ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

日本のデジタル化の「遅れ」について

 狭い日本のさらに内の内に籠もって暮らす人間には、「外」からの視点は非常におもしろく感じる。
 毎日新聞に「私が思う日本」という連載がある。東京駐在の外国メディアの特派員たちが交代で書いている記事で、日本で感じた違和感を伝えている。12月6日の朝刊では、キャッシュレス化やデジタル化が進まない日本の現状を、「朝鮮日報」特派員の崔銀京記者が考察している。

私が思う日本:外国メディア特派員が見た「変革なき社会」 崔銀京記者、フィリップ・メスメール記者 | 毎日新聞

デジタル化 行政申請、窓口なお主流
 韓国では、日本留学経験のある先輩が後輩にこうアドバイスをする。「印鑑、小銭入れ、キーホルダーは日本で生活するための『三種の神器』だ。生活に慣れるだけでも大変なのだから、この三つは必ず準備した方がいい」
 韓国社会では以前からキャッシュレス化やデジタル化が進んでおり、「三種の神器」が消えて久しい。住宅の鍵も暗証番号を入力するオートロックがほとんどだ。私も韓国で約10年にわたり、全ての決済をクレジットカードやスマートフォンで済ませてきた。
 2018年、語学研修のため日本に住み始めて、「三種の神器」がいかに重要であるかを痛感した。多くの店舗でキャッシュレス決済ができずに現金での支払いを求められ、役所の手続きでは印鑑を押すよう要求される。マンションの玄関は大半が旧式の鍵だった。

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「キャッシュレス・ロードマップ 2019」による

(出所:2020年6月9日付「PAYcierge」)

 19年のある日、自宅近くの郵便局で、QRコードを利用したスマートフォン決済サービス「ゆうちょPay(ペイ)」を新たに導入したという広告を見つけた。「韓国人でも通帳があれば利用できますよ」と郵便局職員がアプリのダウンロードを勧めてくれた。日本の「現金文化」は最後まで越えられない難関だと思っていただけに、目の覚めるような提案だった。しかし期待はすぐに失望に変わった。職員は「ゆうちょペイ(のアカウント)を作っても郵便局では利用できません」と説明した。郵便局では相変わらず、現金しか受け取らないというのだ。

「今のまま」肯定
 QRコードを最初に開発したのは日本人なのに、なぜ積極的に使わないのだろうか。キャッシュレスに伴う手数料の負担はないのに一般消費者も現金を好んでいるのだろうか。次々と疑問がわき、消費者に対する調査結果を調べてみた。すると、ほとんどの人が「(現金を使う)今のままでもいい」と回答していた。
 日本で生活してみると、日本社会が「今のままでもいい」という落とし穴にはまっていると感じることが少なくない。役所は「今のままでもいい」と考えているからなのか、マイナンバーカードの普及や電子行政システム導入の必要性をさほど強く感じていないように見える。印鑑とファクスで仕事を見事にこなしてきたという経験が、デジタル化を阻んでいるのだろうか。
 総務省によると、19年時点のキャッシュレス決済比率は26・8%。日本政府は19年6月の閣議決定で、大阪・関西万博が開かれる25年の6月までに、キャッシュレス決済比率を40%程度まで引き上げることを目標に据えた。

 今年、特派員として東京に戻り非常に驚いた。少なくとも東京では支払いが現金のみの店を見つける方が難しいほどキャッシュレス化が進んでいると感じたからだ。郵便局も、ゆうちょペイだけでなく電子決済サービスにも対応できるようになっていた。
 だが日本のデジタル化はまだまだ道半ばだと感じる。日本全国の市区町村では今年7月、新型コロナウイルスのワクチン接種を公的に証明する「ワクチンパスポート」(ワクチン接種証明書)の申請受け付けが始まった。海外の渡航先で示すことで、入国後の隔離などの防疫措置が減免されるという。オンラインでの申請は順次導入されているが、窓口や郵送での申請にしか対応していない自治体もある。発行された証明書の受け取りは現時点で窓口か郵送に限られている。
 韓国のワクチン接種証明書は、申請だけでなく発行も当初からオンラインに対応している。韓国では転出届や転入届を含めて、ほとんどの行政手続きをオンライン上で済ませることができる。

