ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「親学」と「誕生学」のこと

 再来年の2023年度に創設される「こども庁」の名称を「こども家庭庁」に変更することになった件は、12月8日、自民党が開いた青少年健全育成推進調査会の講演で、かねてより「親学」を唱えている高橋史郎氏が、「こども庁」を「こども家庭庁」に改めるべきだと話をしめくくったことが、出席議員の賛同と共感を集め、その勢いで名称変更を完遂させたのだという。
 一時メディアなどで話題に上った「親学」は、人によってニュアンスが異なり、中には傾聴に値する話もあるが、こと高橋氏らが唱える「親学」に関しては、かなり問題を含んでいると思う。特に、「教育の原点は家庭にあり、親は人生最初の教師として、子どもの教育の第一義的責任を負うべきだ」とする基本的スタンスは、今回の件でも俎上にのぼったことだが、そうでない家庭や子どもの苦しみが増すばかりになりかねない。子育てや教育に関わる施策に硬直した枠づくりはそぐわないと思う。

こども庁「こども家庭庁」への名称変更はトンデモ「親学」を提唱する日本会議・高橋史朗と自民党極右勢力の仕業だった!|LITERA/リテラ
211221 「こども家庭庁」名称にこだわった自民党の保守派とは - YouTube

 「親学」とは別に「誕生学」というのもある(らしい)。出自は異なるものの、「親学」に基本的発想がよく似ている。しかも、社会への働きかけを担う組織の立ち上がった時期が符合していて、これには単なる偶然以上のものを感じる。教育学者の友野清文氏(昭和女子大学)の論考を読んでいて気づかされた。
 以下、部分引用。

 「誕生学」は 2005 年に設立された。公益社団法人誕生学協会が提唱している「教育プログラム」の名称である。協会の定款に「当法人は、未就学児・小学生・中学生・高校生・大学生及び保護者のそれぞれの年齢を対象に行う妊娠出産のしくみと生命の大切さに関する知識の教育及び普及により、次世代の自尊感情を高め、少子化対策育児支援、思春期保健対策、日本人の生命観・出産観・自然共生観の向上を図ることを目的とする」とあり、「教育及び普及」までの前半部分が「誕生学」の定義に相当する。
……
 誕生学協会の役員は,医師・助産師・教育関係者が中心であるが、「親学」関係者は見られない。
 「誕生学」は「生まれてきたことが嬉しくなると、未来が楽しくなる」をコンセプトとして、学校での「誕生学スクールプログラム」、児童養護施設等での「誕生学プログラム」や、このプログラムで講師を務める「誕生学アドバイザー講座」などを実施している。また「ガールズ・エンパワメントプロジェクト」(中高生を対象とした、予期しない妊娠・出産、性被害、デート DV などの予防のための授業)や「性被害予防フォーラム」などにも取り組んでいる。
 大葉提唱者の大葉ナナコはもともとは出産準備教育講師であったが、自身の第 3 子の担任から「子どもたちにも、いのちの誕生を教えてほしい」と依頼され、小学生に話をしたのが「誕生学」の始まりであり、プログラムの特徴は「自己肯定感や自己効力感を高め、各世代が適切なセルフケアができるよう意識と行動変容を促すことを目的としている」点であるという。

……
 大葉は、「自分を生んでくれた親に感謝する気持ちは大切ですが、それを強制するのではなく、『自分が生まれてきてよかった』と自尊感情が持てるプログラムが必要ではと感じて、実践してみました」と述べている。
 協会の HP によると、行政からの事業委託も受けて講座を行った学校は、2016 年 10 月~2017 年 9月の一年間で 878 校、参加者は 75,288 名であった。他にも PTA を対象とした講座も行われている。教育現場への浸透力は、「親学」を上回るものである。

 「誕生学」への代表的な批判には精神科医の松本俊彦によるものがある。
 松本は、「誕生学」を自己肯定感を高めることを目的としており、同時に自殺予防教育の一環として採用されていると捉えている。その上で、自己肯定感(自尊感情)の高まりについては長期にわたるデータがないと指摘しているが、批判の焦点は自殺予防教育についてである。松本は以下のように述べる。

