ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

三浦瑠麗氏の#

 昨日Twitterを眺めていたら「#三浦瑠麗をテレビに出すな」というハッシュタグが立っているのに気づきました。いつもの「炎上」かと思ってそのまま通り過ぎましたが、今日も相変わらず立ったままだなあと思ったので、覗いてみたのですが、やっぱりというか、主たる「話のネタ?(きっかけ)」は11月14日のフジテレビの番組内で三浦氏が「日本は医療側の努力が……足りない」と発言したことについてで、付随して過去の「言行」もいろいろと取り上げられていました。
三浦瑠麗さん、新型コロナの現状に「日本は医療側の努力が足りないのは明らか」米国と比較し主張(中日スポーツ) - Yahoo!ニュース

 三浦氏は毎日のTweet内容でさえもwebで記事になるのですから、けっこうな「売れっ子」ですが、識者や専門家としてメディアがいちいちコメントを取り上げるのはどうなのか。本人は注目されて悪い気はしないでしょうけれども、内実がともなっているようには見えませんし、そこまで持ち上げるほどのものが「何」かあるのかよくわかりません。

 三浦氏については様々なことが言われていますが、小生にとって一番気になっているのは「平和のための徴兵制を」という主張を今も続けていることです。ひょっとしたらむかしすでに異議を差し挟んだかも知れませんが、昨日「国防意識」について書いたので、この点だけ(再度)少々触れておきたいと思います。確か、氏は国民にこの「国防意識」(「当事者意識」でしたか?)を喚起するために徴兵制が必要だと言っていたはずです。

 今年の10月7日付の文春にインタヴュー記事があって、氏は変わらず「徴兵」の必要性を述べています。その中身は、端的に言えば、戦闘は訓練を積んだ自衛官にまかせて、徴兵された一般人は災害救助時のような住民保護・支援の仕事を分担すべきということのようです。しかし、全体として「リアル」な、と言えるほどの現実感は乏しい気がします。
「『赤紙』のイメージから日本は抜け出せていない」ロシアのウクライナ侵攻で他人事ではなくなった? 三浦瑠麗が考える日本の「徴兵」のリアリティとは | 文春オンライン

 一般人が戦闘の最前線に立ってもほとんど役に立たないのは確かでしょうが、警察や消防などの人手が足りない部分を徴兵された人が担うべきという「構想」は、「空論」というか、現実味を欠いているように思えます。小生も具体的な戦闘の現場に立ったことはないので、話は災害時に限られますし、東京のような大都市などでは違ってくるかもしれませんが、地方の田舎でひとたび災害となれば、氏の想定する、災害救助時のような「仕事」は、役場の人間のほか、町内会やら消防団やら地域のリーダーやら、住民たちが「自主的」「自治的」に動いて何とか回すのが現実です。少なくとも、3年前の千葉県の台風災害の時はそうでした。三浦氏には、こうした「有事」のときには「クレイマー」「便乗犯」「かっぱらい」が目につくのかも知れませんが、「有事」であればあるほど、おそらくそうでない人の方がはるかに多いし、秩序維持や安全のためには協力的な人の方が絶対的に多いと思います。それでも何でも、こういう輩は許しておけないとなれば、それはもう徴兵された兵士のする仕事ではなく、「犯罪」を扱う専門職の仕事ではないかと思います。

 この件は、衆院議員で元新潟県知事の米山隆一さんがすでに2年前に書いているので、2020年8月26日「論座」の記事から引用させてください。
Amazonプライム問題で注目 三浦瑠麗さんの「平和のための徴兵制」に異議あり - 米山隆一|論座 - 朝日新聞社の言論サイト

三浦瑠麗氏が主張する「徴兵制」の中身
 「平和のための徴兵制」の必要性を論ずるに当たっては、まずその「徴兵制」の中身を確定しなければいけません。そこで直近の三浦氏の著書『21世紀の戦争と平和』(新潮社)を当たってみると、「徴兵制」の具体的中身として「十五歳以上から七十五歳未満までの住民に災害対応を想定した義務的訓練を年に一度実施する。そして、環境問題への対応を含めた国土管理と郷土防衛の予備役に、さまざまな世代の国民を持ち回りで召集する。」(三浦瑠麗. 21世紀の戦争と平和―徴兵制はなぜ再び必要とされているのか― (Kindle の位置No.1785-1787))とされています。
 「この徴兵制」は果たして「平和のための徴兵制」として現実的でしょうか?

 まず非常にそもそもなのですが、誰がどう見てもこれは「平和の為の災害対応労働者徴集制」なのであって、通常の意味での「徴兵制」ではありません。率直言って、この制度は「自衛隊による災害対応労働教室+自衛隊災害対応補助労働者徴集」であり、国民が「災害対応のコスト」を理解することはあっても「血のコスト」を理解することはありえないと思われます。
 さらに言うなら、確かに自衛隊は様々な災害現場において活躍していますが、当然のことながら自衛隊が派遣される前には、自治体や地域の建設業者、医療・福祉関係者が中心となって幅広い災害対応を行っています。自衛隊は、その性質上「補給困難状況における自律的補給確保」や「強力な物理力による閉塞状況の打開」が必要な場面を選んで行って頂いているので存在感がありますが、災害対応の大半は、自衛隊が出動する前に自治体、建設業、医療・福祉機関等々の「民間人」が行っているのであり、「災害と言えば自衛隊」は、実際の災害対応の現場を全く知らない「一般の方」の一般的通念に過ぎず、事実ではありません。
 また普通に考えて、一般の人が年に一度訓練をしたくらいで、災害時に自衛隊に期待される「自律的補給確保」「強力な物理力による閉塞状況の打開」ができるわけがないばかりか、危険な災害現場においては自らの命すら危ぶまれる足手まといになりかねません。

 「平和のための徴兵制(災害対応労働者徴集制)」として一般の人を対象に「災害対応を想定した年に一度の義務的訓練」をやるなら、どう考えても自治体、建設業、医療・福祉機関で行う方が良いと思われます。
 要するに自衛隊による「災害対応を想定した年に一度の義務的訓練」は、そもそもそれを徴兵制と呼ぶのか、から始まり、その訓練を自衛隊が行う意義も、その結果災害対応にもたらす効果も、ましてや国民が「血のコスト」を理解する効果も得られない、率直に言って極めて不可解で、ほとんど現実味のない提案だというほかないのです。

 小生も軽率なので、あとで後悔したり反省したりということが度々ですが、この件については、徴兵制は必要ないと再度強調したいと思います。「国防意識」を高めるなら、別の方法を考えるべきです。何より、「当事者意識」をもって空論にならないよう、まず「隗より始めよ」で、ご自分が自衛隊消防団などに一度(体験)入隊されて、実際の災害現場に立ち、隊員の視線からものを考えることが必要だと思います。階の上から見てないで、下に降りてきてほしいものです。




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