ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「報道ステーション」のCMとテレビ局

 テレビがおもしろく感じられない。前からそう思ってはいたが、学校で働いていた頃は、授業でつかえそうだと思える番組があれば頻繁に録画して、ビデオが溜まる一方だったことを思うと(一体いつの話だ!とも思うが)隔世の感がある。これが個人の感想ならともかく、周りにそういうことを言っている人が意外にいるとなると看過できない。知り合いのネパール人留学生などは、少し前に日本語学習のたしになると思って譲ってもらったテレビを、あまりにくだらないので見るのをやめたと言っていた。これには、外国人の眼にもそう映るのかと少々驚いた。
 世紀が代わり、2010年代あたりからはさらに「変貌」が進んだように思う。今や新聞のテレビ番組表を眺めても、報道(ニュースではない!)やドキュメンタリーの類は、単体としてはほとんど見当たらない。こうした「社会派」的な番組はどこに行ったのだろうか? 地上波から消えただけかと、衛星放送(BS/CS)の番組欄を眺めても、それらしいものはまれで、衛星放送も全体としては地上波の焼き直しにしか思えない(NHKのBSにその「痕跡」がわずかに確認できる程度だ)。結局、局が増えてもみんな同じことをやっているのだから、テレビ局が口ほどに視聴者のためにあるのでないことは明らかだ。視聴者の多様なニーズに応えるという名目で、エンタメ、スポーツなどへの特化は進んだが、なぜか政治社会のことを考える番組(だけ)は放送されなくなっている(ラジオでは放送されているし、当然ネットでは数多くある)。ここにはやはり不自然さ=作為を感じざるをえない。

 こういうのは、先回のテレ朝の話ではないが、制作スタッフや出演者にも当然反映されるのだろうと思いながら、先日津田大介さんの「ポリタスTV」(4月5日付)を見ていたら、この4月でテレ朝「モーニングショー」の月曜コメンテイターを外れることになったジャーナリストの青木理さんが出演されていた。この件を、津田さんからふられた青木さんは「ちょっとホッとした感じ」と話していたが、そのときのやりとりが以下。

【短縮版】マンデーニュースナビ #1|コロナ再感染拡大、ミャンマー問題、香港選挙制度改変……。ジャーナリストの青木理さんと先週起きたニュースを振り返り (4/5) #ポリタスTV - YouTube

 津田週の頭に青木さんを見ることが多かったのが、この春からそれがなくなって、ちょっと寂しいなあと思うのと同時に、青木さんみたいな人がいなくなると、ニュース業界、ちょっとやばいんじゃないかなという危機感もあるんですけど……。
 青木……でも、「モーニングショー」はちょっとホッとした感じ。だって、毎回炎上してたもんね。
 津田その炎上したことでね、週刊誌で「嫌いなコメンテイター」の上位とかにね……。
 青木そう、「嫌いなコメンテイター」の2位とか3位とかになって、立川志らくさんとか宮根誠司さんと争うこともなくなると思うとちょっとホッとした思いで……(笑)。
<中略>
 津田この春、いろいろな番組が終わって、報道番組がテレビ、ラジオも様変わりしてるなって思えるんですけど、そういうのはどう感じてますか?
 青木週刊現代の連載コラムで少し書いたんですけど、戦後、テレビという媒体がマス・メディアの良かれあしかれ王様だったわけで、今でも地上波のテレビはすごく大きな影響力があるんですけど、それが2021年の春は、ひょっとしたらすごく大きな曲がり角になると思っていて。たぶん2つキーワードがあって、1つは金ですよ。コロナの直撃もあって、テレビ局の収益がものすごく落ちている。だから、コストカットというのがある。もう1個は、広告代理店なんかが言ってると思うんですけど、視聴者層を、日テレは「コアターゲット(男女13~49歳)」と言い、TBSは「ファミリーコア(13歳から59歳)」と言ってるんだけど、10代から40代くらいの若い層に見てもらわないともうスポンサーがつかない。とにかく若い方に、若い方にとふる番組を作る。この2つがキーになってこれからテレビが大きく変わっていくでしょう。そこそこ手間とお金がかかっていて、大人の人がじっくりと見て楽しめるようなテレビの番組は、たぶんどんどんなくなっていく。……と考えると、大きな変革期にあるかもしれないなという気がする。
 津田報道って、もともとは数字(視聴率)がとれるような番組じゃなくて、ドラマとかそういうので数字はとって、ただ報道は、放送法できちっとやらなければいけないと決まっていたからやっていた。それが(テレ朝の)「ニュース・ステーション」以降、「ニュース」が視聴率をとれるようになってきた分、「ニュース(番組)」が変質していったという部分があるんでしょうけど。また、だから、報道がテレビ局にとって、ある意味厄介ものになっていくという流れもあるんですかね……。
 青木ニュースが商売になるかならないかということでは、久米さんの「ニュース・ステーション」が大きな転機になっていて、これが商売になるとみんな気づいた。あるいは、商売になる手法を「ニュース・ステーション」が編み出したという意味でもエポックな出来事だったんだけど、商売になるかどうかっていうことでは、やっぱりなるんですよね。日々何が起きているかということを知らなくては生きていけないというのは変わらないので。今の「報道ステーション」も、他の局のニュース番組もそれなりの視聴率をとってるんだけど、その作り方が変わってくるというのと、報道に限らず、今テレビを見ている分厚い高齢者層を切り捨ててでも若い方にふっていくということで、テレビに何が起きるのか、かなり大きな変化で、いい方向なのか悪い方向なのか、僕は悪い方向のような気がするけど……。
 津田若い方へいくのは、そのこと自体悪いことではないんですけど、若い方が人数が減っていくわけで……。
 青木そう、減っていくし、さらに、(テレビを)見ないでしょ、今、若い人は……。
 津田スマホでみんな完結しちゃいますからね。 
 青木となると、今テレビを見ている高齢者層から若い方へ切り替えていくと、テレビの未来は……。マス・メディアとしての新聞もテレビも、相対化されて弱っていくというのが時代の趨勢なんだろうけど、それが決定的に大きく動く春になるのかも知れないなあと。問題はあとコスト・カットでしょう。これ、気づいている人はいるんでしょうけど、「報道ステーション」の例のCM炎上の問題があったじゃないですか。それが今話したことの典型的なパターンで、あのCMの問題点を改めて今は話しませんけど、何であんなCMをつくったかというと、若くて、女性で、20代30代、つまりテレビをなかなか見てくれない層に対して、できたら「報道ステーション」を見てもらいたいっていうのがあのCMで、それでああいうことが起こったんで、若い方にふっていこうという必死さは分らなくもないけれども、「おっさん目線」的につくって大炎上してしまった。……と考えると、今テレビの水面下で起きていることの象徴的出来事で、……ひょっとすると、メディアの将来を暗示する出来事だったのかも知れないなあと思うんですね。


 よい番組をつくるには人も金も必要なのはよくわかる。金がなくなれば、ゲストにギャラの高くなる局外の人を呼ばず、内部の人間で済ませようとするだろうし、長期取材や海外取材に裏打ちされた番組も作りづらくなるだろう。これではテレビ局の人員や番組の質が向上することはありえない。このコロナ下に電通が危機的なのは知っていたが、「作為」の背景に目を向けると、事態はテレビ局でも深刻なのだと改めて思った。



↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村