ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

まだまだ続くか 公文書偽造

 この秋政界を引退した前衆院議長の大島理森氏がインタヴューに応じている。前自民党議員だったとはいえ、安倍菅政権時代の衆議院議長として、いくらなんでもこれは…と思う場面が度々あったと拝察する。12月25日付朝日新聞より。聞き手は上地一姫記者。

森友「何も言わなければ…と悩んだ末」 大島理森氏を動かした危機感 [2021衆院選]:朝日新聞デジタル

――議長時代の2018年、森友学園をめぐる財務省の公文書改ざん問題で「民主主義の根幹を揺るがす」として政府に自省と改善を促す所感を出しました。どんな危機感があったのでしょうか。
 憲法41条に、国会は「国権の最高機関」と定められているが、国権の最高機関とは何なのだろう。このことについて、党の役職や閣僚に就いていた時は、あまり考えることはなかった。しかし、議長となり、現実の政治を見つめながら、自問自答していた。
 1996年、橋本龍太郎首相(当時)は、国会は主権者から直接選ばれた議員で構成しているから最も主権者に近い、だから最も高い地位にふさわしいと国会で答弁した。
 突き詰めれば国会は国民の意思だ。そして国会には行政を監視する責務がある。当時は防衛省の(自衛隊イラク派遣時の活動報告である)「日報」の問題もあり、捏造(ねつぞう)や虚偽の国会報告はあってはならない、議長として何も言わなければ、国権の最高機関としての権威を失うことになるのではないかと悩んだ末のことだった。

――行政のチェックという点で、とりわけ与党は国会で果たすべき役割を果たしているのでしょうか。
 与党は政府との間で、予算案や法案の事前審査(国会に提出する前に協議をすること)をしている。民主党政権でも同じだった。だから、与党として、法案を了承した趣旨について国会で説明する場をつくるべきではないか。その説明の通りに行政がおこなわれているのかチェックする、厳しくみるのは、与党こそ大事だと思う。
<以下略>

 大島前衆院議長が2018年に出した「所感」というのは、平成30年7月31日付「衆議院議長談話(今国会を振り返っての所感)」という書簡のことで、その中で大島氏はこう述べている。

衆議院議長談話(今国会を振り返っての所感)

 1.この国会において、①議院内閣制における立法府と行政府の間の基本的な信任関係に関わる問題や、②国政に対する国民の信頼に関わる問題が、数多く明らかになりました。これらは、いずれも、民主的な行政監視、国民の負託を受けた行政執行といった点から、民主主義の根幹を揺るがす問題であり、行政府・立法府は、共に深刻に自省し、改善を図らねばなりません。

 2.まず前者について言えば、憲法上、国会は、「国権の最高機関であり、国の唯一の立法機関」(憲法41条)として、「法律による行政」の根拠である法律を制定するとともに、行政執行全般を監視する責務と権限を有しています。これらの権限を適切に行使し、国民の負託に応えるためには、行政から正しい情報が適時適切に提供されることが大前提となっていることは論を俟ちません。これは、議院内閣制下の立法・行政の基本的な信任関係とも言うべき事項であります。
 しかるに、(1)財務省の森友問題をめぐる決裁文書の改ざん問題や、(2)厚生労働省による裁量労働制に関する不適切なデータの提示、(3)防衛省陸上自衛隊の海外派遣部隊の日報に関するずさんな文書管理などの一連の事件はすべて、法律の制定や行政監視における立法府の判断を誤らせるおそれがあるものであり、立法府・行政府相互の緊張関係の上に成り立っている議院内閣制の基本的な前提を揺るがすものであると考えねばなりません。

 3.また、行政・立法を含む国政は、「国民の厳粛な信託によるもの」であり(憲法前文)、民主主義国家においては、国政全般に対する国民の信頼は不可欠なものであります。
 にもかかわらず、行政執行の公正さを問われた諸々の事案や、行政府の幹部公務員をめぐる様々な不祥事は、国民に大いなる不信感を惹起し、極めて残念な状況となったのではないでしょうか。

 4.政府においては、このような問題を引き起こした経緯・原因を早急に究明するとともに、それを踏まえた上で、個々の関係者に係る一過性の問題として済ませるのではなく、深刻に受け止めていただきたい。その上で、その再発の防止のための運用改善や制度構築を強く求めるものであります。

 5.以上のような問題を生起せしめた第一義的な責任は、もちろん行政府にあることは当然でありますが、しかし、そのような行政を監視すべき任にある国会においても、その責務を十分に果たしてきたのか、国民の負託に十分に応える立法・行政監視活動を行ってきたか、については、検証の余地があるのではないでしょうか。国会議員は、私自身も含め、国民から負託を受けているという責任と矜持を持たねばなりません。
<以下略>

 それから3年。森友問題は国会で追及し得ず、夫を亡くした妻が真相解明のために起こした裁判さえも封じ込まれたかたちだ。行政府の隠蔽体質はさらに悪辣化している。ふつうにニュースを見聞きしていて、この問題が「私や妻が関係していたということになれば…」という例の発言が起点になっていることに、疑いをはさむ人はもはやいないのではないか。ネットには「#安倍晋三を政治の世界から追放しよう」のタグも見える。まさにシンゾー氏は日本の改竄・捏造・隠蔽政治の象徴的存在と化している。
 しかし、彼を「追放」して気分が晴れても、それで全てが「正常化」するとも思えない。ここまで腐敗が常態化している構造を正すには、相当な時間と労力を要すると思う。大島氏は、国会は国民の負託を受け、行政を監視すべき責務があると、三権分立による相互抑制・監視機能を強調しているが、現状はそんなレヴェルの話以下で、権力機関の倫理や矜持が溶解したまま惰性で仕事が進んでいるのである。

 先週の国の基幹統計調査のデータ改竄に続き、昨日もまた、防衛省公文書偽造があったことを知った(発表は24日)。文書自体は2015、16年のものらしいが、決裁文書に後から追記がなされたという。この5年以上、みんな口を噤んできたわけだ。

防衛省職員、決裁済み文書に追記 公文書偽造の疑い:朝日新聞デジタル

 もはや出てくるだけ「まとも」なのでは…と思えてしまうところに危機を感じる。
 



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