 日本では、社会の発展が遅れる事例が、一つ、二つと積み重なっているように思う。「今のままでも十分だ」という「信仰」が、社会の変化を妨げてはいないだろうか。印鑑を押す必要があるために在宅勤務が難しく、特別定額給付金を受け取るために1カ月以上も待たねばならない社会をいつまで「今のままでいい」と言えるのだろうか。
 菅義偉前首相は今年9月にデジタル庁を発足させた。行政サービスが今のままではいけないと認識し、改革の決意を明確にしたのは重要なことだ。
 新型コロナウイルスの流行によって多くの人々が感染し、命を落としたことは残念でならない。願わくは、せめてそれが「今のままでもいい日本」という強固な「信仰」を打ち破るきっかけになってほしい。この小さな落とし穴から一歩でも抜け出せたら、より良い日本が見えてくると思う。【訳・日下部元美】


 キャッシュレス化では世界の最先端にある韓国の人から見れば、日本の現状に「遅れ」を感じるのは当然のことかもしれない。日本でも高額の送金や支払いはさすがにキャッシュレスだが、生活圏の少額の商取引にまでなかなかそれが「下降」していかないのは、社会全体の保守化がシステム刷新の意欲をそいでいる面があるのは否定しがたい。
 しかし、これを「今のままでも十分だ」という「(保守的)信仰」と一括りにできるかというと、そこは少々留保が必要ではないかと思う。素朴な社会進歩の「信仰」をもつ人々には、こうした「無変化」は「無気力」に見えるかもしれないが、「変化」と「現状維持」を天秤にかけて、「変化」の方にメリットが多いと判断すれば、小生らのような老人世代はともかく、この日本でも大勢はそちらに動くのではないか。では、何が「足かせ」になっているかというと、その断片が、記事があった紙面のちょうど裏面にある「社説」の中に見えるように思う。ひょっとして、この二つの記事の「コラボ」には意図があるのだろうか。

社説:マイナカードの普及 ポイントより不安解消を | 毎日新聞

 マイナンバーカードを普及させるため、政府は買い物に使えるポイントを最大2万円分付与する。
 取得に加え、新たに健康保険証として利用したり、公的な給付金を受け取る口座を登録したりする人を対象とする。
 だが個人情報保護を巡る国民の不安は根強い。それが解消されないまま、1・8兆円もの予算を投じて一気に普及させようという手法には首をかしげざるを得ない。
 2016年の発行開始以降、カードの普及は伸び悩んだ。政府は昨年、取得した人に5000円分のポイント付与を始め、交付枚数は国民の4割の約5000万枚に増えた。今回ポイントを手厚くして、23年春にほぼ全ての国民に交付する目標を達成したい考えだ。
 新型コロナウイルス対策では国民への一律10万円給付を巡る混乱が起きるなど、行政のデジタル化の遅れが浮き彫りになった。カードの利用で役所の手続きが円滑になれば、利便性も高まる。
 だがカードを持たない国民はまだ多い。民間調査によると、情報流出の不安を挙げる人が目立つ。とりわけ医療と金融はプライバシーの根幹に関わる。
 政府は「情報はカード本体には記録されず、紛失しても漏れることはない」と説明する。
 しかし国の個人情報保護の体制が不十分なままでは、不安を拭うのは難しい。
 保護を厳格にするには法規制の強化が必要だ。だが国が集めた個人情報については、本人の同意なしに外部への提供を認める条件が甘いと指摘されている。
 デジタル庁では、国が持つ個人情報を民間活用し、経済の活性化を図る政策が優先されている。
 監視役の個人情報保護委員会は人員が少ない。対象が企業に限られる今でもチェックが十分できておらず、行政機関にまで広げて対応できるのか疑問だ。
 デジタル社会の基盤は国民の理解と信頼である。ポイントでカードをいくら普及させても、不安が解消されなければ、利用は広がらないのではないか。
 政府は「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」との方針を掲げている。ならば、安心して使える手立てを十分に講じるのが先決だ。


