ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

現代の「奴隷」

 今朝の毎日新聞に歴史家の藤原辰史さんの時評があります。「現代の奴隷」というタイトルに目が引かれました。
月刊・時論フォーラム:国際秩序の亀裂/現代の奴隷/安倍元首相国葬 | 毎日新聞

 要約すると、「今の時代に奴隷なんているわけがない」と私たちの多くは思いがちですが、その認識は誤っています。昨年(2021年)の時点で、性奴隷を含め、強制的に労働させられている「現代の奴隷」は、全世界で2,800万人、強制的に結婚をさせられている人は2,200万人もいました。2016年時点と比べると1,000万人も増えているのです。強制労働をさせられている人のうち、86%は農業、建築業、家庭内労働などに従事し、(重複があると思いますが)630万人、22.5%の人が性奴隷ということです。たとえば、世界各地の性奴隷を取り上げているS・カーラの「性的人身取引」というルポには、インドのムンバイでは、貧しい少女たちが麻薬漬けにされて、1日何十人もの相手をさせられ、従わなかったら気絶するまで殴られ、最悪の場合は殺されているというのに、警察は店から賄賂をもらって、子どもたちを助けないという事例があります。日本でも、現代奴隷撲滅を目指す法律を早急に作るべきだ、と。

 これはこれとして問題だと思い、藤原さんには素直に賛同します。「現代の奴隷」に目が向かない理由の第一は、こうした事実や「制度」が隠蔽化されて表に出てこない傾向があることが大きいでしょうから、この面でも、藤原さんの記事には意味があると思います。
 しかし、目を向けない側の問題も併せて考えるべきとも思います。それは、向けない側の「奴隷性」が関わっているかもしれません。こんなことを言うと、「現代の奴隷」問題の焦点を曖昧にし、本質を歪める危険性があるので、あまり強調したくはないのですが、あえて「奴隷」の意味を精神的なものにまで広げ、「奴隷性」とか「奴隷根性」までを含めると、「奴隷状態」にあっても、自分が「奴隷」だと思っていない人は少なくないと思います。長期にわたるなら、これは某カルト集団の信徒にあてはまるし、短期では、特殊詐欺の被害者にも似たものがあります。しかし、それだけではない気もします。

 中国文学者で魯迅の研究で知られた竹内好よしみ さんは、今から70年以上前、戦後しばらくの頃に、こう書いています。

 ドレイは、自分がドレイであるという意識を拒むものだ。かれは自分がドレイでないと思うときに真のドレイである。ドレイは、かれみずからドレイの主人になったときに十全のドレイ性を発揮する。なぜなら、そのときかれは主観的にはドレイでないから。魯迅は「ドレイとドレイの主人はおなじものだ」といっている。「暴君治下の臣民は暴君よりも暴である」といっている。「主人となって一切の他人をドレイにするものは、主人をもてば自分がドレイに甘んじる」ともいっている。ドレイがドレイの主人になることは、ドレイの解放ではない。しかし、ドレイの主観においては、それが解放である。
(竹内『日本とアジア』 ちくま学芸文庫 43頁)

 竹内さんは日本の近代のあり方のたとえ話をしているので、問題意識はズレますが、竹内さんがカタカナで「ドレイ」とするのが、この「奴隷性」「奴隷根性」だと思います。「ドレイは自らがドレイの主人になったときに十全のドレイ性を発揮する」というのは真理をついている気がします。

 というのは、古い話で恐縮ですが、米国の作家アレックス・ヘイリーの原作をもとに1977年に制作されたテレビ・ドラマ「ルーツ」の一場面で、アフリカから連れてこられ、奴隷市場で売られた主人公クンタ・キンテを農場へ連れ帰るとき、主人からクンタの教育係を言いつけられた奴隷(召使い)のフィドラーが言い放った台詞に、この「ドレイ性」が垣間見える気がするからです(ヘイリーの原作にはない場面なので、テレビ・ドラマの脚色だと思いますが)。「トビー」という名を受け入れず、「自分の名前はクンタ・キンテ」だと譲らないクンタに、フィドラーはこう言います。

 フィドラー:だから、アフリカ人は困るんだ。旦那様が「トビー」とおっしゃったら、お前は「トビー」なんだよ。お前はもう旦那様のもんで、何でも言うことを聞くしかないんだ。……俺がここまでなるには、もう、そりゃ苦労したもんだ。今じゃな、俺の食事はお屋敷の台所だ。小屋の床は松の樹ではってある。それに、旦那様が薬代わりにウィスキーを一杯くださるんで、俺の咳もおさまってる。黒人にしちゃあ、上等な暮らしだよ。めったに手放せねぇ。もし、(お前のような)アフリカ人のおかげで、この暮らしとおさらばすることになったら、呪い殺してやるぞ、おい!

 差別性の委譲というのか、奴隷の格差というのか、こうした体系が、無自覚な「奴隷性」を拡げ、かつ、奴隷制奴隷制と認識されないよう隠蔽していると思います。それは、藤原さんが述べた「現代の奴隷」として括れる範囲を超えています。一番の問題は、奴隷制の本質というか、真の「敵」を認識させないことです。

 現代の「奴隷」問題と関係があるかどうかわかりませんが、自民党村上誠一郎衆院議員が昨日(9月21日)、安倍氏国葬に欠席する意向を示しました。曰く、「そもそも反対だ。出席したら(国葬実施の)問題点を容認することになるため、辞退する」「安倍氏の業績が国葬に値するか定かではないうえ、国民の半数以上が反対している以上、国葬を強行したら国民の分断を助長する」「こうしたことを自民党内で言う人がいないこと自体がおかしなことだ」とのことで、20日の取材で、「(安倍氏は)財政、金融、外交をぼろぼろにし、官僚機構まで壊して、旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に選挙まで手伝わせた。私から言わせれば国賊だ」と述べた件については、トーンダウンしていましたが、自民党内の動揺と反発は強いようです。
 彼ら自民党議員を「現代の奴隷」とまでは言いません(立場は逆ですから)。しかし、組織への忠誠にしろ、個人への忠誠にしろ(もういない人ですが)、「ドレイ」でないなら、国会議員として何に忠誠を誓うべきなのか(誓うべきでないのか)、よくよく考えた方がいいと思います。こういう人たちが、「現代奴隷撲滅を目指す法律を早急に作るべきだ」という声にはたして応えられるでしょうか。

村上元行革相、国葬欠席の意向 安倍氏を「国賊」、党内で批判続く:朝日新聞デジタル





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