ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

スガと政治部記者の共棲

 読売新聞のスガ報道が波紋を呼んでいる。13日の新型コロナの政府対策本部で、7府県に緊急事態宣言を追加発令する際、スガは「福岡県」を「静岡県」と読み間違えたり、記者会見での質疑がかみ合わなかったりと、相次ぐ失態の理由を「ストレスがたまっている」とし、昨年9月の就任以来、1日も完全休養に充てることなく公務をこなしていることに加え、これまで日課としていた平日朝の国会近くのホテルでの有識者らとの朝食を7日から見送っていることが影響しているのではないかというのだ。

 これに対する反応を同日付「女性自身」が次のように伝えている。以下、要約。

「ホテル朝食自粛で菅首相がストレス」読売新聞記事に批判殺到 | 女性自身

「ホテルで朝食」自粛の菅首相、ストレス蓄積?…「静岡県」「秋のどこかで」言い間違い散見
——1月14日に公開された読売新聞オンラインのこんな記事が波紋を呼んでいる。………
この記事が公開されると、ツイッター上ではこんな声が。
《会食自粛がストレスだって!? 医療従事者をはじめ、ずっと前からそれに耐えながら働いている人なんていくらでもいるのに》
《なぜ会食しないと情報が集められないのか。したければリモートで自分の部屋で弁当食べながらすればいい》
菅義偉「パンケーキを食べられず 福岡を静岡と読み間違えるほどのストレスです」国民「朝昼晩ろくに食べられず 税金その他で持っていかれます 生きるか死ぬかです」 このギャップはなに?》
タレントの麻木久仁子はこうツイートした。
《一国の宰相ともあろう者が、会食の自粛くらいのことでストレスが溜まり任務の遂行に支障があると? これ、諸外国なら「じゃあやめてください」と言われる話。こんな情報出したらダメでしょ》
この記事がここまで反発を呼んだのは、政権に近いとみられている読売新聞のものであることも関係していると思われる。
《読売らしい菅ヨイショの酷い記事》
《この記事は援護射撃の仕方を間違ってるぞ読売 擁護したいのは分かるけど、こんな中身のない記事ではツッコミどころしか生まない》
現在も記事は<かみ合わない質疑・言い間違い続出…会食自粛の首相、ストレス蓄積?>と、なぜかタイトルがやや変えられた状態で公開されている。全国紙政治部記者、曰く「安倍内閣の末期に似てきましたね。……」。


 アベの二度にわたる「成功体験?」により、為政者の「ストレス」や「病気」というのは国民の同情をひきだすアイテムと化しているのだろうか。こうした記事を政治部の記者が垂れ流すところが不愉快なのだが、この「政治部記者」たちによるスガ政権の演出、共棲についておもしろい記事を読んだ。

「文春オンライン」1月15日付、urbanseaさんの記事の要約。

「尾身さんを少し黙らせろ。後手後手に見えるじゃないか」“やり手”のはずの菅首相、新型コロナで無力な理由 | 文春オンライン


「実務型」だとされていた菅義偉だが、まったくそんなことはなかった。
 菅はなぜ総理大臣になってしまったのか、「実務型」「影の実力者」という神話はいったい誰が作ったのか。

 昨年末に刊行された読売新聞政治部『喧嘩の流儀』(新潮社)に菅の人物評がある。「菅さんの外交っていうのは直接、外国の相手とやり合うことじゃなくて、日本国内の力を持っている人間を押さえて実現させるっていうやり方だ」(外務省幹部・談)。
 菅は自分の意に沿わない者を敵とみなし、潰しにかかる。それは自民党議員や官僚、メディアといったインナーサークルの住人に対してであって、本来、対峙すべき相手やコトに対してではない。だから菅は昨年来、ウイルスと戦うのではなく、「GoTo」に反対する者と戦っている。そもそも人事権や同調圧力、恫喝を使いこなす菅の能力など、新型コロナウイルス相手にはまったくの無力である。

 こうした内向きの政治技術しかもたない菅が、なぜ総理大臣になってしまったのか。前掲の『喧嘩の流儀』によれば、当初色気をもっていなかった菅だが、二階俊博が昨年6月、国会閉幕当日の会食の席で「次の総理はどうか。やるなら応援するよ」と持ちかけると、それを否定せず、二階は菅のやる気を感じ取る。当時、春先に官邸官僚の主導でおこなった「アベノマスク」&「うちで踊ろう」が不評を買っていたことから、菅抜きでは駄目だという論調が生まれていた。菅は「GoTo」キャンペーンを推し進め、反対する者を抑え込んでそれを実現し、存在感を示していた。
 そして8月、安倍の体調悪化から政局は一気に動き、安倍辞任から総裁選へ。すると菅は二階に出馬する旨を伝え、安倍は安倍で「1対1だと石破が岸田に勝つ」、そんな不安にかられて菅の支持にまわる。なにしろ安倍の石破嫌いは尋常でなく、人を「さん」付けで呼ぶことの多い安倍だが、石破茂だけは呼び捨てにし、ときには「あいつはどうしようもない」とコキ下ろすこともあったという。
 このように、二階にそそのかされてその気になって、おまけに「GoTo」で得た自信と、安倍の石破嫌いによって、菅は内閣総理大臣になってしまったのである。

 菅は、官房長官時代は「全く問題ない」「批判には当たらない」などと、そっけないことを言っていても「鉄壁のガースー」と記者などから内輪褒めされて済まされていた。しかし首相となるとそうはいかない。
 歴代最長在任日数を誇る安倍元首相に言わせれば、総理大臣とは「森羅万象すべて担当している」のである。だが、菅はいつまで経ってもコロナ対策を自分ごとにせずにいる。記者をはぐらかす話術はあっても、危機に際して、人の心を動かす言葉を持てずにいる。

 こうした菅について、官房長官時代の番記者だった秋山信一は『菅義偉とメディア』でこう述べる。
「菅に説明能力が足りないことは、毎日のように会見に出ている長官番記者なら誰でも知っていることだった」。ポイントは「説明が足りない」ではなく「説明能力が足りない」と述べていることだ。菅の政治家としての能力不足を知りながら、政治記者たちはそれを隠蔽することに加担してきたのだ。
 菅の言葉足らずを記者たちは補ってあげる。能力の欠如を取り上げずに、「不足している部分を取材でどう補うか」あるいは「目をつぶって、分かりやすい部分をどう切り取るか」という方向を向いていたと著者は述懐している。
 菅は菅で、自分の能力が足りないことをわかっている。だからなおさら番記者たちを取り込み利用することでそれを補おうとする。秋山によれば、菅は記者心理をくすぐるのがうまく、毎晩のように議員宿舎に招き入れるなど番記者たちには丁寧に接して心証をよくし、自分の応援団に変えていくという。
 かくして「菅と16人の長官番」(前掲書)という一つの組織が出来上がる。政治部の記者たちはそんなふうに有力な政治家とべったりになりながら出世していくのだろう。

 政治部の常識は、ムラの外では非常識である。菅はそうしたムラに囲われることで「影の実力者」「実務型」の幻影を生み出した。ところがムラの外に一人で出てしまうと「ガースーです」などと言ってしまう。この程度の政治家だったと、世の中が菅の実像を知ったときには、もう遅かった。

 菅政権とは、政治記者文化が作り出したモニュメントである。



↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村