 つまり、「誕生学」のような「いのちの大切さ」を伝える自殺予防教育がなぜマズイのかという問いです。最大の問題は、自殺予防教育が「道徳問題」にすり替えられている点です。つまり、「いのちの大切さをわからないなんて不道徳だ」、「親からもらった大切な体を傷つけたりする者は、感謝の気持ちが足らない」
という価値観の押しつけです。
 しかし、すでに 1 割の子どもたちは自分を傷つけており、高い自殺リスクと「援助希求能力の乏しさ」という特徴があります。そのような子どもたちが、「いのちの大切さ」という道徳的な講演を聞いて、「よし、勇気を出して担任の先生に相談してみよう」という気持ちになるでしょうか? まさか。むしろ、いっそう助けを求めることを躊躇するようになるでしょう。
 それどころか、1 割の自傷経験者はこう思うでしょう。「いのちが大切ならば、なぜ自分ばかりが殴られ、いじめられてきたのか」、「なぜ『あんたなんか産まなきゃよかった』と言われるのか」と。自殺リスクの高い子どもの多くは、家庭や学校で様々な暴力や自らを否定される体験にさらされる中で「人に助けを求めても無駄だ」と絶望しています。そんな子どもたちにとって、「いのちの大切さ」などという言葉は気休めにもなりません。(中略)
 断言します。自殺予防のために必要なのは、道徳教育ではなく、健康教育です。それは、1 割の少数派の子どもたちに「つらい気持ちに襲われたとき、どうやって助けを求めたらいいか」を教え、9 割の多数派の子どもたちに「友だちが悩んでいたら、どうやって信頼できる大人につなげたらいいか」、「そもそも信頼できる大人は、一体どこにいるのか」を教えることです。(中略)
 子どもにとって、「いのちの大切さ」など、「アイデンティティ」という言葉と同じくらい抽象的で難解です。それだったら、「あなたが大切」という言葉のほうがはるかにわかりやすい。そう、子どもたちに伝えられるべきなのは、抽象的おとぎ話ではありません。信頼できる大人からの「あなたが大切」というメッセージなのです。

 松本は、「誕生学」が「いのちの大切さ」という「道徳」を教えることになっており、それは無意味である以上に、一部の子どもを追い詰めることになると指摘するのである。
 このような批判がありながらも、「誕生学」は行政と結びついて、教育・保育現場にかなり入り込んでいる状況がある。

 …「親学」と「誕生学」について…両者は直接的な関係を持ってはいない。内容も、「親の学び」と「(主として子を対象とした)自尊感情の育成」と異なっている。しかしいずれも次世代を育てることを目的とした活動であり、ある意味でカリスマ性を備えた指導者の思想が色濃く反映されている。また、親学推進協会と誕生学協会の発足はほぼ同じ時期であり、各々「親学アドバイザー」と「誕生学アドバイザー」を養成して、自らの考えの普及を図ろうとする協会である点では共通している。
 基本的な内容の面について見れば、「誕生学」への松本の批判の論点にあったように、問題を「道徳(教育)」のレベルで捉えようとしている点は「親学」にもあてはまると言える。「親学」は親のあり方を条件づける経済や労働・社会関係の問題ではなく、あくまでも「親の意識」の問題として議論をする。「誕生学」が「1 割の子どもを追い込む」と松本は指摘するが、それは「親学」についても同様である。家庭教育や家族のあり方の標準(原則)を伝えるという立場を取ることで、その枠に入らない多様な少数者を結果として排除する危険性を持つと見ることもできるのである。
 家族や子どものあり方は様々であり、誰しも多かれ少なかれ問題を抱えている。教育者としてできることは、子どもと保護者の実情を理解し、ともに考え、ともに歩む姿勢を持つことである。そして必要であれば、支援の方法を考えることである。「べき論」からではなく、社会的・文化的視点から現実を見ることが重要である。あるべき家庭教育像や「いのちの大切さ」を主張すること自体は自由であるとしても、社会的発言としては、その前提として、個人の自由の尊重と多様性への配慮が不可欠ではないだろうか。

(友野清文「「親学」と「誕生学」をめぐって」『学苑 総合教育センター・国際学科特集』(昭和女子大学)No. 943 2019年5月)

<追記>引用中の松本俊彦氏の文章は下記。
「誕生学」でいのちの大切さがわかる? - 精神科医 松本俊彦



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