ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「戦争のできない国」と「国防意識」

 ウクライナ南部の拠点都市ヘルソンからロシア軍が撤退し、報道を見ると、市民がウクライナ国旗を身にまとって国歌を唄うなど、街はお祝いムードに包まれています。覆面ストリートアーチストとして知られるバンクシーウクライナのキーウ近郊に現れ、幾つもの壁画を描いているとも伝えられ、中にはプーチン大統領とおぼしき大男が柔道で子どもに投げられている絵もあります。現状ではロシア側の劣勢は隠しようがありません。
“バンクシー”がウクライナに? 目撃情報「5人で」「動作速く」「一番年上が…」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース

 ヘルソンに凱旋する兵士たちやゼレンスキー大統領を迎える市民の様子を見ていると、ウクライナナショナリズム愛国心が一つの高揚期にあるような印象をもちます。世界の多くはこれを共感をもって眺めているだろうと思いつつ、日本の人々はどうなのかと考えると、何と言っても、「もし戦争が起こったら、国のために戦うか」という問いに「はい」と答える割合が一貫して低い国です(2017-20年世界価値観調査によれば、「はい」13・2%、「いいえ」48・6%、「わからない」38・1%)。外国の一般の人と同じような眼差しでこれを見ているようには思えません。
「国のために戦いますか?」日本人の「はい」率は世界最低13%…50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由 他国はリーマンショック後の世界金融危機直後に「国防意識」上昇 (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

 2月にロシアがウクライナ侵攻を開始し、ロシア軍が首都キーウに迫り、占領するのではという勢いにあったとき、この国のテレビのワイドショーなどでは、ウクライナは自国民を守るためにも早くロシアに降伏した方がいいという意見を述べていた「識者」が複数いました。そのことと、この調査結果が示すような日本の人たちの「不戦」「非戦」の意識とはまったく無関係ではないかも知れません。そのよし悪しはさておき、この国の国民の多くにとっては、侵略戦争はもちろん自衛戦争も厭われるもので、戦うこと自体に後ろ向きなのです。タカ派の人々が危機感をもつのは、ある意味、当然かも知れません。

 とはいえ、タカ派の人々が主張するように防衛予算を(2倍に)積み上げることが、国防につながるかのような考えには根本的な疑念があります。これは幻想というか、安直過ぎるのではないでしょうか。
 千葉県と縁のある(だからか、親近感のある)ライター・今一生さんが、「日本はもう戦争ができない国」になったんだよ、とTweetしています。
https://twitter.com/conisshow/status/1592056284865781760

 確かにそうなのです。極端にわかりやすく言えば、エネルギー・食糧・「子ども」を「自給」できない国が、戦争を始めたら、電力ゼロ・食糧ゼロ・兵隊ゼロになるのは不可避の道理です。貿易立国は周りを敵に囲まれ通商が途絶えれば終わりです。加えてこの国は、実際に攻撃を受けるかどうかという問題はありますが、原発をいくつも抱え、核爆弾を丸抱えしているような「無防備」な状況にあったり、人口減といいながら移民に寛容とは言えなかったり、その分子育て支援が成果を上げているわけでもなく、ネガティヴな要素には事欠きません。こういう国が、いきり立って「戦争、上等!」などと言えるものでしょうか。他国からさえ、自分の足下を見てからにしなさいよと言われそうです。

 価値観調査に現れるこの国の一貫した「不戦」「非戦」意識は、さらにこの国が(というより国民が)武器を手に取ることを難しくしています。これは長年にわたる「教育」の「成果」でしょう。学校に限らず、メディアを含めた社会が、世代をわたって繰り返し、繰り返し、醸成してきた国民意識だと思います。
 一言で言えば、それは(命が失われるようなことが起きた直後は別としても)だいたいは政府や企業や学校のやることに異論をさし挟ませず、不合理な権力行使や「暴力」には耐えるのが「賢い生き方」だと陰に陽に教えるものでした。それでもまだ1970年代や80年代くらいまでは、社会や学校に、不正義や不合理に「反逆」するエネルギーが噴出することがまれではなかったし、こんな「賢さ(徳目)」に洗脳されたわけではない人たちは、面従腹背でやり過ごしてきました。しかし、もはやストやデモさえも「跳ね返り」のすることのように見られ、世の不正義に対して幟やカードをもって黙って抗議することさえ、警察からの監視をともなう世の中です(9月27日の安倍国葬時、「山上徹也君に感謝状を」という幟をもっている人と監視する警官の写真は、以下を参照)。
【選挙ウォッチャー】 安倍晋三の国葬が最後までカオスすぎた件。|チダイズム|note

 自国権力に従順な者でも、他国(権力)には毅然と抗えるものなのか。安倍国葬に現れたように、社会の分断も露わになっています。これで、実際にどこかから戦争を仕掛けられたら、国民がみんな一体となり、意欲をたぎらせて敵と戦うなどという、そんな「都合のいい話」があろうはずがありません。

 他国が自国を侵攻することが正義に反する、だから、戦わなければならない、とするなら、それを国民に呼びかける側も、常日頃から「正義に反する」ことと戦っていなければ説得力がありません。それを今の政府や日本の政治に期待できるのか。防衛予算を倍に積み上げるべきだと声高に叫ぶのであれば、たとえば総務大臣の政治資金をめぐる不正や隠蔽にも、同じように戦わなければいけません。統一教会問題は言わずもがなです。長い目で見れば、そういうものの積み重ねの方が、真の国防意識や愛国心を高めることにつながるのではないか(戦うかどうかは別として)。それは、政府が望むご都合主義的「国防意識」や「愛国心」とはまったく別ものになるでしょうけれど。




↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村