ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

『海をあげる』 本屋大賞受賞のこと

 上間陽子さんの『海をあげる』(筑摩書房)が「本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞」に選ばれたという。実際に本を読んだ者として、受賞を喜ばしいと思う反面、このあと「商業ベース」に乗せられていくことを思うと、少々複雑な思いもする。

 早速、今朝の新聞には広告が出ていて、各書店員からの推薦の言葉とともに、

 「海が赤くにごった日から、
 私は言葉を失った」

 おびやかされる、
 沖縄での美しく優しい生活。
 幼い娘のかたわらで、
 自らの声を聞き取るように
 その日々を、
 強く、静かに描いた衝撃作。

 という文言が並んでいた(11月13日付毎日新聞・19面下)。
 「衝撃作」という表現が適当かどうかはさておき、この本を推薦するということは、作者が「あげる」と言っている「海」を引き受けるということを意味するだろう。それ相応の「覚悟」というか「意気」が必要だ。そうでなければ「引き受けられない」と思うのは、大げさ過ぎるだろうか。

 昨夜上間さんの受賞のスピーチを動画で見た。姿を初めて拝見したが、こんなに穏やかな話し方をする人だとは想像していなかった。話の内容を少し起こしてみたい。上間さん、一部文字化を許されたい。
<スピーチは11分過ぎから26分過ぎ頃まで>