 ここにあるのは(いや、ないのは、か…)「信仰」ではなく「信頼」である。
 一代前の話だが、デジタル化を進める官庁のトップには、しかるべき識見のある者を立てなければならないのに、国会審議中に「ワニ動画」を見ているような人間を就けることが適当なのか。いや、彼は政権党内で最も「デジタルに精通した人」だ、だから「ふさわしい」のだ、と。いやでも、そう言われても、知識と倫理(社会的使命感)がどうにも釣り合わず、とても善良なる識者には見えない。それで人々にとって安心できるシステムをつくれるだろうか、ひょっとしたら、また「中抜き」よろしく特定の業者がもうかるだけのシステムにするのではないか。あるいは、マイナで言えば、個人情報を一方的にかき集められ、それが後になって流出しようが、何かに利用されようが、知ったことではないというだけのシステムになるのではないか。そうした不安と不信が拭えない。何せこの国は、都合が悪くなると、文書を黒塗りするにとどまらず、シュレッダーで廃棄し、改竄するのも辞さない国なのである。
 「安心して使える手立て」かどうかよりも、システムをつくり動かす人が「信頼」に足るかどうか、そちらの方が先決になっている。疑いなきはずの大前提がそもそも「前提」たりえないというのは、極めて情けなく恥ずかしい話だけれど。





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中村哲さんの二周忌に

 中村哲さんが亡くなった2019年12月4日から2年。今年3月20日川崎市国際交流協会が主催した「地球市民講座」で、中村さんと親しかったという前駐日アフガニスタン特命全権大使バシール・モハバット氏が行った講演の抄録を読んだ。部分引用を許されたい。

https://www.kian.or.jp/pdf/news/153-2107/02-03.pdf

 中村先生は長年にわたり、医療支援をはじめ、農業支援、そして灌漑事業を通し、砂漠だった土地を緑豊かな土地に変えてくださいました。
 中村先生は「100の診療所より一本の用水路を」と訴え、干ばつの悪化により、水不足・栄養失調・感染症に苦しむアフガニスタンの人々の生活を変えるため、その生涯をささげてくださいました。自ら現地の人々と共に生活をされた中村先生だからこそ、現状を変えるためには、水環境を整えることが第一だという考えに至ったと思います。1,600カ所以上の井戸を掘ることにより、住民がきれいな水を飲めるようになり、そして水路をつくることにより農地に水が行き渡り、農産物が育って、100万人以上もの人々の生活が変えられ、よくなりました。
 現地では中村先生は「カカムラッド(ムラッドおじさん)」と呼ばれ、子どもから大人まで多くの人々に慕われていました。日本人であり、アフガン人でもある「カカムラッド」は私たちのヒーローです。先生を救えなかったことは本当に申し訳ないと思っております。悔しさと悲しみで胸がいっぱいです。アフガニスタンの人々のために全力を尽くしてくださった先生の復興支援への献身と努力は、言葉で言い尽くすことができません。

 ……2003年に私は一等書記官として大使館に入りました。中村先生とはなぜかすぐお互いに非常に親しくなりました。
 先生はね、人間の偉大さとか、心の広さとか、証明した人。自分の一番大事な人生の若い時をアフガニスタンで過ごしたということ自体がそう。もともとアフガン人は平和好きで、非常に明るい。お客さんを大事にしたり、おもてなしの国。風景がものすごくきれい。あと料理もむちゃおいしい。何よりも人間がいい。だから、先生もそこに惚れたというのもあるんです。他方には、残念ながら42年間の戦争で、病気だとか、貧しさだとか、確かに続いた国なんです。戦争の中ですから、いろんな争いとか、そんな難しい環境の中で、先生は36年過ごされたんです。

 私個人、何回も人生の難しいとき、困難なとき、言われた先生の一言「いや、モハバットさん、やればできる」って…いっつもこれを言われてた。「やればできる」、そう、それを証明した方です。みなさんもそれぞれ悩みとか難しさとか問題とか、いろいろあると思うんです。でも、先生があの(砂漠を緑にした用水路の)プロジェクトをやったことに比べると、何て小さな悩みかなといつも思うんです。……

