ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

報道の自由度ランキングのこと

 人目を気にすることと謙虚であることはイコールではないと思いますが、傍若無人や傲岸不遜な振る舞いをする人にどう言えば、「謙虚」という言葉の意味を理解し、胸に刻んでもらえるか、これはなかなか難しいものを感じます。自省も込めて言うと、周りからそっぽを向かれて初めて気がつくかも知れませんが、総スカンになってからでは遅すぎるのではと思います。過去にそういう失敗をした経験があるのに、強者に付き従えば周りの文句が聞こえなくなる(気にならなくなる)ことを学習し、なおざりな反省で済ませたために、またまた悪いクセが出ているように見受けられる国の場合はどうでしょう。同じ失敗をくり返すのではと心配になります。

 国際ジャーナリストNGOの「国境なき記者団」から5月3日、最新の報道自由度ランキングが発表され、日本は71位で前年より4つ後退したと報道されています。

【国際】世界報道自由度ランキング2022年版、首位ノルウェー。日本は71位で4つ後退 | Sustainable Japan

 元テレビアナウンサーでニュースキャスターの辛坊治郎氏が動画で以下のようにコメントしています。……だから心配になります。

そもそも「世界の報道自由度ランキング」は正しい?/「ロシアより許せないのは今の与党」すぐ発言を謝罪する政治家の言葉の軽さ~2022/5/4 ニッポン放送「辛坊治郎ズームそこまで言うか!」しゃべり残し~ - YouTube

……日本の言論の自由度、報道の自由度、私の感覚から言うと、この世界で40年近く働いておりますけれど、確かにね、皇室関連であるとか、特定の宗教団体に関しては、いわゆるタブーみたいなものがあって、非常に強く自主規制が働くことはあります。ただ、それ以外のところでは…。今回話題になっている「大企業による日本の言論に対する圧力」みたいなことがどこかに書いてあったんですが、根拠として、それは正直言って感じたことはないな、ということなんで、…まあ、これに関しては、71位…。うーん、前後を見ると、いろいろな意味で意図的だなという感じを、私は受けております。……

辛坊氏が言及した「大企業の圧力」等々というのは、ランキングに付されたコメントの中のものだと思われますが、こう書いてあります。

 議会制民主主義国家である日本は、一般的に報道の自由多元主義の原則が尊重されていますが、伝統と商業上の利益により、ジャーナリストが番犬としての役割を十分に果たしえず、妨げられることが多くあります。
……
社会文化的背景
日本政府と企業は、主要メディアの経営に日常的に圧力をかけており、汚職セクシャルハラスメント、健康問題(Covid-19、放射線)、汚染など、機密性が高いと見なされる可能性のあるトピックに対する厳しい自己検閲をもたらしています。2020年、政府はCovid-19の健康対策を口実に記者会見に招待されるジャーナリストの数を劇的に減らし、公共放送局NHKを、大きな国家危機の場合にその「指示」に従うべき組織のリストに含めました。
安全
日本のジャーナリストは比較的安全な職場環境を享受していますが、「名誉毀損」とみなされるコンテンツをリツイートしただけで政治家から起訴されている人もいます。ソーシャルネットワーク上で、ナショナリスト集団は、政府に批判的なジャーナリストや、福島原発事故によって引き起こされた健康問題、沖縄における米軍駐留、第二次世界大戦中の日本の戦争犯罪などの「反愛国的」な話題を取材するジャーナリストに対し日常的に嫌がらせをしています。
(出所:Japan | RSF

 71位という順位の客観的な裏付けが曖昧なのは辛坊氏ら他の方々も指摘するとおりでしょうが、主観を集積したデータが無意味かというと、「短観」(全国企業短期経済観測調査)などを引き合いに出すまでもなく、意外に実相を反映していたり、事が「実感」どおりに動いたりするので、軽くは扱えません。辛坊氏はこの国で40年も報道の仕事に携わってきて、「大企業の圧力…は正直言って感じたことがない」と言ってますが、これは “正直言って” にわかには信じられません。もし本当にそうなら、彼は傲慢というか、相当に鈍感、ないし無神経に思えます。

