ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

O.ホメンコ『ウクライナから愛をこめて』

 著者のオリガ・ホメンコさん東京大学の大学院に留学したことがあり、現在はキエフの大学で日本の歴史を教える親日家で、作家、ジャーナリスト、翻訳家だそうです。本書はウクライナ人の著者が日本語で書いたエッセイ集ですが、その温かな視線によって綴られる親族や縁者などの人物評、建物や景観などの紹介は、どれも柔らかく、情愛に溢れています。その一節、「散歩で感じるキエフの歴史」を読んでいたら、何やら無性にキエフに行きたくなりました。以下に一部を引用してみます。

 ウクライナキエフに初めて来た人とは、いつも決まったコースを散歩することにしています。そのコースで見る名所旧跡はキエフのほんの一部分に過ぎないけれど、それは千五百年以上の歴史のある街の概観を自分の目と足で理解する散歩になります。
 キエフの中心部に大きな公園があります。シェフチェンコ公園。ここからキエフの下町と触れ合う散歩を始めるのがわたしのお奨め。…以前、アメリカの人たちとこの公園を散歩したとき、「ウクライナ人はほんとにサッカー好きですね。首都の大きな公園の名前にサッカー選手の名前をつけるなんて」と言いました。それを聞いて私は大笑いしました。ウクライナには「シェフチェンコ」という有名な人物は二人います。一人は有名なサッカー選手のアンドリイ・シェフチェンコですが、十九世紀の帝政ロシア時代にはウクライナの独立を語り、国民的英雄にもなり、最高額のお札百グリブナに顔が印刷されているタラス・シェフチェンコという偉大な人物がいました。公園の名前になっているのはこちらのシェフチェンコなのです。
 シェフチェンコ公園の隣に赤い色の建物が見えます。それが国立キエフ大学です。…キエフ大学の西に…シェフチェンコ大通りが延びています。…シェフチェンコ大通りにはポプラの木がたくさんあって
(19世紀にロシア皇帝ニコライ1世の好みに合わせ、最初はマロニエが植えられましたが、皇帝来訪の直前に実はポプラが好きだということがわかって急遽植え替えられたものだそうです)、少し横道に入るとあちこちにマロニエの木があるのです。たくさんあるマロニエの木はキエフを象徴する花になりました。五月初旬にマロニエの花が咲くと、キエフは甘くロマンチックな香りに包まれます。マロニエの花が咲く季節がキエフの観光シーズンにもなっています。そして二か月遅れで六月にポプラの綿毛が教会の金色に輝く丸屋根の上の青空に向かって遠く飛んできます。その光景は切ないほど美しい。この歴史的事件とも言える樹木の選択間違いが、現在のキエフ観光に及ぼす効果を誰が予測したでしょうか。
(同書、43-47頁)

 キエフの街の魅力を伝える文はまだまだ続くのですが、46頁に著者のデッサンがあるので、以下に貼り付けておきます。
 街の様子を眺められるレストランで、ロシア語講座でよく耳にしたキエフ風カツレツでも注文できたらいいなあと思いました。でも、ロシア語ではなくウクライナ語で注文しないといけませんが…(「キエフ風」というのも余計かも?)。

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キエフの通りと建物(著者画)

 今ウクライナは非常事態にあります。外交上だけでなく、国内でも、これまで親ロシア派との対抗や駆け引きがずっと続いてきました。
 著者のホメンコさんもそうですが、ウクライナの人びとの祖国愛にはひときわ深いものを感じます。それは家族や友人を大切にしようとする素朴な気持ちの延長上にあるもので、自分たちは他国より優秀だとか、劣っているだとか、といった優越心や差別感情、敵愾心などとは本来的に無縁なもののように思えます。しかし、ロシアといつ交戦してもおかしくないと言われる状況になって、素朴な祖国愛は敵対的なナショナリズム感情に転化しているように見えます。これも、ジョージ・オーウェルが「右であれ左であれ、わが祖国」で書いていた「自分は心の底では愛国者」であるという感情の自然な発露なのでしょうか。

 ウクライナ危機を戦争に発展させるようなことがあってはなりません、絶対に。プーチン大統領はもちろん、ウクライナ国内の親ロシア派と呼ばれる人たちにも、そして、ロシア国民にも、何としても自制を求めたいです。

群像社刊、2014年1月、117頁)




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