ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「テレビで会えない芸人」松元ヒロさん

 「テレビで会えない芸人」(四元良隆、牧祐樹監督)というドキュメンタリー映画が先月末から東京(ポレポレ東中野)ほかで公開されていることを知りました。
テレビで会えない芸人 : 作品情報 - 映画.com

 これには立憲・小川淳也さんのドキュメンタリー映画Netflixのドラマ「新聞記者」が世間ウケするのと同じものを感じました。現在の地上波のテレビ局は概して「パンとサーカス」に夢中で、立ち止まって世の中の景色を眺めたり、真相と向き合うことを周到に避けてきました。けれども、見る側はテレビに必ずしも「パンとサーカス」だけを望んでいるわけではありません。人が笑いや喜びや…、総じて心を惹かれるものは他にもあるでしょう。単にテレビに出さない、見るな、と言われるものを見たくなるという話ではないと思います。映画にかかわった鹿児島テレビ放送と制作スタッフのみなさんを労いたいです。
1/14公開 映画『テレビで会えない芸人』作品の魅力とは!? - YouTube

 以下にこの映画と松元ヒロさんを紹介した新聞記事を2つ引用させてください。

 まず、松元さんと制作者側の思いについて、1月27日付毎日新聞の記事より。

「自主規制で萎縮」“テレビで会えない芸人”から見える業界の裏側 | 毎日新聞

 権力には舌鋒(ぜっぽう)鋭く、弱者には優しいまなざしを注ぐ孤高の芸人、松元ヒロさん(69)。権力を握る政治家らを風刺する芸風から20年以上、テレビにはほとんど出演せず、全国各地の舞台で話芸を披露してきた。そんな「テレビで会えない」松元さんに、皮肉にも地方のテレビ局が密着し、ドキュメンタリーを作った。「こんなに面白いのに、なぜ松元さんはテレビに出られないのか」という疑問と向き合うために。撮影を通じて、見えてきたものは何なのか。…

 「安倍(晋三元)総理が何って言ったか知っていますか。『私は国家ですから』って言ったんですよ。コカインよりも危ないですよね」
 舞台上できわどいギャグを飛ばし、観客の笑いを誘う松元さんの姿。続いて、「松元ヒロは、なぜ『テレビで会えないのか』」という問いがテロップで表示され、制作したテレビ局幹部の回答がナレーションで流れる。
「どちらかというと今のテレビは気楽に見れるものの方が好まれるのかな」
「きわどいネタを扱っているからじゃないか。社会の空気なんですかね」
「何かしらクレームなりトラブルはあるのかな。なるべく予防は張っておきたいという……」。
 歯切れの悪い物言いは、「自主規制」するテレビ業界の現状を象徴しているかのようだ。

……<中略>

「カメラ向けられているのは自分たち」
 …テレビに見切りをつけていた松元さんは2019年、故郷・鹿児島でのライブ後の打ち上げで鹿児島テレビ放送のプロデューサー(現制作部長)を務める四元さんと出会う。「テレビ局の人には面白いけれど出せないっていつも言われるんだ」と冗談めかしてこぼすと、四元さんから「ドキュメンタリーで撮影させてもらえませんか」と頼まれたという。こうして「テレビで会えない芸人」の制作が始まった。
 「昔は面白いことを映すのがテレビでした。今は面白いと認識しているのに堂々とそれをテレビが描けませんと言う時代って何なのでしょうか。テレビ側にいる人間として、松元さんに直接言われて、殴られたような衝撃がありました」。四元さんは当時をこう振り返る。
 19年3月からスタートした撮影では、松元さんが稽古(けいこ)場と自宅を行き来しながら、ネタ作りに苦悩する姿をとらえた。「人間性の否定はしたくない。でも権力者が弱者を笑うなら、弱者の立場からその人を笑いたい」と松元さんらしいこだわりや人生哲学が随所に表れる。長年連れ添う妻に頭の上がらない素顔や約50年ぶりに故郷で恩師と再会する場面も収めた。