 この報道の自由度は日本メディアの「通知表」というより我々の言論の自由の「通知表」かも知れません。それをジャーナリストの江川紹子さんのコラムを読んでいて思いました。しかし、これが6年前(2016年=安倍政権当時)の文章であることを考えると、この国は長期にわたってほとんど前に進んでいないし、進めなくなっているようにも思えます。
 以下、切れ切れですが、2016年4月27日付記事より引用をお許しください。

日本の「報道の自由」を考える~本当の問題はどこにあるのか(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

……海外との比較は、具体的な制度のあり方について、各国と比べて日本の状況を評価したり、外国のよい所を取り入れて日本の制度改善に役立てるためには大いにやるべきだと思うが、漠然とした「報道の自由」を比べた「国境なき…」のランキングからは、私自身は学ぶところがあまり感じられない。一海外NGOの評価として参考にするのはいいにしても、ランクの低さに衝撃を受ける必要もないのではないか。

 ただし、だからといって、日本のメディア状況がよいと思っているわけではない。逆に、以前に比べて、非常に窮屈な感じがしているし、現場が萎縮しているというのも、その通りだと思う。メディアの質、表現の自由のありよう、将来への展望も含めて、私は今、非常に危機感を深めている。
 また、自民党がテレビ局幹部を呼びつけた事情聴取、1つの番組だけでもテレビ局に電波停止を命じる可能性に言及した高市総務大臣の発言など、現政権は報道の自由という観点から見て、問題のあるふるまいが多い、……首相の記者会見も、民主党政権時代には私のようなフリーランスにも質問の機会があったが、安倍政権になってからまったく無視されていて、質問者は記者クラブから数名と外国プレスから1人というのが今や定番だ。

 ただ、果たして安倍政権が、今のメディアの萎縮を招いている主要因なのだろうか。あるいは、現政権が退陣すれば、状況は一挙に好転するのだろうか――。それを考えてみると、どうもそうではないような気がしてならない。

 テレビに対する政治の「圧力」は、最近になって始まったことではない。……(かつては)政治的な力が働いて放送中止に追い込まれるような事態になっても、放送人はそれに屈せず声を挙げ、評論家や新聞記者などのジャーナリストが会社など組織の枠を超えてそれを社会的な問題として知らせ、労働組合や市民団体が呼応して問題を広げ、そして、よい番組は積極的に支持する視聴者がいた。
 果たして今はどうだろうか。

 かつては、こうした問題で核になって動いた労働組合は弱体化。景気が低迷し、人々が「連帯」するより、個が分断されていく社会の中で、番組制作の現場も昔とは大きく変わっている。番組の多くが制作会社の手によって作られ、経費削減のプレッシャーもあり、その労働環境は過酷だ。加えて、コンプライアンスの要請も高まってきた。
 一方、インターネットやスマートフォンの普及は、本当に様々な変化をもたらした。様々な情報に接することになって、目の肥えた読者・視聴者が増えた。以前はもっぱら情報の受信者だった人々は、今や発信者でもあり、メディアの側もそれを意識する。新聞記者やテレビ局の取材の状況なども”可視化”され、かつてのマスメディアに対するある種の”リスペクト”が失われていく。さらに、意に沿わないことには、批判やクレームを入れなくては気が済まない人たちが増え、”モノ言う視聴者”は存在感を増す。

特定の番組を批判する意見広告が新聞に
彼らは、気に入らない番組は見ない、という消極的対応ではなく、積極的な意思表示を展開する。ネットの活用で、地理的な距離を超えて人々がつながり、主張も広げられる。けしからんと思った時には、一斉にクレームを申し立て、デモなどの抗議行動を行うこともある。そうした抗議行動は、時に民放のスポンサーや新聞の広告主にまで及ぶ。抗議の対象になるのは、報道番組だけではない。2011年、韓流ドラマを放送していたフジテレビに対する抗議行動は、ネットの中継や右翼団体の活動とも連動し、繰り返し行われた。

政治的な背景や要素がまったく感じられない”視聴者様の声”も多い。というか、むしろそちらの方が多いのではないか。
たとえば、週刊誌で不倫が報じられた女性タレントが出演している収録済みの番組を放送したテレビ局には、10分間で1000件もの苦情電話が殺到した、と報じられている。

