ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「迷惑かけなければ抗議の意味ない」

 日本学術会議の会員任命拒否問題に抗議して、10月7日付で佐藤康宏・東大名誉教授が文化庁有識者会議(登録美術品調査研究協力者会議)の座長を辞任したという。昨日12月15日付東京新聞にも望月衣塑子記者の署名入り記事があった。以下、引用。

【独自】「首相の違法行為」学術会議任命拒否に抗議し辞任 東大名誉教授が文化庁の会議座長を:東京新聞 TOKYO Web


◆「迷惑かけなければ抗議の意味ない」
 佐藤氏によると、10月1日に報道で任命拒否を知り、同3日午後、文化庁の担当者らにメールで「専門家を専門家として尊重しない政府のために働くつもりはない。今後は政府関係の仕事はすべてお断りする」「会議直前で迷惑をかけるが、多少とも迷惑をかけなければ抗議の意味もない。よろしく御理解願う」などと辞意を伝えたという。5日に担当者から電話で慰留されたが、意思は固く、別のメンバーを座長にしてもらうことで合意し、7日付で辞任した。
 佐藤氏は「菅首相杉田和博官房副長官は、一貫して戦争目的の科学研究に慎重な姿勢を示してきた学術会議を邪魔な存在とみなし、特定秘密保護法や安保関連法に異を唱えてきた6人を意図して排除した」と指摘。「任命拒否は、大学やその他の研究機関を軍事研究に向かわせようという明確な目的をもって行われた。官邸は、法を犯してでも人事に介入し、学術研究を政府の意思に従わせようとしている」とみる。

◆市民への影響を懸念
 「私は学術会議とは縁もゆかりもないが」と前置きした上で、「拒否された6人の教授の自由を守らないことは、いくらでも学問の自由を時の政権に売り渡すことになる。首相の違法行為を許せば、研究者だけの問題にとどまらず、芸術家やメディアを含め、あらゆる表現者、そして市民にも確実に影響を及ぼすものになるだろう」と警鐘を鳴らす。


「登録美術品調査研究協力者会議」という「有識者会議」がどういうものか、この座長から佐藤氏が退くことが文化庁や政府にとってどう「迷惑(痛手)」なのか……等、詳しいことはわからない。ただ、なあなあにしたくはなかったのだろう。「多少とも迷惑をかけなければ抗議の意味もない」という言葉にその意思を感じる。この国では「迷惑をかける」という語(みなされる行為)がどれだけ悪徳の強迫性を帯びているか(「人に迷惑をかけなければ何をしてもよい」などと言われるくらいだ)。だから、佐藤氏は抵抗する意思表示をしたのだ。それは、今のご時世では「対決」と言っても決して大げさではない。あとは、人々がこれをどう受け止めるかだろう。

 佐藤氏の辞任を受けて、かつて1960年の安保闘争中の強行採決に抗議して東京都立大学教授を辞職した中国文学者の竹内好(よしみ)さんのことを思い出した方もいるようだ。小生には当時のことは分らないが、竹内さんの書いたものはよく読んだ。今回の学術会議の任命拒否など、竹内さんが生きていたら舌鋒するどくスガ政権を罵るだろう(いや、冷静に、か…?)。同時に、なぜ世論は黙したままずるずると政府主導の学術会議の組織改編に話をすり替えられようとしているかを人々に問うだろう(重く…)。

 竹内さんは「中国の近代と日本の近代」で概略次のようなことを書いている。多少中国を「美化」、理念化しているところはひっかかるが、なぜこの国で今(も)「世論が黙しているか」を説明しているような気がする。

