ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「危機の指導者」

 昨日の続きで、また元首相ネタです。我ながらしつこい感じはしますが、これはちょっと看過できません。

 1月8日付文藝春秋デジタルの記事に「安倍晋三独占インタビュー「危機の指導者とは」」というのがあります。会員でないと全ては見られないのですが、同日付発行の雑誌2022年2月号には全文が掲載されているようです。
安倍晋三独占インタビュー「危機の指導者とは」|文藝春秋digital

「目次」は以下のとおりです。

  次世代のリーダーの条件とは
  インターネットが政治を変えた
  中国に対峙するビジョンを持つ
  経済安全保障の重要性
  李登輝チャーチルに学んだ「闘う政治家
  政権は「継続こそ力なり」
  経済再生で2回の増税を果たす
  人事の要諦は「情」より「バランス」
  “無駄かもしれない時間”で人の心を掴む
  伸びる若手は「胆力」がある
  責任を引き受ける覚悟を持つ

 当人は第一次政権を振り返って、こう述べています。
 「私自身はどのように闘ってきたか。まず、第1次政権(06年9月~07年9月)では、教育基本法の改正、防衛庁から防衛省への格上げ、憲法改正国民投票法の制定、国家公務員法改正などを成し遂げました。ただ、いささか急ぎ足であったため、短期間で相当な政治的資産を使い果たしてしまった。その結果、2007年の参院選では敗北を喫します。私自身も肉体的な限界を迎え、政権を続けることが不可能になってしまった。」
 「肉体的な限界を迎え…」とか、吹き出しそうになりますが、そのほかにも「相当な政治的資産を使い果たしてしまった」とか、どうしてこうも言葉が軽いのでしょう。「限界」だったり「使い果た」したとしても、ご自身の病気(不治の病!)と同じですぐに元に戻るのでしょうか。「募る」と「募集」が違うと思っているくらいですから、発する言葉の意味ではなく、感じや醸し出す雰囲気を分かれ!ってところですかねぇ? 知らんがな、ですけど…。

 法学者の水島朝穂さんがご自身のホームページの1月17日付記事でこれを「論評」されています。日頃シンゾー氏に批判的な言辞が多いとはいえ、ここまで「執拗」な水島さんの文章は見た記憶がありません。一部引用させてください。

平和憲法のメッセージ

自画自賛もここまで来ると…
 コロナ危機のなかで政権を投げ出し、「政治的仮病」による「コロナ前逃亡」をはかったのだから、政界を引退して静かに過ごすのが普通の人間の感覚というものだろう。だが、この人物の場合、まったく逆に、最大派閥の会長になって、あちこちにしゃしゃり出てきて、とうとう、本当にとうとう、「危機の指導者とは」という「独占インタビュー」を雑誌に出すまでになったのである(冒頭左の写真)。『朝日新聞』1月8日付の広告を見て驚き、すぐに書店で購入した。本文10頁(153-162頁)には、「どの口が言う」(Look who’s talking!)の世界が広がる。手前味噌の自画自賛、自惚れと虚栄心の大言壮語、不都合な真実には一切触れず、自慢話のオンパレード。まさに、開いた口が塞がらない、である。
 文春のベテランのライターは、元首相、安倍晋三の放言を抑制した文章にまとめている。例えば、安倍がマスコミ、特に朝日新聞を批判する際のえげつない表現はカットされ、「マスコミとも闘いの連続でした」というさりげなさである。憲法前文の「平和を愛する諸国民…」の下りは、いつもなら「みっともない憲法ですよ」と「憲法蔑視」の言葉を連発する場面なのだが、「日本は常に控えめな立場を守ってきました」という品のいい表現になっている。

 とはいえ、自慢話に入ると抑制が外れて、プーチンとの首脳会談を27回やったとか、外国首脳との会談は1075回におよぶとか、訪問先は延べ176カ国・地域になった等々、くどいほどの自画自賛である。会談の回数よりも、何を達成したのかという会談の質、中身が問われているのに、ひたすら数字が並ぶ。外務省の頭越しにやって大失敗した北方領土問題には一切触れず、拉致問題に至っては、家族会代表が続けて2人も亡くなっているのにスルーしている。首脳会談や訪問国の数を挙げて、「首相官邸の外交力」と胸をはってしまうところがすごい。プーチンとの不自然なまでに頻繁な会談の実態と、その悲惨な結末を知れば、このインタビューで相変わらず会談の回数ばかり語ることに誰しも違和感を覚えるだろう(直言「「外交の安倍」は「国難」――プーチンとトランプの玩具」)。「4島返還」原理主義者が、いつの間にか「2島返還」に転換したことへの弁解、言い訳すらないのにもあきれる(尾中香尚里「北方領土2島返還への転換を認めた元宰相の「売国」ぶり」)。

