ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

中村哲さんの二周忌に

 中村哲さんが亡くなった2019年12月4日から2年。今年3月20日川崎市国際交流協会が主催した「地球市民講座」で、中村さんと親しかったという前駐日アフガニスタン特命全権大使バシール・モハバット氏が行った講演の抄録を読んだ。部分引用を許されたい。

https://www.kian.or.jp/pdf/news/153-2107/02-03.pdf

 中村先生は長年にわたり、医療支援をはじめ、農業支援、そして灌漑事業を通し、砂漠だった土地を緑豊かな土地に変えてくださいました。
 中村先生は「100の診療所より一本の用水路を」と訴え、干ばつの悪化により、水不足・栄養失調・感染症に苦しむアフガニスタンの人々の生活を変えるため、その生涯をささげてくださいました。自ら現地の人々と共に生活をされた中村先生だからこそ、現状を変えるためには、水環境を整えることが第一だという考えに至ったと思います。1,600カ所以上の井戸を掘ることにより、住民がきれいな水を飲めるようになり、そして水路をつくることにより農地に水が行き渡り、農産物が育って、100万人以上もの人々の生活が変えられ、よくなりました。
 現地では中村先生は「カカムラッド(ムラッドおじさん)」と呼ばれ、子どもから大人まで多くの人々に慕われていました。日本人であり、アフガン人でもある「カカムラッド」は私たちのヒーローです。先生を救えなかったことは本当に申し訳ないと思っております。悔しさと悲しみで胸がいっぱいです。アフガニスタンの人々のために全力を尽くしてくださった先生の復興支援への献身と努力は、言葉で言い尽くすことができません。

 ……2003年に私は一等書記官として大使館に入りました。中村先生とはなぜかすぐお互いに非常に親しくなりました。
 先生はね、人間の偉大さとか、心の広さとか、証明した人。自分の一番大事な人生の若い時をアフガニスタンで過ごしたということ自体がそう。もともとアフガン人は平和好きで、非常に明るい。お客さんを大事にしたり、おもてなしの国。風景がものすごくきれい。あと料理もむちゃおいしい。何よりも人間がいい。だから、先生もそこに惚れたというのもあるんです。他方には、残念ながら42年間の戦争で、病気だとか、貧しさだとか、確かに続いた国なんです。戦争の中ですから、いろんな争いとか、そんな難しい環境の中で、先生は36年過ごされたんです。

 私個人、何回も人生の難しいとき、困難なとき、言われた先生の一言「いや、モハバットさん、やればできる」って…いっつもこれを言われてた。「やればできる」、そう、それを証明した方です。みなさんもそれぞれ悩みとか難しさとか問題とか、いろいろあると思うんです。でも、先生があの(砂漠を緑にした用水路の)プロジェクトをやったことに比べると、何て小さな悩みかなといつも思うんです。……

 アフガニスタンは四つの季節があって、ちょうど日本と一緒で春夏秋冬なんだけど、冬は結構厳しいです。3,000から4,000mの山があって、雪もたくさん降ります。だから、結構水も豊富なので、周りの国は全部アフガニスタンから水をもらっています。先生はあちこちにダムを造る計画も全部していました。大統領とか政府とも話し合っていたんです。ダムがないと電気もない、農業も困るんです。そこで、残念ながらテロが起こったのは水のこと。非常に大事なポイントだったからです。これは完全にテロ。アフガン人は、絶対に先生に対してそんなことするわけがないんです。……

 アフガニスタンのこんな戦争や難民がいつ始まったかと言いますと、1979年12月27日。これは旧ソ連の侵略です。私が日本に来たのは1976年で、その時のアフガニスタンの生活は、ほとんど東京とかわらなかったんです。首都カブールには一ヶ月以内に、ロンドン、パリ、ミラノのファッションが(来ていました)。非常にハイクラスで、私が東京に来たばかりの時、羽田はまだ丸い眼鏡の世界でした。こんな目にあわせたのは、あの戦争なんです。戦争の12年間。アフガニスタンはひどく戦って、2から300万人の犠牲者を出して、1,000万の難民も出して、国がぼろぼろになった闘い。その代わりに旧ソ連も崩壊、共産主義も終わり、たくさんの国も自由になった。ただ残念ながら、たくさんの問題は今日まで、戦争、ちょっと変わっただけで(続いています)残念ながら。……
             (文字起こし・編集:川崎市国際交流協会 加藤さん)

 モハバット氏にかぎらず、中村さんの「偉大さ」を語るときには、必ず、医療活動、農業支援、井戸掘りや用水路、その資材、資金集めなどの苦労が取り上げられる。もちろんこれらは普通にできることではない。しかし、あえて言えば、中村さん一人でやれることでもないことに目を向けたい。

 アフガニスタンはずっと戦乱にさらされ、さまざまな犠牲を強いられてきた。人命の損失と国土の荒廃に、当地で生きている人たちは相当な心の痛手を被ったと推察する。挫折は無気力や失望をよび、 自暴自棄を蔓延させたはずだ。中村さんが井戸を掘るとか、用水路を造ると言っても、どうせ無理だという冷笑の方が多かったにちがいない。それは戦乱がなくても、日本でも、どこの国でも同じ困難さはあると思う。

 そう考えると、「いや、…やればできる」と、アフガニスタンの人々が中村さんに共感してやる気になり、中村さんと共に動いて、成果をあげ、自信と誇りを回復させたことは、人間にとって、社会にとって、とても大切なことだったと思う。中村さんなくしてアフガニスタンの人々はなく、アフガニスタンの人々なくして中村さんはなかったのではなかろうか。中村さんの「偉大さ」とともに、共に動いたアフガニスタンの人々にも敬意を表したいし、中村さんとの信頼関係をうらやましいとさえ思う。




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