ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

褒めすぎる教育 親切すぎる教育

 子どもは(叱るより)褒めた方が伸びるというのが、子育てや教育の「主流」になったのはいつ頃だったでしょうか。一昔前の話をしても、とは思いますが、「スポ根」ものが流行っていた1960・70年代に、そんなことを言う親や教師はごくごく少数だったでしょう。小生らも、中高時代に野球でボーンヘッドでもすれば、監督の先生に「激高」されるのが普通で、「一生懸命やってた結果だから…」などとフォローされるようなことは一切なかったと思います。
 しかし、そうしたスポーツ競技の指導者の中にも、昔は怒ってばかりいたが、それではダメだと気がついて、指導法を変えたというような人が増え始め、「褒めた方が伸びる」という教育方針は、実感としてもしだいに説得力を増してきました。こうした声がメディアに取り上げられ、共感を呼び、主流意見として取り上げられるようになって、親も教師も意識して子どもを褒め、やる気を引き出そうと、ある面では涙ぐましいばかりの努力と忍耐を続けて現在に至っているようにも思えます。

 学校には「指導要録」という、生徒の学習記録を残す帳票があります。生徒一人一人の「要録」の4頁めに「総合所見及び指導上参考となる諸事項」という欄があって、担任教員が生徒の「寸評(短い人物評価)」を書くことになっているのですが、その記入要領には、生徒の「優れている点や長所……などを取上げる」よう留意して書くように、という指針があります。これは、書ける「良い点」がすぐに思い浮かべばよいのですが、子どもによっては、そういうわけにいかないことも少なくありません。そういう場合は、例えば、調子のいいことばかり言う子だなあと思えば、「裏返し」にして?「柔軟性がある」とか、集中力が散漫だなあと思えば「多方面に興味関心がある」とか(笑)。これは、生徒本人が直接目にするものではありませんから、(子どもを)「褒める」ことになってはいませんが、良い点を評価するべきという世の風潮は、こんなところにも現れている気がします(こんな指針があってもなくても、多くの先生方は生徒にとって「悪いこと」はほぼ書きませんが)。

 しかし、何事にも流行り廃りはあります。また、「褒める教育」も、どんな時代の、どんな子どもの、どんな場面についても当てはまる、確たる真理、教育方法だとまでは言えないでしょうし、かりに、状況に応じて、最良の方法をとったからと言って、期待したとおりになるかどうかはわからないというのが教育の常です。余計なことを言ってしまえば、「反面教師」という言葉があるとおり、悪い見本を見せられると、ああはなりたくない、なってはいけないと逆作用になって、人や物事がかえって良い方向に向かうことが往々にしてあるのも、この世の中の奥深さです。そのことを、以下の先月付の二つの記事を読んで、改めて思いました。

 「日経BOOK PLUS」10月19日付記事「榎本博明×SAPIX・広野雅明 なぜ褒める子育てはダメなのか」より、該当箇所を要約引用します。
榎本博明×SAPIX・広野雅明 なぜ褒める子育てはダメなのか | 日経BOOKプラス

――今は「褒める子育て」が主流ですが、褒めないと自己肯定感が育たないのではないでしょうか。
 広野:そうですね。今は「褒めて子どもたちの自己肯定感を高める」ことが、教育の秘訣だと言われています。昔は「怒る」ということが1つの方法論として認められていましたが、今は「怒る」「厳しく接する」ということが難しくなってきていますね。
 榎本:子どもだけではなく、「若手も褒めろ」という風潮ですね。大学での論文指導とかでも、「とにかく褒めるところから始めてください」と言われます。論文の結論がまずかったら「解釈は素晴らしい」、方法論がまずかったら「問題意識は素晴らしい」と褒める。修正も「ここがダメだから直して」はきつく感じられるので、「ここをこうすると、もっと良くなりますよ」とアドバイスするように、と。そうしないと落ち込んだり、反発してやる気をなくしたりしてしまう恐れがあるからと。
──それでは「褒める」というよりも「手加減する」に近いのでは……そんな褒め方で本当に自己肯定感が育つのでしょうか。
 榎本:私は褒めても自己肯定感は育たないと考えています。むやみに褒めても気が緩んだり、「この程度で褒められるなんて、期待されていないのか」と落ち込んだりすることもあるのでは。もし褒めるのであれば、安易に褒めるのではなく、努力の過程を評価すべきです。……それに、褒められ続けていると、次も褒められるポジションを失いたくないので失敗を恐れ、思い切ったチャレンジをしにくくなるという心理学の実験結果も出ています。
 広野:「勉強とはチャレンジし続けること」でもあるので、それは問題ですね。確かに昔は子どものマイナス面ばかりに目が行く親御さんがいたのですが、今は「うちの子、ダメなんです」という人は減りましたね。
 榎本:親がとにかく褒める、なんでも与えていると、「思い通りにならない状態を持ちこたえる力」が鍛えられません。人生は頑張ってもうまくいかないことだらけですよね。成績が思うように上がらない、どれだけ練習してもレギュラーになれない、こんなに相手を好きなのに好きになってもらえない……とかね。小さな頃から、そこを乗り越える力を付けさせるのが本当の優しさです。
 だいたい、いくら学力を付けても、社会の荒波を乗り越えられず、世に出て行けなければ本末転倒でしょう。

 広野:昔は汗水たらしてみんなで頑張る──というスポ根が好まれましたけど、今ははやりませんね。ただし、努力する、苦労することを軽視してはいけません。……

 千葉県の公立小学校教員の松尾英明氏の実践を取り上げた「東洋経済」10月17日付記事にも、なるほどと思います。子どもに結果だけを与え、大切なプロセスが伝わらないのは本末転倒で、松尾氏が指摘するとおり、「親切すぎる対応こそ、子どもの主体性を奪っている」と思います。至れり尽くせりは、子どものためではなく、実は教員や親の自己満足であり、自らの「やってる感」、虚栄心を満たすためであることを、我々は認識しないといけないと思いました。こちらはリンクのみで。
「子どもたちのために」が主体性を伸ばす機会を奪う、親切すぎる教師の罪 | 東洋経済education×ICT | 変わる学びの、新しいチカラに。

 まさに「過ぎたるは及ばざるがごとし」「人間万事塞翁が馬」です。




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