ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

マスコミの馴致=私僕

 メディアは事実や出来事を人々に正確に伝えるのが仕事。ジャーナリズムはその事実や出来事を論評するのが仕事。論評の内容が、事実を捻じ曲げるものであったり、政治的・経済的・社会的に優位に立つ者、あるいは論評する当人自身にとって「都合のよい」ものであったりすれば、その見識が問われる。だから、政治的・経済的・社会的な優位者に対して、取材する際には物理的に“密着”しても、心理的精神的には常に“距離”をおいていなければならない。「公務員は全体の奉仕者であって一部の奉仕者ではない」というのと同じで、メディアもジャーナリズムも、「公」の仕事を担っているという自覚を失えば、「私僕」化の圧力に抗えない。もっとも、受け手にも「公」の関心が薄れていけば、メディアやジャーナリズムの「私僕」化は止められないだろう。

 東京新聞望月衣塑子記者のツィートを見た。
#官邸報道室 が #内閣記者会 を通じ、各社の #首相番記者 との オフレコ朝食会 を申し入れ。定例会見は1社1人の出席制限があるが、この朝食会は1社複数の番記者が参加できるそうな。ぶら下がりなどオモテ取材には応じないが、ウラではマスコミ懐柔を図る官邸。さて、どの社が参加するのか。注目だ」とある。
https://twitter.com/ISOKO_MOCHIZUKI/status/1311117180419809281

 これはマスコミ「私僕」化への一典型事例だろう。何とも不気味で不愉快な話だ。外国と比べてもしかたないが、こういうのに記者会として抗議したり、まとまって拒否したり(ボイコット?、ストライキ?)……。日本の記者の多くはそういうことはやらないらしい(かつてはそうでなかったように思うが……)。また、日本の「受け手」の多くも抗議やボイコットを当然とは思わないらしい(これもかつてはそうでなかったように思うが……)。

 マスコミ馴致のほんの一端とはいえ、こうした情報を伝えてくれた望月さんと以下に引用する「リテラ」には感謝したい。

 “報道されないもの、知らされないものは、ないものと同じである”。

 以下、「リテラ」9月30日付記事「菅首相が総理番記者60人と朝食付きで「完全オフレコ懇談会」! 記者会見を制限しながら裏で懐柔、丸め込まれる大新聞とテレビ局」より引用する。
 
菅首相が総理番記者60人と朝食付きで「完全オフレコ懇談会」! 記者会見を制限しながら裏で懐柔、丸め込まれる大新聞とテレビ局|LITERA/リテラ

<前略>
本サイトが得た情報によると、「オフ懇」は10月3日と10日の2回に分けておこなわれるといい、対象となるのは内閣記者会(官邸記者クラブ)に加盟する全国紙や在京キー局などの常勤幹事社19社の総理番記者。すでに官邸報道室から常勤幹事社に通達が出されているという。
「うちにも通達は来ています。常勤幹事社の総理番だけでも60人くらいになるので、それで2回に分けてやることになったみたいですよ」(全国紙政治部記者)

 言っておくが、官邸報道室は今年の4月以降、新型コロナの感染拡大を盾にして官房長官会見に出席できる記者の数を「1社1人」に制限し、イベントの人数制限を緩和した一方でこの記者会見の人数制限をいまだに継続させている。これは総理会見も同様で、9月16日におこなわれた菅首相の就任会見も「1社1人」に制限されていた。
 にもかかわらず、「完全オフレコ」が大前提となっている懇談会では人数制限もせず、わざわざ2回も開くとは……。本来、国民が視聴できる会見こそ制限なくおこなわれるべきなのにそれをせず、逆に官邸記者クラブの常勤幹事社以外クローズドの記者との懇談は制限をかけないとは、滅茶苦茶ではないか。
 首相が大出血サービスで、大手メディア限定で2回も懇談会の場をわざわざ設ける──。これが露骨な“メディア懐柔”であることは疑いようもないだろう。