 アフガニスタンは四つの季節があって、ちょうど日本と一緒で春夏秋冬なんだけど、冬は結構厳しいです。3,000から4,000mの山があって、雪もたくさん降ります。だから、結構水も豊富なので、周りの国は全部アフガニスタンから水をもらっています。先生はあちこちにダムを造る計画も全部していました。大統領とか政府とも話し合っていたんです。ダムがないと電気もない、農業も困るんです。そこで、残念ながらテロが起こったのは水のこと。非常に大事なポイントだったからです。これは完全にテロ。アフガン人は、絶対に先生に対してそんなことするわけがないんです。……

 アフガニスタンのこんな戦争や難民がいつ始まったかと言いますと、1979年12月27日。これは旧ソ連の侵略です。私が日本に来たのは1976年で、その時のアフガニスタンの生活は、ほとんど東京とかわらなかったんです。首都カブールには一ヶ月以内に、ロンドン、パリ、ミラノのファッションが(来ていました)。非常にハイクラスで、私が東京に来たばかりの時、羽田はまだ丸い眼鏡の世界でした。こんな目にあわせたのは、あの戦争なんです。戦争の12年間。アフガニスタンはひどく戦って、2から300万人の犠牲者を出して、1,000万の難民も出して、国がぼろぼろになった闘い。その代わりに旧ソ連も崩壊、共産主義も終わり、たくさんの国も自由になった。ただ残念ながら、たくさんの問題は今日まで、戦争、ちょっと変わっただけで(続いています)残念ながら。……
             (文字起こし・編集:川崎市国際交流協会 加藤さん)

 モハバット氏にかぎらず、中村さんの「偉大さ」を語るときには、必ず、医療活動、農業支援、井戸掘りや用水路、その資材、資金集めなどの苦労が取り上げられる。もちろんこれらは普通にできることではない。しかし、あえて言えば、中村さん一人でやれることでもないことに目を向けたい。

 アフガニスタンはずっと戦乱にさらされ、さまざまな犠牲を強いられてきた。人命の損失と国土の荒廃に、当地で生きている人たちは相当な心の痛手を被ったと推察する。挫折は無気力や失望をよび、 自暴自棄を蔓延させたはずだ。中村さんが井戸を掘るとか、用水路を造ると言っても、どうせ無理だという冷笑の方が多かったにちがいない。それは戦乱がなくても、日本でも、どこの国でも同じ困難さはあると思う。

 そう考えると、「いや、…やればできる」と、アフガニスタンの人々が中村さんに共感してやる気になり、中村さんと共に動いて、成果をあげ、自信と誇りを回復させたことは、人間にとって、社会にとって、とても大切なことだったと思う。中村さんなくしてアフガニスタンの人々はなく、アフガニスタンの人々なくして中村さんはなかったのではなかろうか。中村さんの「偉大さ」とともに、共に動いたアフガニスタンの人々にも敬意を表したいし、中村さんとの信頼関係をうらやましいとさえ思う。




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土地の相続で考えたこと

 相続税の申告の準備をしているが、少々難儀もしている。税理士に頼めばよかったのだが、行きがかかり上、自力でやることになり、預貯金や自宅だけなら「素人」でも、税務署のマニュアルに従って何とかできそうな感じはあったが、田や畑、借地など土地が絡むと複雑な要素がいろいろとあることがだんだんわかってきて慌てだした。ある税理士のHPを眺めていたら「土地にはひとつとして同じ土地はない」と書いてあり、最初は大げさな感じがしたが、今はなるほどなと思う。

