ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

屋久島沖 オスプレイの “墜落” 事故

 昨日の午後、屋久島沖でオスプレイの「墜落」事故がありました。オスプレイは今年の8月、オーストラリアで演習中に墜落し、3人が死亡しています。日本では2016年12月の名護市沖での事故がなお記憶に新しいところですが、このときの事故には「墜落」という表現は使われず、NHKのニュースでも「不時着(水)」と報道され、今でも記録上その表現が残っているようです。制御できずに海に落下し「大破」した状況から考えると、「不時着」は不適当ではないかと当時感じたことを思い出し、昨日の夕方この事故を「墜落」と伝えるニュースを知ったときにも、皮肉まじりに「(オスプレイの事故は)『不時着』と違うんかい」と口走ってしまいましたが、目撃証言によれば、上下が逆さになった、とか、左のエンジンが火を噴いていた、とか、垂直に落下した、とか、どう考えても「不時着」と呼べるような状況ではなく、「失敬」なことを口にしてしまったなと思ったのです。ところが、夜のニュースで(NHKは「墜落」と報道していましたが)、宮澤防衛副大臣「不時着水」と説明したと知り、ああ、やっぱり、でした。

オスプレイ墜落情報 アメリカ軍所属 3人発見か 1人死亡 屋久島沖 | NHK

 平たく言って、こういうのを許すと事実の「捏造」につながるので危険です。プーチン大統領は「戦争」を「軍事作戦」と言い換えて、今もウクライナとの戦争を続けていますが、この国でも、「占領」が「進駐」になったり、「侵略」が「進出」になったり、それどころか、負けた戦争をまるで勝った戦争のごとく事実をねじ曲げて報道したりと(たとえばミッドウェー海戦)、この種の言いつくろいやごまかしを「お家芸」にしてきた過去があるのですから(今でもそうです)、放置しておいてはいけないと思います。政府や防衛省が何とコメントしようと、今回については、今のところ各局各紙とも「墜落」と報道しているのは幸いでした。

 もうひとつ問題だと思うのは、防衛副大臣の言うこの「不時着水」を認めると、事実に基づく共通の土台で議論ができなくなってしまうおそれがあることです(今の国会のように、かみ合わない議論で審議時間を延々と無駄に費やす愚劣な戦略の地盤づくりをされそうです)。オスプレイが配備されている沖縄は言うまでもなく、岩国や横田、千葉県で言えば、暫定とはいえ、木更津とその周辺住民にとって、この墜落事故を知って「ん?!」と反応した人は多かったと思います。安全対策を求めるにしても、こちらが「墜落」だと思っている事故内容が、相手(政府やアメリカ)にとって「不時着」では深刻さの度合いが違います。時間がたてば、生々しい現実はしだいに薄まり、言葉によるイメージだけが残されていきます。先々人びとの記憶が薄れたときに「不時着」なのに大騒ぎしているという反応が出て来たとしても驚けません。そのとき安全対策が万全に機能しうるのか、そもそも国は動いてくれるのか、不安はなくなりません。

 宮澤副大臣の「(アメリカ側からの説明では)最後の最後までパイロットが頑張っていたということなので不時着水ということだ」という説明も驚きです。こんな主観主義・感情主義を持ち出して事実を説明して、どうしようと言うのでしょうか。パイロットが最後まで頑張れば?墜落ではないというのなら、これまで起こった墜落事故はほぼ「不時着」でしょう。アメリカ側の説明のせいにして思考停止している場合ではありません。

 オスプレイについては開発段階から事故が相次ぎ、「危ない」という認識が広がっています。他方、専門家の書いたものを読むと、開発段階ではともかく、今では、データ的には、世間で言われるほど「危険」とは言えないという見解もあります(10万飛行時間あたりのオスプレイの事故率1.93%は海兵隊の全航空機の2.45%より低く、フィリピン航空2.47%、大韓航空2.58%など、民間航空機より低率:下の小川和久氏)。個人的には、他の民間航空機と比べて事故率が低いと言われても、だから「大丈夫」だとは全然思えません。宮澤副大臣の「不時着」発言も、オスプレイは「やっぱり危ない」と言われないための方便に思えてしまいます。

米軍オスプレイ、開発段階から死亡事故 空軍機では高い事故率 | 毎日新聞
オスプレイを「固定翼機」として眺めると…(特任教授 小川和久) | 研究員リレーコラム | 静岡県立大学 グローバル地域センター



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