ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

目取真俊『眼の奥の森』

 「一月万冊」で佐藤章さんが推奨していた目取真(めどるま)さんの作品。2004年から2007年にかけて季刊『前夜』に12回にわたって連載された文章に加筆・訂正したもので、2009年の刊。現在は品薄状態にあるようで、入手できたのは幸運だった。
 戦争末期の沖縄で米兵たちに強姦された少女と、その米兵たちに銛をもって一人で向かっていった少年をめぐる多声的多重的な内容。話はもちろんフィクションだろうが、ノンフィクションの側面があることを容易に想像させる。小生のような軽薄な人間には、ただただ言葉を失う描写の連続。

 半分近く読んだ時点では、2017年の東京写真記者協会賞を受賞した「沖縄の視線」という写真(東京新聞・沢田将人記者撮影 2017年6月23日 沖縄全戦没者追悼式にて)を連想した。当時の翁長雄志沖縄県知事ほか、式に参列した沖縄の人たちが見つめる(睨む)先にいるアベシンゾーがまるで自分自身であるような感じがした。
2017年協会賞 | 東京写真記者協会 (TOKYO PRESS PHOTOGRAPHERS ASSOCIATION)

 終盤は、「いじめ」をうける女子生徒や介護施設の姉(上の強姦された少女と思われる)を見舞う妹に仮託して語りが続く。その女子生徒に向き合う教員、妹に、自分の姿を重ねざるをえない場面が出てくる。

 …しばらくして、(保健室に)クラス担任が様子を見に来た。カーテンを開けてベッドのそばに立った担任は、名前を呼んで肩のあたりを軽く叩く。毛布をのけて笑みを作った。教室で戻したみたいだけど、だいじょうぶ? うなずいて明るい声で言う。だいじょうぶだよ、心配しないで、先生。観察する先生達の目をごまかすのは慣れている。たいていの先生は面倒なことが嫌いでごまかされたがっているのだから、そんなに難しいことではない。六時間目の授業は出られそう? あの、もう少し休ませてもらえますか。担任ではなくその後ろに立っている保健の先生に言うと、ええ、とうなずいて担任に、そうした方がいいと私も思います、と言う。私から六時間目の**先生に話しておくから、じゃあ私も授業があるから、またあとでね。担任はそう言うと保健室を出ていこうとした。あの……、呼び止めると担任は一瞬迷惑そうな顔を見せたが、すぐに取り繕って、何? と訊いた。あの、**さんにお礼を言ってたと伝えてくれませんか、保健室まで連れてきてくれてありがとうって。ええ、分かった、担任は笑ってうなずき、カーテンを閉めて保健室を出ていった。
(『眼の奥の森』、177頁)

 姉を施設にあずけることに母は反対し続けた。自分が世話をすると言い張り、下の弟が苦労して入所手続きをとった精神治療施設に断りの電話を入れるよう言い張って、弟達や私を怒らせた。自分の体も見きれないのに何を言ってるか。そう母を叱りつけている弟達の目は潤んでいた。姉さんが行く所は景色もよくて、みんなが親切に世話をしてくれるさ。病気になっても安心だし、会いたいときは私達が連れて行くから、何の心配もしないでいいよ。そう言って母をなだめたが、母は弟達や私に食ってかかり、姉をどこに連れて行くのか、となじり続けた。
 そういう母を見て怒りを抑えきれなかった。なんで姉さんのことばかり、いつも姉さんのことばかり、私達のことは考えないの、これ以上私達に何をやれと言うの、歩くのもやっとのくせに、自分の面倒も見切れないくせに、難儀するのは最後は私達なんだよ、お母さんが死んだあと、誰が姉さんの面倒を見ると思ってるの、そういう私達に感謝する気持ちはないの、私達のことを真剣に考えたことはあるの、私達もあんたの子どもなんだよ……、そう叫んで泣き伏した。

(同書、196-197頁)

 もちろん、作者の目取真さんの視線はそこにとどまらず、先にまで向いているのだけれど、こうした個々の感情を飛び越えて、アメリカや日本はもちろん、”沖縄のこと” を考えられるはずがないことを痛感する。

 「二度とあのような戦争起こさないように努力してほしい」「それが消えてゆく老兵の切なる希望なのです」という末尾の言葉が、不釣り合いに陳腐な印象を受けてしまうのは、それまでの「語り」の重さ故だと思う。非戦の誓いが「呪文」や「護符」であってはならないと逆に諭されたようだ。



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