トランプを黙殺したのはなぜか
 他方、インタビュー10頁のなかに、あれだけベタベタした関係を続けたトランプについての言及がまったくないのは驚きである。それこそ完全黙殺に近い。2016年11月、トランプが大統領選挙で勝利した直後、まだワシントンに現職のオバマ大統領がいるのに、ニューヨークのトランプタワー58階に、54万円もするゴルフドライバーを土産に訪れたのはどこの誰だったのか。2020年6月、平和的なデモに対して軍を投入して抑圧しようとしたり、2021年1月、支持者を煽動して、連邦議会議事堂に乱入させて死傷者を出すような危機を生じさせたりした「あぶないトランプ」からは距離をとったほうがいいと考えたからなのか。現職のバイデン大統領の手前、あそこまでトランプに近づきすぎたことに触れられたくないのか。「外交の安倍」がトランプについてまったく触れないというのは、あまりにも不自然である(詳しくは、直言「「トランプ時代」の歴史的負債――安倍晋三はトランプ敗北について何を語るのか」参照)。「危機の指導者とは」という自慢話で、トランプを完全に無視した理由を是非聞きたいものである。

闘う政治家安倍晋三――李登輝チャーチル…と並べて語る
 安倍晋三は、「闘う政治家であらねばならない」という決意で政治家を続けてきたという。笑わないで続けよう。台湾の李登輝元総統、英国の首相チャーチル、アーサー・グリーンウッドという3人の政治家から、「ここ一番の大勝負に強い信念を持って闘えるか。これが政治家の仕事だ」ということを学んだという。ならば聞く。あなたは、「ここ一番」の時にいつも逃げてきたではないか、と。2007年「9.12」の突然の政権投げ出しについては、「肉体的な限界を迎え、政権を続けることが不可能になってしまった」とあるが、あまりに軽い。2020年「8.28」、二度目の政権投げ出しについて、コロナ禍で国民を置き去りにして逃亡したことについて、インタビューのなかに一言もない。2007年には「肉体的な限界」を理由にしていたのに、2020年の投げ出しに言及がないのは、「肉体的」には問題がなかったからではないのか。モリ・カケ・サクラをはじめとする、首相としての資格が問われる問題については完全スルーである。衆院調査局によれば、「サクラ」問題において安倍は118回の「虚偽答弁」をしている。森友問題では139回である。こうした問題について、普通ならば、「不徳のいたすところ」として反省の言葉の一つでもほしいところだが、安倍にはそれは無縁である。しかし、そうした姿勢は、「危機の指導者」には最もふさわしくないのではないか。

人事・人望・胆力・責任の安倍?!
 このインタビュー記事の白眉は、(1)人事の要諦は「情」よりバランス、(2)人の心をつかむこと、(3)「胆力」の有無、(4)「責任を引き受ける覚悟を持つ」という、「危機の指導者」に求められることを得意気に語るところだろう。はっきりいえば、ご本人はそのすべてにおいて失格のはずなのだが、上から目線で、若い政治家に向かって諭すように語るから驚きである。

 (1)について。安倍政権の人事の失敗は明らかだろう。内閣人事局を活用して、忖度官僚を大量に生み出したことは何とも罪深い(直言「公務員は「一部の奉仕者」ではない――「安倍ルール」が壊したもの」参照)。東京高検検事長の定年延長問題の露骨さは特筆すべきものである。さすがにその不公正な人事は国民の反発を招き、とうの本人の賭けマージャンが発覚して終わったが(直言「検察官の定年延長問題――国家公務員法81条の3の「盲点」」参照)。お友だち重視の「情実」人事のどこにバランスがあるのだろうか(直言「安倍政権が史上最長となる「秘訣」――飴と鞭(アベと無知)」参照)。
 
