ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「戦後」77年としての2022年

 「戦後」があれば「戦前」があります。この場合、節目となっている「戦争」とは、1945年に日本の敗戦で終わる「第二次世界大戦」のことです(アジア・太平洋戦争十五年戦争、「大東亜戦争」など、微妙な差異はありますが、呼び方はいろいろです)。以後、世界から戦争がなくなったわけではありませんが、日本が国家として他国と交戦するということは、これまでのところ一応なく、今後もないということであれば、「戦後」はこのまま続いていくことになります。しかし、万が一「第三次世界大戦」のような戦争が起こり、これに日本が参戦するとなれば、今まで「戦後」と思われていた時代は新たな「戦前」になるでしょう。今が「第二の戦前」と呼ばれることがないようにしなければというのが、小生も含め微力ながらも「平和教育」に関わってきた者たちの願いでした。

 「戦後」は今年で77年めを迎えます。しかし、どこか惰性続きの感じは否めません。白井聡さんが、2022年は近現代日本にとってきわめて「特別な年」だと書いています。1月20日毎日新聞「政治プレミア」より引用させてください。

特別な年としての2022年 | | 白井聡 | 毎日新聞「政治プレミア」

日本近現代史の終着駅
 本年、2022年は近現代日本にとってきわめて特別な年、節目の年であると筆者は見なしている。今年は、戦後X〇周年というわけではないし、明治維新から数えてキリのよい数字が浮かび上がるわけでもない。だが、考えてもみよう。戦後X〇年といったキリのよい数字は、歴史を思い起こすよすがとはなっても、その数字そのものに意味があるわけではない。2022年には、もっと内在的な意味がある。
 このことは、2018年に上梓(じょうし)した「国体論――菊と星条旗」(集英社新書)において展開した議論なのだが、本年の重要性はあたかも2022年という数字が日本の近現代史の終着駅であるかのように立ち現れてくる、という点にある。それはなぜか。

「戦前」と「戦後」
 私たちは、日本の近現代史の全体像をイメージする際に、ほとんど習慣のように「戦前」と「戦後」という区分を持ち込み、1945年の敗戦という出来事を近現代の決定的なターニングポイントと見なす歴史意識を自明のものとしている。この歴史意識において、日本の近代が1868年の明治維新に始まるとすれば、「近代前半」は1945年に終わり、1945年から「近代後半」が始まる。1868年から1945年までが77年間、そして1945年から2022年までが同じく77年間。つまり今年は、「戦前」と「戦後」の長さが全く等しくなる、そのような年なのである。
 「戦後」も長くなったものだ――そんな感慨が湧きあがる。だが、その長さに比して、私たちの持っている「戦後」のイメージは、あまりに平板ではないか。

イメージできる「戦前」
 すなわち、「戦前」の時代については、私たちはその起伏に富んだ流れをはっきりとイメージできる。まずは「文明開化」の大改革から始まり、「富国強兵」の理念の下、日清・日露の二つの戦争に勝利を収めて封建社会から一挙に「一等国」の仲間入りを果たした。
 その後、「大正デモクラシー」の時代潮流によって一定の自由主義化・民主化が図られるものの、昭和期に入ると、対内的には激しい格差の拡大と貧困の問題に苦慮し、対外的には帝国主義政策の全面化によって諸外国との対立がのっぴきならないものとなり、ついには総力戦とファッショ化の時代を迎える。自由主義と民主主義が吹き飛ばされたその先に待っていたのは、壊滅的な敗戦だった。

凡庸な「平和と繁栄」
 これに対して「戦後」はどう語られてきたか、どう語られているか。敗戦・占領の苦しい一時期を越えた後、始まるのは「平和と繁栄」の物語である。すなわち、朝鮮戦争特需によって息を吹き返した日本は、戦災復興をはるかに超えた高度経済成長を実現し、経済大国の地位を得た。言い換えれば、「一等国」の地位を早くも1970年前後には取り戻した。他方その間に、あの戦争への反省に基づく平和主義は、国是として深く定着した、とされる。
 そしてその後は? 例えば、2年前のある全国紙の元日の社説には次のようなくだりがある。「国際情勢の変動や経済不況、大規模災害など幾多の試練を乗り越え、日本は今、長い歴史の中でみれば、まれにみる平和と繁栄を享受している」(読売新聞、2020年1月1日)。この言葉を取り上げるのは、それがまれに見る卓見だからではなく、凡庸でありふれた決まり文句だからである。