 日本の明治維新(1868年)と中国の辛亥革命(1911年)には約50年の隔たりがある。革命(変革)が日本の方が中国より早かったのは、日本文化の「優秀さ」のひとつの現れである。と同時に、その革命の「質」のちがいが、「優秀さ」の方向をも示している。東洋諸国の中で、日本ほど容易に「革命」が「成功」した国はない。日本はヨーロッパに対して、ほとんど抵抗を示さなかった。日本に敗北を喫した中国・清朝では、中途半端な改革ではどうにもならないという危機感をもったはずの進歩的官僚の間でさえなお、「中国の学問が基本、ヨーロッパの学問(西学)はあくまで補足」というスタンスは変わっていない。そして、それさえも反動派によってつぶされた。このときつぶされたのが、近代日本を手本にしようとした運動だった。
 魯迅は「自分が日本に留学したいと強く思ったのは、まさにこのときだった」と書いている。当時の日本が魯迅にとってどれほど「文明」的に見えたのかは、留学の記録から明らかだ。しかし、その「文明国」日本での留学体験の続きを、魯迅は次のように書いている。「…ある日のこと、(日本の)弘文学院で大久保先生が私たち(中国からの)学生を集めて言うには、『君たちはみんな孔子の国の学生なのだから、今日は御茶ノ水孔子廟湯島聖堂)へ敬礼しに行こうか』と。自分は大変驚いてしまった。孔子とその徒に愛想が尽きたから日本に来たのに、なぜまた、ここ(文明国のはずの日本)で孔子を拝むことになるのか。そう感じたのは自分一人ではなかったと思う」と。
 これは日本と中国の文明の「質」のちがいをよく現している。そして、それは明治維新を成功させた日本文化の「優秀さ」とその方向性に原因がある。日本の指導者たちは「優秀」だった。彼らの進歩主義は強く、反動は相対的に弱く、その根は絶たれた。しかし、それと一緒に革命そのものの根も絶たれてしまったのではないか。中国では、官僚内部の不平不満を圧殺するほど反動の力が大きかった。そして、それが革命を民衆へと追いやり、人民の間に革命の根をはらせた。日本では、人民の運動やエネルギーは、士官学校(軍)と帝国大学(官僚)というふたつの管によって体制に吸い上げられ、枯らされた。
 日本文化の「優秀さ」は何に由来するのだろうか。それは指導者の「優秀さ」ということもあるだろう。制度や社会にも関連があるだろう。しかし、私にはそれだけでは説明しつくせぬものがあるような気がする。ヨーロッパとの出会いで、なぜ日本だけが抵抗を示さなかったのか。他国には抵抗の型のようなものがあるのに、日本には型といえるようなものがない。つまり抵抗がない。強いて言えば、型がないのが日本型である。
 日本文化はいつも外へ向いていて、新しいものを待っている。文化はいつも西からやって来る。儒教も仏教もそうだ。だから待っている。鎖国は選択ではあっても拒否ではない。江戸期の町人文学は明末中国の都市文学なしには考えられない。芭蕉西鶴、馬琴、みんなそうだ。それは構造を変えない。新しい主人であるヨーロッパが抵抗なく乗っかることのできる土台を備えている。孔子儒教の上にも日本の近代は心地よく乗っかることができる。乗っかっていることが意識されないほどぴったりとはまっている。だから、日本人の大久保先生は魯迅にあのようなことを言う。
 日本文化は、その伝統の中に「独立」という体験をもたないのではないか、そのために「独立」という状態が実感として感じられないのではないか、と私は思う。外から来るものを苦痛としてとらえ、それに抵抗しつつ受け入れるという体験が少ない。自由の味を知らぬ者は、自由であるという暗示だけで満足してしまう。ドレイは自分がドレイであると思わないところがすでにドレイである。苦痛を「呼び覚まされる」というのは日本文化には無縁なのではないだろうか。

竹内好『日本とアジア』、ちくま学芸文庫、50-54頁の要旨)


 むかし学校で働いていた時、これを読んだ生徒に感想を求めたら「日本文化は『優秀』だということが分った」と何人も書いていたのには少々驚いた。もちろん、主旨を理解した上で反論する生徒もいた。しかしこれは、「国語力」の問題だけではないのではないか。



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