 菅首相といえば、柿崎明二・共同通信社前論説副委員長を首相補佐官に起用することが発表されたばかりだが、安倍政権に批判的なコメントをしていた政治記者と裏で繋がり側近に引き立てるという、そのメディア支配の狡猾さを見せつけたばかり。そして、さっそく「オフ懇」の開催で“エサ”をばら撒き、記者を飼いならして黙らせようというのである。
いかにも菅首相らしいメディア懐柔には反吐が出るが、問題は、こうした場に嬉々として出席する記者、記者を送り出す社の姿勢だ。

オフ懇」に対しては、“オフレコとはいえ記者が総理に直接話を聞ける貴重な場のひとつ”などと肯定する意見もあるが、それは記者がオフレコという約束を破って国民に情報を公開する勇気があればの話だ。
 しかも、「オフ懇」の実態は“直接話を聞ける貴重な場”にさえなっていない。実際、昨年12月27日におこなわれた安倍首相と総理番の「オフ懇」では、長谷川栄一首相補佐官が最初に「くれぐれも取材しないでください」と述べたことから「桜を見る会」やIR汚職問題についても記者から質問は出ず、挙げ句、毎年恒例になっているという安倍首相や菅官房長官との2ショット撮影会にまで記者が嬉々として参加していたというからだ(日刊ゲンダイ2019年12月28日付)。ちなみに、この「オフ懇」を蹴ったのは、毎日と東京新聞だけだった。
 肝心の「取材」を封じ込められる時点で、たんなる馴れ合いの場でしかないうえ、今回は官邸報道室から「完全オフレコ」という厳しい条件がつけられているという。ようするに、国民には情報を一切知らせず「一緒に仲良く朝食を食べるだけ」という話なのだ。

 繰り返すが、公の場である総理会見や官房長官会見では人数制限をかけられている状態にある。内閣記者会はそれに異議申し立てをおこない、「オフ懇」出席をボイコットすべきなのは言うまでもない。
 実際、菅首相から“天敵”扱いされてきた東京新聞の望月衣塑子記者も、今回の「オフ懇」開催についてツイートし、〈ぶら下がりなどオモテ取材には応じないが、ウラではマスコミ懐柔を図る官邸。さて、どの社が参加するのか。注目だ〉と言及しているのだが、当然の指摘だろう。

朝日新聞菅首相歓迎、『報ステ』『news23』は菅のブレーンを無批判インタビュー

 しかし、どうやら大手メディアの政治部には、「オフ懇」参加に対する反発や抵抗感といった空気はほとんど流れていないようだ。
「読売や産経、日テレ、フジといった特定のメディアを優遇して情報を流してきた安倍首相と違って、菅首相は広くアメをばらまいている。大手マスコミの政治部には菅歓迎ムード一色。安倍政権とは敵対していた朝日の政治部までが『菅さんは話が通じる人』『やっとまともな首相になった』などと、歓迎ムードに包まれている。朝日の政治部幹部にはもともと菅首相と同じ新自由主義者も多いし、論調は安倍政権のときから一気に変わるはず」(政治評論家)

 そうした菅首相への“歓迎ムード”“忖度”ぶりは、報道から見て取れる。現に、テレビのニュースやワイドショーでは、河野太郎・行革担当相がぶち上げた「ハンコ廃止」などを大きく取り上げる一方、昨年亡くなった中曽根康弘・元首相の“2度目の葬儀”費用を約1億円も公費負担するという閣議決定や、自民党杉田水脈衆院議員の「女性はいくらでもウソをつけますから」という暴言問題はほとんど取り上げられず取り上げても小さな扱いで片付けられている。そして、『報道ステーション』(テレビ朝日)や『news23』(TBS)といった番組でさえ、竹中平蔵氏やデービッド・アトキンソン氏といった菅首相と会食を繰り返してきた“菅首相新自由主義ブレーン”を出演させ、無批判に主張を垂れ流させている始末だ。

 この調子だと、国民が蔑ろにされたままの会見人数制限問題などないことのように、内閣記者会常勤幹事社の大手マスコミは「オフ懇」にもいそいそと参加するのだろう。しかし、その行為は国民の「知る権利」を踏みにじる背信行為だと強く言っておきたい。




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