どのようなジャンルの番組でも、もはやマスメディアは、「お客様の声」を強く意識せざるをえない。それは民放のスポンサー、新聞の広告主となる企業とて同じだろう。そんな中、「声」を意識した過剰反応も生まれる。

クレーム回避のリスク管理
昨年、日本人ジャーナリストが「イスラム国」に殺害された事件の後、登場人物がナイフを振り回す場面が含まれたアニメなど、いくつかの番組の放送が見送られ、音楽番組では「血だらけの自由」「諸刃のナイフ」などの歌詞が書き換えられて歌われたりした。
後から過剰反応だと言われるとしても、とりあえずクレームが殺到するような事態を回避する、という”リスク管理”である。こうした企業としての姿勢は、現場にも「クレーム回避」を強く意識させる。そういう土壌の上に、様々な番組は作られている。報道番組も例外ではない。
加えて、世論調査では現政権が4割以上の支持を得ている。視聴者の傾向も似たり寄ったりだろう。しかも、取材力の問題もあって、限られた人員で効率よく番組を作るためには、与党という大事な情報源との良好な関係は維持したい。与党への気遣いは、何も放送免許の問題だけでなく、現場のそうした事情も大いに影響していると思う。新聞社も程度こそ違え、相通じる問題といえるかもしれない。
そのうえで、今の与党は、マスメディアに対しても強気で、番組に問題があれば放送局の幹部を呼び出し、議員からは平然と「マスコミ懲らしめ」発言なども飛び出す状況だ。

日本の、とりわけテレビ局の「報道の自由」を考えるには、こんな風に幾重にも重なり合った問題を、1つひとつ解きほぐしながら、考えていかなければいけないのではないだろうか。安倍政権のふるまいは、そうした重要な問題の1つであり、有形無形の圧力にはきちんと反応しなければいけないと思う。ただ、それだけを今の「萎縮」の原因として、こうした重層構造を無視していると、問題の真の姿は見えてこないような気がする。
誰か(あるいは何か)1つのところに原因を求め、「こいつが悪い!」という決めつけは、一見分かりやすいが、物事の真相に近づく営みを妨げる。

「日本全体が怒られることを避けている」中で
ついでに言うと、”クレーム回避”が重要課題になっているのは、何もメディアの現場ではない。”もの言う人々”がターゲットにするのは、テレビ局や新聞社ばかりではないからだ。企業はもちろん、役所など公共的な組織でも、”クレーム回避”は深刻だ。
中学校でいじめにより男子生徒が自殺した件が大きく報じられると、当該の中学校や市教育委員会には、学校や市教委の対応に怒った人々からの抗議電話が殺到し、業務に支障が出た、という。……
今年2月、プロ野球元選手の清原和博被告が覚醒剤所持容疑で逮捕された直後に、阪神甲子園球場にある甲子園歴史館が、清原元選手が高校時代に甲子園大会歴代最多の13本塁打を打ったバットなどを展示スペースから撤去した。私は報道に驚いて、電話で理由を尋ねたところ、担当者はこう言った。
「展示を続けても、中止しても、きっと何か言われる。それなら、『後手に回った』と言われるより、たとえ過剰と言われても先手を打った方がよい、という判断です」
こうした風潮は、日本中に蔓延している。

メディアに話を戻す。NHKが4月末をめどに公式ツイッターでの外部アカウントのフォローを外すと発表した。そのことについて、NHK広報局の初代ツイッター担当者を務めた浅生鴨さんに対する、ニュースサイト「withnews」のインタビューが興味深い。その最後に、浅生さんは次のように語っている。

「NHKに限らず、日本全体が怒られることを避けている。若い国は冒険をしてどんどん踏み外していく人たちがいるのでしょうが、国として年をとっているのだろうという印象があります。
間違わないんだ、ということに固執している。間違うことが許せない、回りも許さない、そういう傾向にある。やり直せる社会にならないと、萎縮しちゃう気がしますよね。僕もあんまり怒られたくはないですけど」……

<引用終>




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