先月に強風が吹いて、小屋のトタン屋根が剥がれてしまい、恐る恐る上がって修理したのだが、錆やペンキの剥がれが目についた。ペンキの塗り替えの時期が来ているようだった。しかし、冬場に塗るのもなあ、と躊躇し、必要な道具だけはそろえておくことにした。昨日は風が弱かったし、間もなくスギ花粉が飛び始めると天気予報で言っていたので一念発起して、錆が目立つ部分だけとりあえずペンキを塗ることにした。
よく晴れていた。青い空に見とれている場合ではないが、気分は悪くない。出来栄えはともかく、何とか終わってホッとした。
終わってお茶を飲みながらネットを眺めていて上間陽子さんのインタヴュー記事を見つけた。上間さんの『海をあげる』(筑摩書房)を読んでから1カ月余。「この海をひとりで抱えることはもうできない。だからあなたに、海をあげる。」という最後の一言の “残響“ が薄れてきていたが、インタヴューを読んでいて、記憶が呼び覚まされた。女性同士のこと、家族のこと、そして、沖縄のこと……。安直に入っていくのは憚られる世界もあるが、生きている以上はつながっているし、つながらないといけないとも思う。
「絶望をこちらで引き取ることができれば、次の世代はまた違う形で生きていく」上間陽子『海をあげる』インタビュー 聞き手:小山内園子(翻訳家)neol.jp | neol.jp
インタヴューで沖縄の伝えられ方や描かれ方について問われた上間さんは、こう答えている。
「……辺野古に若いNHKのディレクターさんが1年間住んで『辺野古抄』という番組を撮っているんですね。地元の人たちがだんだん諦めさせられていく過程や、苛立ってる感じの不穏さみたいなものがよく撮れてたんですけど、最後は海に土砂を入れるのを遠目で見て、諦めていくような音で終わっていました。確かにそこでそういう音で終わるのが、理不尽の象徴、悲哀というストーリーを作りやすいとは思います。でもそういう映像は沖縄を消費しているだけだという苛立ちもあり、私なら、戦後沖縄の人を励まそうとつくられたヒヤミカチ節などエンディングに置くなぁと思いながら見ていました。「七回転んで転びました。エイッと言って立ち上がりましょう」という歌詞の、しゃみせんの速弾きの美しい歌です。同じようなことがらなんですが、たとえば朝日新聞で私が本の選書をして時代をふりかえるという仕事をした時にも、朝日新聞が持ってきた写真は(辺野古の海への)土砂投入の写真でした。それは沖縄の人が国家権力に踏みにじられ、絶望しているという構図を強調する目的ですね。でも、それは消費でしかない。私が東京のほうに伝えたのは、選挙でデニーが知事となって喜び踊るひとびとの写真にしてくださいと要望しました。私たちはこんな絶望的な状況でもデニーを知事に選んだ。あなたがたが黙り込み、絶望を決め込みたい間にも動いていた。キワキワだけど負けてないというところは、ストーリーとして作りづらいけれども、消費しやすい形にはならないですよね。そこでメディアは踏ん張るべきかなと思っています。それにもまして報道がないですけどね。」
(※太字は当方が施した)
辺野古の埋め立てに匹敵する問題なのに、本土ではほとんど報道されないのが、浦添への「那覇軍港(米軍基地)の移設」の件である。明日2月7日にはその浦添市の市長選挙がある。前市議の伊礼悠記さんが「軍港移設反対」の立場で立候補していて、12月の出馬表明からずっと気になっていた。浦添市民にとってこの「軍港移設」にどういう意味があるのか、また、市政と住民の生活課題は何か、等々、投票する権利のない千葉の田舎者には切実な理解はできないかも知れない。しかし、だからといって無縁なことだとは思っていない。
伊礼さんと伊礼さんを支持する方々が翌2月8日、見とれるくらい青い空の朝を迎えられることを念願している。
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