貧しい私たちの歴史認識
 しかし、ありふれているということが正常性を意味するわけではない。否むしろ、いまだに「平和と繁栄」が当然のように語られていることの異常さこそ、ここで特筆すべきものだ。
 すなわち、30年にもわたって不況が続くなかで貧困率が上昇し、中流階級が日々刻々と消滅へと向かっているにもかかわらず、「繁栄」がいまだに語られていることの異常さ、そして、東アジアにおける東西対立の残存構造の解消に対して地域の有力国としてのイニシアチブを何ら発揮できず、安全保障のジレンマのなかに真っ逆さまに飛び込んで行こうとしているにもかかわらず、「平和」がいまだに自明視されていることの異常さこそ、読み取られなければならない。
 つまり、「戦後」はもう「戦前」と時間量において等しくなったにもかかわらず、いつからかあたかも時間が止まったかのごとくに、「平和と繁栄」がただのっぺりと継続する時代として観念されるようになった。その平板さ、言い換えれば、私たちの歴史意識の貧しさには、驚くべきものがある。

続かない歴史の静止
 だが、この奇妙な歴史の静止はもう続かない。「高度成長の夢よ、もう一度」とばかりに東京で五輪を開催したところで、あるいは大阪で万博を開催したところで、「繁栄」は取り戻せず、閉塞(へいそく)が強まるにすぎない。
 同様に、米国の覇権が永久に継続することをただひたすら願望し、自らの意思を持つことから逃避することによってのみ成り立ってきた「平和」も限界に達している。
 さらに悪いことには、そうした逃避は、国際関係の次元を超えて、戦後日本のデモクラシーを内側から腐らせた。なぜなら、「主権」とは自らが自らの運命の主人であることを意味し、主権者であることとは運命の主人たろうとする絶えざる努力のなかにしか存しない以上、主権を自発的に放棄した国でそれをよしとする国民による民主制など成り立ちようがないからだ。そうした状況下で形式的にのみ民主制を敷けば、そこに現れるのは必然的に、民主制の戯画=衆愚制であるほかない。

衆愚制への転落
 戦前日本の国家体制(それは「国体」と呼ばれた)は、68年目に崩壊を迎えた。戦後日本のそれが、今年何らかの崩壊状態を呈するのか、あるいはその兆しを見せるのか、それは誰にもわからない。
 ただし、それがすでに内的に崩壊していること、昭和ファシズム期の日本の異様さに劣らないほど異様であることは、2012年の自公政権の復活以来の統治の在り様によって証明されている。
 そして、そのような権力を肯定しているのは、私たちの歴史意識の極度の貧しさと衆愚制への止めどもない転落にほかならない。私たちがこの崩壊の事実をいや応なく認識させられる日は遠くないであろう。

 この国で主権者たらんとするのであれば、リトマス試験紙というか、試金石となるのは、まずは元首相への向き合い方にならざるを得ないと思います。ジャーナリストの尾中香尚里さんの1月15日付記事より引用させてください。

それでも安倍晋三氏を支持するのか?北方領土2島返還への転換を認めた元宰相の「売国」ぶり - まぐまぐニュース!

安倍晋三元首相「北方領土2島返還」発言、支持者はどう受け止めたか?
……年末年始に各種メディアでやたらと安倍晋三元首相の姿が目についた…。保守系の雑誌が「やっぱり安倍さんだ!」などと特集を組むのは今に始まったことではないが、複数の一般紙で大型インタビューが組まれたのには、さすがに少々驚いた。
 ねじれ国会やコロナ禍という、自分の手に負えない政治状況が生まれるたびに、任期途中で病気を理由に政権を投げ出しては、辞任から間を置かずに「薬が効いた」などとして復権をうかがってきた安倍氏。しかし、2度目の辞任から1年以上が過ぎ、現在の岸田文雄首相はもはや「次の次」だ。岸田氏は昨年10月の衆院選で、議席を減らしたとは言え、世間的には勝利と呼ばれる結果を残している。
 ここまで来てまだ「安倍」なのか。無理矢理「影の権力者」を演出する必要がどこにあるのか。年明け早々うんざりしたが、結果としてあの報道の山は、国民がいい加減脱却し、克服すべき「安倍政治」のありようを、年頭に改めて思い起こさせることになった。

 山ほど登場した安倍氏の言葉のなかで個人的に強く引っかかったのが、北海道新聞のインタビューで北方領土問題について、四島ではなく歯舞群島色丹島の2島返還を軸とした交渉に転換したことを、事実上認める発言をしていたことだ。
 安倍氏は2018年11月、シンガポールで行われた日ロ首脳会談で、両国の平和条約を締結した後に歯舞群島色丹島を日本に引き渡すとした1956年の日ソ共同宣言を「交渉の基礎」に位置付けることで合意した。この時点で「2島返還への転換」は、ある種「公然の秘密」状態になっていたと言えるので、安倍氏の発言は、その意味では別に驚くほどのものではないのかもしれない。
 だが、機微に触れる外交課題について、安倍氏がそれまでの「四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」という国家方針を自ら転換したことを、軽々しく自慢げに語られると、さすがに「ちょっと待って」と言わずにはいられない。