 撮影中、四元さんは気づいたことがある。「松元さんにカメラを向けているはずなのに、だんだんそれが自分たちに向いてくるんです。今のテレビって大丈夫なんですか、本当にテレビで出せないような芸なのか、出せないと判断しているのは誰なのか、と。結局問われているのは自分たちなんですよね」
 四元さん自身、「時代とともにテレビが萎縮している」と感じ、葛藤してきた。特にニュース番組の担当デスクだった時には、取材対象者の「顔出し」にこだわり、首から下だけを映すインタビューを原則禁止した。「昔はリアリティーを求めて一つ一つこだわっていたのに、安易にあきらめて、撮れるものだけ撮ってくるという雰囲気になっていたんです。そこで本当にいいのかと悩み、あえて取材のハードルが高くなるルールを設けたんです」。この姿勢や問題意識が今回のドキュメンタリー制作にも生きた。「ちゃんと取材して、思いを伝えることは大変なことです。それで楽な方にいこうとしたことが自分たちの言論と表現の自由を狭めた原因ではないでしょうか」

 番組はきわどい風刺ネタもあったが、編集で削除せず、尺の違いはあれどテレビも映画も同じ基準で考えた。局内で心配する声もごく少数あったが、企画の意図をきちんと説明したことで理解を得て放送できた。番組は日本民間放送連盟賞最優秀賞を受賞するなど高く評価された。鹿児島では昨秋、ゴールデンタイムに再放送したが放映後に視聴者からの抗議はなく、むしろ再放送を求める声が相次いだという。「政治風刺だから、とりあえず扱うのはやめようと自主規制するのが今のメディア。けれど、視聴者の方がはるかに理解していて、視聴者を信じて番組を作りなさいと教えられたような気がします」。さらに四元さんはこう力を込める。「この社会の不寛容さを解決するのは、相手を受け入れる優しさだと思います。それが圧倒的に足りない。そこを松元さんに突きつけられた気がします。『君らテレビは優しいのかい』って」。もう1人の監督を務めたディレクターの牧さんは、取材を通じて松元さんの表現者としての熱量に圧倒されたという。「自分がテレビマンとして松元さんのように思いを込めて発信できているのか。そこに問題意識を持たないといけないと感じました」

「テレビも捨てたものじゃない」
 再び松元さん。撮影を通じ、意外にも、絶望していたテレビ業界の底力を感じたという。「よくぞテレビでこれを流したし、テレビ業界もこの番組に賞を与えましたよね。まだまだ日本のテレビも捨てたものじゃないと思いました」
 四元さんから、編集中に若いスタッフから「なぜ松元さんのネタがテレビで流せないのか」と疑問をぶつけられたことがあったと聞き、うれしくなった。「純粋な疑問で、これこそが一番大事、テレビの原点です。年を取ると、こちらもテレビでこれは難しいなとか決めつけてしまう。でもそれでは駄目。笑いってのはこんなものだと決めつけたり、空気を読んで世の中に迎合してしまったりする。そうならないように自分も気をつけないといけない」
 最後に笑顔を交えてこう語った。「テレビは社会の空気を映します。日本のテレビも社会問題や政治、何でも笑いにできるのが理想です。時代とともに表現の自由は狭まっていると感じますが、今回この番組、映画ができました。もしかしたらこれでほんの少しだけれど表現の自由が広がり、見た人がさらに自由な発想を持ってくれるかもしれません。世の中が少しでも自由に笑い合って暮らせる、そんな社会につながってほしいです」

<以下略>


 1月31日付朝日新聞の記事は、テレビ局内の「空気」について伝えています。これも引用させてください。

松元ヒロ、村本大輔、放送禁止歌…彼らをテレビから消したものの正体:朝日新聞デジタル

 松元は、かつてテレビで人気を博した芸人である。
 社会風刺コント集団「ザ・ニュースペーパー」では多数の番組にも出演していたが、一人で活動するピン芸人になった1990年代末にその姿が見られなくなった、と映画は伝える。一方で現在、年に120本ある独演会ライブは満席続きだという。この映画は、なぜテレビが人気者を手放したのかを考察し、自己批評するドキュメンタリーとなっている。

