってこの店を始めたわけではないだろう。リヴィウの人々が思い歴史の中で育んだ愛国精神(パルチザン精神)に訴えつつ、遊び心をうまくからめて、芝居っ気たっぷりの演出で話題性を狙った、これはそんなやり手の商売人なのだろう。…
だが、この愉快な<民族主義ごっこ>も、何かコトがあればたちまちその陽気な仮面を脱ぎ捨てるのだろう。そうすれば、その下には険しい素顔の民族主義が本物の小銃を構えているに違いない……そんな思いが頭に浮かんで、私は素直に笑えないものを感じていた。
世界のあちこちでいまだに続く民族紛争で多くの血が流れている。血が血を呼ぶ不毛な争いを、平和な日本にいて「愚かなこと」と断じるのは簡単だが、ウクライナに来て、その抑圧された歴史を知り、独立を悲願としてきた人たちの話を聞くと、愛する者を守るために侵略者たちを排斥しようとテロに走ったパルチザンたちを「愚かだ」とは、とても言えない。だからといって、暴力は断じて認められるべきではない。暴力は暴力しか生まないのだから!……でも、私がそう言えるのは、他民族に抑圧されたことがないからで、飽食した者が飢えた者に清貧の大切さを説くようなものなのかしら……
(212-213頁)
12年前に現下のロシアのウクライナ侵攻など、とても予想できなかったと思いますが、対立感情につきまとう危うさはずっと続いてきたのだと思います。
『ウクライナを知るための65章』(明石書店 2018年)で服部倫卓氏はこう書いています。
……文明的だったはずの離婚から四半世紀を経て、今さらながら泥沼の離婚檄の様相を呈しているのが、今日のウクライナ・ロシア関係である。現下ウクライナの反ロシア的な政策路線は、ロシア側の措置への対抗策である場合もあるし、ウクライナの安全保障上やむを得ない場合もあるだろう。しかし、ウクライナの右翼的な勢力がスタンドプレーとして反ロシア政策を掲げ、政権もその風潮に乗って大衆迎合的にそれを取り入れている傾向も目に付く。経済難や貧困から国民の目を逸らすために反ロシア政策を採り、それがロシアとの関係を悪化させ、それによってさらにウクライナの経済難と貧困が深刻化するという悪循環が見られる。ウクライナとロシアの対立のエスカレートで、より深く傷付くのは、体力の弱いウクライナ側であり、この不毛なループに一日も早く終止符を打つべきであろう。(365頁)
ウクライナ側の問題点の検証も必要でしょう。しかし、それは戦争を止めたあとの話だと思い直します。
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