 遺産の土地のなかに父親を含む16人の共有地というのがある。いびつな花瓶のような輪郭をした土地で、法務局に行って調べると、分筆と合筆、相続・売買が積み重なり、出てきた登記事項証明書は分厚いものだった。なぜ、共有なのか、変だなと思ったが、公図を眺めると、その奥に父親の所有地の畑があるので、そこに行くまでの「私道」が必要となり、周りの土地の所有者と相談して共通の通り道を確保したということなのだろう。もっとも、父親にしても、この権利は相続しただけで、元々は先祖の誰かの代から始まったことで、事の詳細を把握していたかどうかはわからない。小生の子どもの頃の記憶では、奥のその畑ではキャベツをつくっていたはずで、通り道は別ルートだったような気がする。しかし、今は周辺が宅地開発され、家も十数軒建っている。住民はこの「私道」を通って表の道路に出ているわけで、彼らにとっては、ここは「公道」であって、よもや誰かの(複数の)所有地で、そこを通らせてもらっているという認識はないだろう。
 16人の共有とはいえ、今は互いのことなど知らないだろう。実際、登記事項を眺めて名前を見ても、どこの誰なのかわからない。すでに周囲の土地は「切り売り」されて状況は一変してしまったが、今までのところ、特に問題もなく推移してきた。お互いに知らないことが幸いしているかもしれない。しかし、もし、これが誰か一人の所有地で、どこぞやの地権者のように、通行料を払わなければ通らせないと、通りを封鎖でもしたら…などと、妙なことも考えてしまう。

 世の中には曖昧でグレーなままにしておいた方がいいこともある。若い時分はこんなのは責任逃れの先送りとしか思えなかったが、今は人間社会のひとつの知恵だと思う。土地の所有については、所有は権利という考え方がある。生きた個人でなくても、法人や国でもそれは可能で、そこまではいいとしても、これに「絶対不可侵」とか「排他的」という装飾をして、その通りにしようとするとトラブルの素になることもある。
 これは所有というよりは「領有」だが、領土問題などはその最たる例で、白黒をはっきりさせようとすると、かえってやぶへびになる。「北方領土」はもちろん現ロシアの前身ソ連による第二次大戦末期の不法占領に端を発する問題だが、その後元の島民と四島の間でせっかく相互交流を通じて信頼関係を築いてきたのに、安倍外交の結果は、状況の打開を今や極めて難しいものにしている。尖閣問題にしても「国有化宣言」がなければ、今日のような日中関係になっていたかどうかわからない。実利をともなわない一方的な思い入れの表明や面目は、対立感情を顕在化させ事態をこじらせるだけのように思える。

 もうひとつ、「絶対不可侵」「排他的」と銘打った土地所有は、確定された範囲内で土地を自由に利用し処分する権利があることを意味すると同時に、そこには排他的管理責任(自己責任)があることも意味している。まさに自由と責任の関係である。しかし、年々荒れ地が広がっていく田畑を見るにつけ、果たして、「排他的」所有権を付された個人がその責任を果たせるのかと思う。小生などは畑に生える草を取り木々の剪定をする程度だが、高齢化が進めばだんだんそれさえままならなくなるだろう。町内会で近所の側溝の掃除をする場合、出て来られないお年寄りの自宅脇の側溝を、来てないからといって、そこだけそのままになどは普通はしない。みんなでやるだろう。そういう「おせっかい」が排他的土地所有の場合、どこまで可能か。
 耕作や管理が放棄された土地を相続した人はどうするか。土地をどこかに売れるのなら売るかも知れないが、そうでなければ固定資産税だけ負担してそのままである。これは、農村部だけの話ではなく、都市部の空き家も同様で、問題の根は同じだ。結局、大きな組織が収用し、もし、それが企業体でなく自治体や国であったとしても、それを媒介にして、大資本に払い下げて…というような展開も予想する。今さかんに地籍調査が進められているのは、そういう展開を見越しているからではないかと疑念を抱く。まあでも、これはまだ「妄想」の類いだと思いたいが…。

 昨日父親から畑地を借りて家庭菜園をしているご夫婦が来宅して「歳暮」をおいていった。もう、父親はいないし、こちらは、狭い畑とはいえ荒れ地にしないで(草を取るなど管理してもらって)助かってるから、そんなに気を遣わなくてもいいと思うのだが、ご夫婦からすると、父親に世話になったし、何よりも全くのタダってわけにはいかないというところだろう。しかしこれを、人の土地を使ってるんだから当然地代を払うべきだと言って、賃借関係にでもしたら状況は一変するだろう(地代なんてたいした額にならないと思うが)。もし企業心とか意欲でもあれば、そういうことを考えるかも知れないが、まあこのままグレーでいいんじゃないかなと思う。




 
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