 安倍政治の最大の特徴は「権力行使の仕方が雑に過ぎる」ことだと、筆者は考えている。集団的自衛権憲法解釈を、国会も通さず閣議決定のみで変更したこと(2014年)。東京高検検事長の定年延長をめぐる国家公務員法の解釈を変更したこと(2020年)など、枚挙にいとまがない。憲法や法律や過去の政治的蓄積などに縛られることなく、自分の都合の良いように権力を行使しようとする。そういうトップが長く政治権力の頂点に君臨した結果、日本の政治から規範意識が失われてしまった。
 安倍氏のこうした姿勢は内政において多くみられたが、今回の領土問題をめぐるインタビューは、安倍氏が外交でも同じ態度で臨んでいたことを、改めて知らしめる結果となった。
 報道によれば安倍氏は「100点を狙って0点なら何の意味もない」「時を失うデメリットの方が大きい」と語ったという。「時を失う」という言葉に「自分の政権のうちに」外交で目に見える「レガシー」を遺したい、という安倍氏の焦りがうかがえた。

 しかし外交は、一つの政権で軽々しく成果を得るようなものではない。外交には相手がある。だから、大きな外交課題は複数の政権にわたり、焦らずじっくりと取り組む。政権交代があっても急激な路線転換はせず、継続性を重視することが求められてきた。「保守」と呼ばれる政治家こそ、こうした積み重ね姿勢を堅持すべきだろう。
 対露外交において、それは「北方四島の帰属の問題を解決して平和条約を締結する」ことのはずだ。実際、過去にはこうした外交方針のもとで、1993年の東京宣言(細川政権)や98年の川奈提案(橋本政権)のように、日露間に四島の帰属の問題が存在することや、四島の北側で国境を画定させることを外交交渉のテーブルに載せた例もあった。
 外交環境の変化で従来の政府方針を貫けなくことなることもあるだろう。しかし、だからと言って首相の一存でこれまでの積み重ねを軽々しく壊して良いはずがない。それこそ安倍氏の好きな衆院解散で国民の信を問うなりして、国民的合意を形成する最低限の努力をすべきではないだろうか。

 しかし、安倍氏はそれをしない。一度手にした権力は、何者にも縛られず自分の判断で行使できる、とタカをくくっている。だから、これまで国民に説明されてきた政府方針を勝手に変更することにも、何の躊躇も感じないのだろう。
 百歩譲って「2島返還への変更」に大義があったとしても、従来の政府方針を支持する国民からは、大きな反発も出るはずだ。誠実に説得を重ね、理解を得るよう努めることは、政治指導者として不可欠だ。
 そして、それだけの決断をしたのなら、責任を持って自らの手で結果を出すべきではなかったのか。任期中に2島返還を実現し、結果として残る2島を事実上放棄することで生じる不利益に対する補償などの手立てを講じ、国民を納得させるところまでやり切る。そこまでして初めて、安倍氏はリーダーとして責任を果たしたと言えるのではないか。
 ところが安倍氏は、任期途中で自ら政権を投げ出してしまった。コロナ禍のさなかの辞任にも驚いたが、この領土問題も、積み上げてきた歴史をひっくり返しておきながら、何一つ「成果」も出さず、後始末もせずに去ったと言っていいだろう。そして、責任を負わなくていい立場となった今、外野から岸田政権に対し、安倍政権の方針の踏襲を求める。
 いったい何様のつもりなのか。
 このような権力行使のありようを日本の政治から払拭し、当たり前の政治に戻すことが、岸田首相と2022年の政界全体に与えられた使命だと思う。

 それにしても理解に苦しむのは、こうした安倍氏の姿勢を、支持者は許すのだろうかということだ。
 安倍氏の「雑な権力行使」は前述したようにさんざん見てきたが、仮にもこれは領土問題だ。返還を待つ国民もいる。「国家の三要素」に深くかかわるこうした問題で、たやすく日本固有の領土を手放すかのような外交を自分勝手にやられても、安倍氏の支持者は平気なのだろうか。
 もし安倍政権以外の政権が同じ政治判断をしたとしたら、彼らは間違いなくその政権を「売国奴」と罵るに違いない。安倍氏のやることならば、これほどの「売国」的な方針であっても、苦もなく賞賛できるのか。全く不思議でならない。

いったい何様のつもりなのか」――これは元首相だけではなく、常に私たちにも向けられていると受け止めました。




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