Yahoo! ニュース|本屋大賞 2021年ノンフィクション本大賞 贈賞式 - YouTube

……これを選んでくださった方々は書店員のみなさんだと、要するにこれは沖縄の今に対する書店員のみなさんからの応援なんだなというふうに思って、この賞は私が受けたのではなく、沖縄に対する賞であり、沖縄で暮らしている私の調査の(した)子たち、本当にしんどい思いで生きてますけど、その子たちに向けてのはなむけのような賞だなと思っています。
 とはいえ、この『海をあげる』という本がノンフィクション大賞を受賞したのは、やはり少し珍しいことではないかと思っています。まず、一つは、この本がもっている政治的メッセージという意味でです。そして、もう一つは、ノンフィクションというジャンルの拡張という意味でです。
 沖縄という場所は本当に悩ましい場所だと思います。美しくて、ゆったりとした場所でありながら、長く日本の一つとして認められず、日本が繁栄しつつある時間、アメリカ軍に占領されつづけました。その頃、沖縄で起きた事件を見ると、沖縄で生活する多くの人が基地との関わりを持ち、性暴力の被害や米軍からの暴力におびえ、法的な措置もほとんどとられない中で暮らしてきたことがわかります。その頃沖縄で起きた事件の数々は、凄惨な、そうとしか言えないようなもので、そうした事件が山のようにあります。その後、粘り強い交渉によって、無事に(日本国本土)復帰は果たせたものの、戦後の日本の繁栄を一切受けることができなかった沖縄の自治体の基盤は脆弱で、その後沖縄国内有数の貧困地域でありつづけ、今もまだ軍隊と暮らす場所という固有の問題が残存しています。
 普天間基地は世界有数の危険な基地であるということで、今度は同じ沖縄の辺野古の海にこの米軍基地をつくると言っています。辺野古は巨大な珊瑚礁があり、ウミガメが泳ぐ海です。その下にはマヨネーズ状の軟らかい土壌があり、その上に海上基地ができないことはすでにわかっています。それでも毎日税金が投入されて、土砂が投入されて、工事がよどみなく進んでいます。
 エッセイを書いている時期、それは基地からの水がフォーエヴァーケミカル(永遠に残る化学物質として知られるフッ素化合物の総称)と呼ばれる化学物質で汚染されていることや発がん性物質であるピーフォス(ペルフルオロオクタンスルホン酸)が大量に入った泡消火剤が街を覆った時期でもありました。1メートル近い巨大なふわふわした泡の塊が街の中を飛びました。川の水は泡立ち、海に流れ込みました。それは基地の中の米兵たちがバーベキューをしていて、火災報知器が間違えて作動して、そして大量の泡消火剤が出て、それによって水や海の汚染が広がっていったという事件でした。その泡消火剤は地元の消防隊が防護服を着ることなく回収しました。
 子どもの頃、基地の側で暮らしていた私の家の決まりごとは、車に乗るときには、すぐに車を施錠するということでした。私の母は思春期になった私が夕刻から夜にかけて外出をするときに手のひらに家の鍵を握るように指示し、誰かの連れ去られそうになったら、まずは走って逃げること、そして、捕まえられたら、とにかく暴れることを教えました。今日、母が教えたとおりにしています。(左手で握っていた鍵を見せて)こうやって歩くようにしていました。東京に出てから、私は夜の東京では、手のひらに鍵を握りしめて歩かなくていいんだということを知りました。そして、あれは女であるというだけで、狙われて、獲物にされることがあるいう場所で育った特有の生活様式であったということも知りました。自分の手を攻撃材料とすることをシミュレーションして生きる、それは平和で安全な場所で育つ身の処し方ではないと、私は東京に出て知りました。
 娘を育てているので、私にはこのことは再び切実な問題になりました。私の今暮らしている場所には軍人はいません。それでも私には過去、5歳の女の子が連れ去られてレイプされて殺された事件や、12歳の女の子が集団レイプされた事件や、20歳の女性がウォーキングのと途中で連れ去られて殺されて、軍事演習をしていた山に棄てられたこと、これらはすべて具体的な脅威です。私は娘に、手のひらに鍵を出して歩けと、そういう言葉を言わなければいけないのか、私の喜びのすべてである娘が誰かの獲物になることを想定すること、それはどんなに辛いことなのかと思いながら娘が大きくなるのを眺めています。
 そういう思いをベースにして暮らしている私にとって、『海をあげる』という本は、何よりも「アリエルの王国」という章のために書かれた本であるということが言えます。小さな娘の側で沖縄を生きる痛みを、どのようにしたら本土の東京の人たちに伝えることができるのか。本をまとめるとき、私はその一点だけを考えました。
 ただ同時に、本土の人、東京の人もまた、痛みを感じながら生きていないわけではないと思います。私はふだん大学で教師をしているので、若い人たちの細やかな優しさを何度も目撃しています。また、こうやって本を書くことによって、たくさんの人たちとかかわるようになりましたが、自分よりも年若い方々が洗練されたやり方で人と人との関係を紡ぐことに、私たちの世代とは違う優しさと痛みを感じます。だから、あの本では、おいしいご飯を巻頭におきました。私よりも若い世代に向けて、たぶん人生にはいろいろある、でも何とかなるし、生きていたらいつか許すこともできるということをお伝えしたいと思いました。それでも、そのうえで、生活のあり方の延長線上に、私たちが周りの人にどんなに心を砕いてもどうにもならない地平が、政治によって、権力によって現れてしまうのだということを書きたいと思いました。あの本は「アリエルの王国」を目の前のあなたの問題だと読んでもらうためのたくさんのしかけがあります。

…<以下略>

 あらためて本を引っ張り出して眺めていたら、「アリエルの王国」の章の一節に付箋がついていることに気がついた。

 保育園に娘を預けてからひとりで農道を歩いて車に戻り、辺野古に向かう。
 移動しながらいつも思う。富士五湖に土砂が入れられると言えば、吐き気をもよおすようなこの気持ちが伝わるのだろうか? 湘南の海ならどうだろうか?
 普天間の危険除去をうたう「最良の決定」の内実は、普天間直下の我が家から車で一時間とかからない、三七キロ先にある辺野古への基地の新設である。それが三鷹東京湾くらいの距離でしかないことを知ってもなお、これは沖縄にとって「最良の決定」だとみんなは思うのだろうか?

(上間『海をあげる』、224頁)


【上間陽子さんスピーチ】鍵を握りしめ夜を歩く「小さな沖縄のパンドラの箱と希望」<「海をあげる」ノンフィクション大賞受賞>(琉球新報) - Yahoo!ニュース
上間陽子『海をあげる』 - ペンは剣よりも強く
「キワキワだけど負けてない」 - ペンは剣よりも強く

<追記>
上間さんの受賞スピーチ全文はこちら。
「2021年ノンフィクション本大賞」は上間陽子さん『海をあげる』に決定――「小さな娘のそばで沖縄を生きる痛みを、どのようにしたら本土の、東京の人たちに伝えることができるのか」

 

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