ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

学習履歴のデジタル化一元管理のこと

 今日は短く。
 昨日、政府が学習履歴などの個人データをデジタル化して一元管理するというニュースを知って、あることを思い出した。もうだいぶ昔の話である。
 
 学校で働いていた頃、朝の打合せが終わり、A先生から話しかけられた。
 「〇〇さん(小生)のクラスのB(生徒)が宿題を出してないんですよ。一言、言っておいてもらえますか」と。
 宿題は基本的に教科担当の仕事とはいえ、クラスの担任教員はこういうのも「業務円滑化」のため諾々とやらねばならない。ホームルームが終わってからBに「A先生が宿題が出てないって言ってるけど…」と言うと、「はい、はい、分かってます」というような返事だった。
 しばらくして、A先生からまた話しかけられたが、相変わらずBは宿題を提出してないということだった。A先生は机上のパソコンを開いて、宿題の提出状況を示す一覧表を見せてくれた。精緻につくられたその表によれば、Bの過去の宿題の提出状況は明らかによくなかった。最初のうちは他の生徒と同じように〇が並んでいたが、途中から空欄が目立ち始め、直近の3回分くらいは提出なしだった。よく見ると、他の生徒にもいくつか空欄がある。お世辞で「すごいですねー、この表は…。一目で提出状況がわかるじゃないですか」と余計なことを言ったら、A先生は気をよくしたのか、他にもこういうのがあるとあれこれ見せ始めた。「しまった」と思った(笑)。
 放課後、教室掃除をしていた生徒と話をしていたら、A先生の宿題の話になって、生徒が言うには、授業のたびに宿題プリントが配られるので、もう大変なのだと。出さないと怒られるので、出すには出すが、他人のプリントを写して出している人も何人かいる。他の教科からも日常的に宿題が出されるから手が回らない。自分たちは人のを写したりはしないけれども…ということだった。人のを写していいんだったら何のために宿題をやっているのかわからない。
 そして極めつけのオチもある。あるとき、階段で大量のプリントを抱えるA先生とすれちがった。プリントには生徒の名前が見えた。訊きはしなかったが、例の宿題の束であることを想像させた。それをこれからシュレッダーにかけるのだという。……唖然として言葉を失った。

 昔の同僚のことを悪く言いたくはないが、提出という形だけを求めるような宿題では、他人のものを写す生徒が出てくるのは避けられない。それがわかっていてこれを継続するとなれば、自力で宿題をやる生徒だけが伸びればいいんで、あとは知らんという意味になる。教える側のスタンスとして「あとは知らん」でいいのか。そして、もっと非教育的と感じるのは、宿題を出さない(出せない)生徒と向き合う機会を教える側が放棄していることである。双方向のやりとりがあれば、教える側も自らの方法を省みるし、生徒の方も「もう一回やってみるか」という気になるかも知れない。それで今後の人生が変わることもあり得る。教科の成績がいいとか悪いとかよりも、人によってはそちらの方が大切かもしれないのだ。

 1月7日、政府は学習履歴、授業の出欠状況などの個人データを2025年ごろまでにデジタル化し、教育の向上につなげたいとした。牧島デジタル大臣は、子どもたちの個性を伸ばすことができるようデジタル環境を整備すると言っている。
政府 学習履歴など個人の教育データ デジタル化して一元化へ | 教育 | NHKニュース

 子どもの個性を伸ばすのであれば、こういうことはやめるべきだと思う。おそらくこのデータ集めは、人の試行錯誤や「もう一度やってみるか」という再チャレンジの意思を人生の早い段階で挫くと思う。政府の言う「教育の向上」とは国民をある方向に誘導したいだけで、それぞれの子どもたちの個性の尊重や、国民すべての教育の質の向上など眼中にないだろう。才能の早期発見のような方向に流れたら、上に引いた宿題の話に似て、学校の成績がよくない人、出席状況の悪い人は「知らん」ということになりかねない。それは選別であって教育ではない。
 これから生徒の個人データの無用な入力作業を強要させられる学校現場の苦役も想像される。官僚たちは全国から上がってきたデータの一覧表を眺めてニンマリしたいのだろうか。そして、集めたデータが業者に融通されるというまさかの展開が待っているとしたら…。
 愚劣国家に向かってまっしぐらだなと思う。






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