 (2)では、チームとして結束力の固さを誇る。特に今井尚哉と北村滋の名前を挙げている。この2人は、直言「「反社勢力」に乗っ取られた日本――安倍政権7年の「悪」で書いたように、第1次政権投げ出し後にできた「高尾山登山グループ」のメンバーである。今井は、安倍政権が打ち出す政策の多くかかわってきたが、とりわけ2020年2月27日夕方の「全国一斉休講要請」は、今井補佐官の進言によるものである。この愚策によって、どれだけの子どもたちが人生を狂わされただろうか。 一方、北村は、安倍のヨイショ本の著者である元TBSの山口敬之(姉が昭恵夫人の親友)が引き起こした詩織さん事件(準強制性交等罪)のもみ消しにもかかわっている。
インタビューでは直接名前は出てこないが、佐伯耕三秘書官。あの「アベノマスク」は、「国民にマスク2枚でも配れば静かになりますよ」という彼の進言という。佐伯はまた、「ステイホーム」を訴えるために、星野源に「勝手にコラボ」をやって大顰蹙をかったことも記憶に残っているだろう。
 …… このコロナ対応における最大の愚策、「アベノマスク」を進言したチーム安倍の佐伯耕三は、古巣の経済産業省に戻って、生物化学産業課長のポストを得ている。なお、経産大臣は、安倍側近のなかでも最上位の「あべのハルカス」、萩生田光一である。

  (3)に至っては何をかいわんや、である。安倍に「胆力」があるなどと思う人は、本人以外にはいないだろう。むしろ、最も「胆力」から遠いところにいる政治家とみるのが一般的ではないのか。国会での答弁の姿勢をみても、キレやすいのはすぐ見てとれる。憲政史上最長の政権というのは、権力の私物化が際立つ。安倍は「「この若手は伸びるかどうか?」を私が判断するうえで重視する最大のポイントは、「胆力」の有無です」 という。安倍が評価する「若手」として、高市早苗の名前を出す。高市総務大臣の時、放送法4条の「政治的公平」に関連して、放送局の電波停止(電波法76条)に言及して、放送局を恫喝したことは記憶に新しい。

 (4)の「責任を引き受ける覚悟を持つ」。安倍がいうから笑ってしまう。安倍は、「責任は痛感するが、責任をとらない」という姿勢が一貫している。インタビューのなかで、リチャード・ニクソン第37代合衆国大統領の『指導者とは』という著書から、自分でやるべきことと、人に任せるべきことをわきまえることが大切だという指摘を引いている。こんな言葉はどこにでも、誰でもいっているから、ウォーターゲート事件で失脚したニクソンをなぜ持ち出すのかわからない。安倍の場合、国会で「私は立法府の長だ」「最高責任者は私だ」などと強弁して失笑をかったが、「責任」を強調するわりには、「責任」の意味がわかっていないのが安倍の安倍たる所以ではないだろうか(直言「安倍首相の「責任」の意味を問う」参照)。だから、「最終的な責任は自分で引き受ける。それがリーダーです。」と力んでみせても、「お前がいうか」という世界で、誰も共感しないだろう。

 公文書改ざん、隠蔽、人事介入、権力の私物化等々、安倍がこの国にもたらした罪の深さを思うと身震いするくらいである(直言「「総理・総裁」の罪――モリ・カケ・ヤマ・アサ・サクラ・コロナ・クロケン・アンリ・・・」参照)。たくさんの違憲行為を繰り返してきた「憲法違反常習首相」としての安倍の責任も計り知れない。何よりも、首相も議員もやめると国会答弁で明言したために、一人のまじめで誠実な公務員が命を絶った。この人の死に最も深く関わっているのは安倍およびその夫人である(直言「公文書改ざん事件と「赤木ファイル」――衆議院「予備的調査」」)。若い議員に向かって、「責任を引き受ける覚悟」を説くならば、まず自らが実践すべきであろう。
<以下略>

「危機の指導者」とは、ふつうは「危機の時代の…」とか「危機に向き合う…」「指導者」という意味なのでしょうが、水島さんの記事の表題にもあるとおり、「指導者」自体が “危機” 的で、かつ、そういうのに「指導者」を務めさせる国民自体が “危機” 的という意味と考えれば、文春の見出しにも何か含みを感じないではありません。




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