「放送できない」人気芸人
 松元にカメラを向ける最初のきっかけは、周囲に「テレビではできないネタばかりやる芸人がいる」と言われたことだった、と鹿児島テレビの四元良隆監督は振り返る。それから15年後。鹿児島で開かれた公演の打ち上げで松元と初対面した際に「テレビ局の人には出せないと言われるんです」と聞かされた。
 四元はそれらの言葉に刺激され、制作を決意したという。そもそも松元は、ライブのチケットが入手困難と言われる人気者だ。
 「普通は話題の人や場所にカメラを向けるテレビ自身が『出せない』と言ってしまうものは何なのか。そこにチャレンジしたい気持ちがあった」
 一方で四元の後輩で、共同監督に誘われた牧祐樹は「ハレーションがあるのではとの躊躇(ちゅうちょ)もあった」と制作当初の戸惑いを明かす。
 それもそのはず、松元のネタは苛烈(かれつ)をきわめる。時の政権に手厳しく、原発憲法といった世論を二分する問題もお構いなし。「テレビに出ない人を、不要なバッシングにさらすのではないかとの心配があった」と言う。

クレームに先回りするクセ
 撮影は順調に進むも、仕上げの段階で局内からは「大丈夫か」という声もあったらしい。ただ、2019年7月に放送すると話題になり、翌年には長尺版を再放送することに。FNS系列のドキュメンタリー大賞を得たことで、関東ローカルでも流れた。これまで、一つのクレームも来ていない、という。
 四元が入局したのは94年。当時の制作の基準は「面白いかどうか」だったのに、現在は「大丈夫か、抗議が来ないか、という言葉が先に出る」と苦笑する。かたや07年に業界に入った牧は、リスクに備えて「許可を得て撮影しています」といった注意書きのスーパーを入れるなど、先回りしてクレームに備えるクセがあるという。
 牧は言う。「結局、ヒロさんみたいな芸人が見られないのは、自分たちで表現を萎縮させ、何となくの空気で自主規制をしてしまっているせいなんです」

 そのえたいの知れぬ「何となくの空気」がテレビ界に漂っていることは、BS12で昨年3月に放送された「村本大輔はなぜテレビから消えたのか?」(演出:日向史有)でもテーマの一つになっていた。松元と同じく政治や社会問題を笑いに変える人気芸人・村本大輔を追ったドキュメンタリーだ。
 その中で、登場したテレビ制作会社のプロデューサーは、「テレビで出していいものの線引きとは」と聞かれ、こう答える。「あるようで、ないようで、あるようで……」。そんなあいまいな基準でテレビから煙たがられるようになったという村本は、ピーク時の16年に約250本あったテレビ出演が、20年には1本まで減少したという。
 今の主戦場は、松元と同じく舞台に移っている。

空気を読み、牙を抜かれて……
 「テレビは以前から反応を過剰に気にする存在だった。特にスポンサーにクレームをつけられるのを怖がる」。テレビ番組からキャリアを始めた映画監督の森達也はそう指摘する。
……99年放送の「放送禁止歌~歌っているのは誰?規制するのは誰?~」ではタブーをつくる放送局側にもカメラを向けた。そこで森監督は、誰も禁止していないのに、テレビ自身のあいまいな自主規制で“放送禁止歌”が生まれた実態をあぶり出す。
 森は「タブーに明確なラインがあるわけでもない。ほとんどが共同幻想ですよ」と言う。
 …(森の作品群が)放送されて20年以上。自主規制は、テレビ業界にさらに蔓延(まんえん)しているのではないかとみる。背景には、コンプライアンス(法令や社会規範の順守)やリスクヘッジ(危険回避)という言葉の広がりに代表されるセキュリティー意識の高まりや、インターネット上でSNSが普及したことがあるという。
 「社員を危険な場所に行かせず、炎上を回避するというのは普通の企業では当たり前のことだけれど、メディアとしてどうなのか。空気を読んで、会社として成熟すればするほどに、テレビは牙が抜かれ、つまらなくなってきたんです」

 映画「テレビで会えない芸人」の終盤。松元はカメラとその後ろにいる監督らにこう語りかける。
 「多数派は『世の中の空気を読めよ』と言う。テレビは世の中の空気を反映します。でも空気を反映して戦争になったこともあったんです。世の中の空気を読むんじゃなくて、『ちょっとおかしくないのかい?』って言うべきなんです。このカメラも本当はそういうのを映し出すものなんですよ」

<以下略>

 我々も松元さんに代わりにしゃべってもらって溜飲を下げているだけではいけないと思います。



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