裁判と子どもたち 二つの記事
昨日「毎日新聞」を眺めていて、社会面の見開きの左右に並ぶ記事に目が行きました。左の記事は、大阪の公立高校教員の長時間労働をめぐる裁判で、地裁は府の責任を認め、慰謝料の支払いを命ずるという画期的判決を伝えています。これには快哉を叫ぶ学校関係者は多いと思います。原告の後ろには現在と過去、過重労働にさらされてきた膨大な先生方が層をなしています。小生も学校に勤めているあいだ、命を落とした人、病に苛まれた人、教職の継続を断念した人を何人も見てきました。「……教壇に立ちながら訴訟を続けることは精神的な負担も感じたが、裁判の傍聴で応援してくれる教え子らの存在が励みになった」という判決後のコメントは心に響くものです。
涙浮かべ「環境改善を」 過重労働で適応障害、勝訴の教諭 | 毎日新聞
些細なことかもしれませんが、この毎日新聞の記事だけは原告が「世界史教諭」であることを記しています。これには奇妙な感じをもちます。朝日や読売は出してません。わざわざ持ち出すことに何の意図があるのかわかりません。原告が「世界史教諭」であることと、訴訟に何か関係はあるのか?
参考までに朝日新聞6月28日付の記事は下です。
「ちょっぴりの勇気が岩を動かした」過重労働訴え勝訴の原告教諭:朝日新聞デジタル
……と思いながら、紙面の右に目をやると、「目標見失う子どもたち 精神的幸福度はワースト2位」と題する記事があります。本来は参院選の争点や論点を取り上げた記事のようですが、それでは収まらないレベルの話のように思います。
比べてみたニッポン:「家と学校の往復」目標見失う子どもたち 精神的幸福度はワースト2位 | 毎日新聞
記事にはこうあります。
国連児童基金(ユニセフ)の研究所の2020年発表によれば、「子どもの幸福度」を38カ国で国際比較すると、日本は身体的健康度で1位だが、精神的幸福度は37位(ワースト2位)で、日本では若者の自殺率が高いことに加え、生活に対する満足度を10段階(10が最高)で尋ねた調査で「5」以下と答えた人が約4割に達している。……ユニセフの報告書では、15歳に生活への満足度を10段階で聞いた調査で「6」以上と答えた割合は、1位のオランダで90%だが、日本では62%にとどまる。報告書では、英国の研究をもとに、生活満足度が低い子は平均以上の子に比べ、家庭内不和を報告する割合が8倍、意見を表明できないと感じる割合が6倍になるとしている。
今となっては昔のことですが、小生の印象でも、子どもたちの自己肯定感はあまり高くなかったと思います。というか、かりに自信家タイプの子であっても「唯我独尊」というわけにはいかず、必ず周囲の「承認」という「手続き」を経ないと我が道を進めないという、何か集団心理による屈折が働いているように思います。しかし、それはおとなも基本的には同じです。しいて違いがあるとすれば、小生らが子どもの頃の方が、統制が緩い分、今よりも「逃げ場」があったということでしょう。何せ、今はそこらじゅうに監視カメラが張り巡らされ、スマホの位置情報でどこにいるのかわかったりと、半世紀前ならSF小説の世界です。それだけに、社会には今より流動的な要素があったと思います。それを経験して知っているかどうか。現在の社会の閉塞感と子どもたちの精神的幸福度の低さはセットだと思います。
記事にはオランダに暮らす日本人女性のコメントが付されています。以下、引用です。
オランダは一人一人の幸せ>集団の利益 ライターのウルセム幸子さん
オランダの精神的幸福度が高い背景には、子どもの自主性を尊重してそれぞれに合わせたペースで学べる教育システムや、家族で過ごす時間の長さなどがあると指摘されています。「滅私奉公」など集団の利益が大切にされがちな日本に対し、オランダでは一人一人が幸せになった先に良い社会があると考えられています。
日本の小中学校で7年間、スクールカウンセラーとして子どもたちの相談に乗ってきました。子どもらしい純粋さや芸術的なセンスなどすてきな部分がたくさんあるのに、集団生活では評価されず、不登校になる子もいました。外国語指導助手だったオランダ人の夫も「日本は生徒が何かを楽しむことを悪いことだと思っているようだ。苦しんで勉強してテストで少々いい点をとることに、何の意味があるのだろう」と首をかしげていました。
私の子どもが通う小学校では、苦手の克服より、得意分野を伸ばすことが重視されています。成績表も年2回のIQテストのような試験の結果以外は、「学習にどのくらい楽しんで取り組めたか」や「人格がどう成長したか」など、子どもの内面に関する評価に多くのページが割かれています。校長は「小学校で唯一身につけるものは、自己肯定感だ」と話していました。
大人が幸せを感じ、その姿を子どもが見ていることも大きいです。短時間就労が普及して出世や社会保障への影響が少ないので、子どもが小さい時は両親ともにパートタイムや在宅勤務を選びます。家族の時間を大切にするのが当たり前になっています。
「日本は生徒が何かを楽しむことを悪いことだと思っているようだ。苦しんで勉強してテストで少々いい点をとることに、何の意味があるのだろう」――などというスタンスで保護者面談に臨んだりすると、保護者から「この先生、使えんわ」と思われるのがオチです(笑)。しかし、いくら進学情報をかき集め、子どもに(受験)勉強を強いても、それが子どもの幸せに結びつかなかったら、親だって(教員だって)幸せではないはずです。
「大人が幸せを感じ、その姿を子どもが見ている」というのは誠に至言です。その意味でも、冒頭の大阪の先生の裁判は非常に意義深いと思います。先生の姿に、教え子たちは、学校で学んだこと以上のものを、教えられたはずです。西本先生には、本当にご苦労様でしたと、心から申し上げたいです。
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