ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

ある「ジャーナリスト」のこと

 「ただ……なだけ」「ただ……したいだけなのに……という情緒的反論?(へ理屈?)をまた見た気がしました。議論や問題の核心を外して心情に訴え、同情を引く手法です。へ理屈の類いだけに普通の議論にはなりません。「思いは個人の自由だ」「考え方は人それぞれだ」式の「決め台詞」を使えば、相手はそれ以上、話をしてこなくなるという、誠に都合のよい「論法!」だと、自戒を込めて、思います。

 フジテレビ上席解説委員の平井文夫という方は、確か、菅政権時の日本学術会議会員任命拒否問題で、「この人たち6年、ここ(日本学術会議)で働いたら、その後、学士院というところにいって、年間250万円年金もらえるんですよ。死ぬまで。みなさんの税金から。そういうルールになってるんです」と、2020年10月5日昼のフジテレビ「バイキングMORE」で、まったくデタラメな解説をして問題になった人ですが、こういうことをやらかしても「ジャーナリスト」を称して、変わらずにテレビで仕事ができるというのが、この国の報道界の今の姿であることを再認識させられます。
 その平井氏が、朝日新聞の例の川柳をネタにして「私たちは安倍晋三さんと静かにお別れしたいだけだ」という記事を書いていました。部分引用させていただくと、

私たちは安倍晋三さんと静かにお別れしたいだけだ フジテレビ上席解説委員 平井文夫

朝日新聞の川柳コーナーには驚いた
朝日新聞の川柳コーナーが炎上した。7/16付の「朝日川柳」は7本とも亡くなった安倍晋三元首相や国葬について詠んでおり、たとえば「忖度はどこまで続くあの世まで」など安倍氏を揶揄したものだ。
多くの政治家から「さすがにこれはひどい」「安倍元首相の暗殺をあざ笑うかのよう」などと批判の声が上がった。前日分も同様で、選者は80歳代の元朝日記者。天声人語を書いていたという。元朝日ならなるほどとも思うが、全国各地から居住地とおそらく実名を名乗ってこのような川柳を投稿して来る人がこれだけいるのかと驚いた。……

7/11に芝・増上寺で行われたお通夜に行ってきた。事前の発表では近親者や関係者だけで行われるが、一般人も献花できるという事だったのでとりあえず行ってみたのだが、どうやら待てば焼香もさせてもらえそうだったので列に並んだ。
暑い日だったので汗だくになって1時間半ほど並んで通夜会場に入って焼香をし、昭恵夫人に一礼して帰った。記者はニュースを第3者の立場で冷静に見るべきだ。だから通夜に押しかけるのはご遺族に迷惑だろうとは思ったのだが、やはり安倍さんを直接取材してコメントしたり原稿を書いたりしてわずかだが関わった以上、何かけじめをつけたいというか、きちんとお別れをしたいと思った。……

何日か後にFacebookに「東京の人は献花や焼香をして気持ちの整理ができるからうらやましい」と投稿している人がいてなるほどと思った。全国各地に安倍さんとのお別れをしたい人がいるのだ。それはたぶん安倍さんの死を揶揄する人よりはるかに多くの人達なのだろう。

安倍さんと静かにお別れしたいだけ
だから岸田首相が安倍さんの葬儀を国葬に決めたと発表した時は「岸田さんやるな」と思った。もちろん野党やメディアから反対論や慎重論は出ているのだが国民はどう思っているのか。僕は岸田首相が7/14に国葬を発表した後の7/16、17の週末のメディアの世論調査国葬の是非を当然聞くだろうからその結果を待った。
NHKの調査では国葬実施を「評価する」が49%で「評価しない」38%を上回ったが、朝日新聞毎日新聞は調査をしたのに国葬について聞かなかった。なぜなのだろう。

個人的には僕は国葬でなくていい。これ以上死者を揶揄する言葉を聞きたくないからだ。税金を使うなと言うなら皆で香典を持ち寄ればいい。5000円を1000万人が持って行けば500億円なのでお葬式の費用は賄える。5000円がない人は1000円でも500円でもいい。来たくない人は来なければいい。だが世界中から元首クラスが弔問に訪れるのに国葬にしないわけにはいかないだろう。
8年8カ月の間、日本の首相を務めた人が選挙期間中の街頭演説で凶弾に倒れ亡くなった。岸田首相が国葬にすることに決めた。それでいいと思う。一部野党やメディアが反対し、学者や弁護士がいろいろ言うが、議論する気にもならない僕を含め多くの人は安倍晋三さんと静かにお別れをしたいと思っているだけなのだ

(※太字下線は当方が施した)

 「記者はニュースを第3者の立場で冷静に見るべきだ」と書くなら、最後までその姿勢を通してほしいところです。国葬について、「一部野党やメディアが反対し、学者や弁護士がいろいろ言うが、議論する気にもならない」では、話になりません。それは、「優位な立場」にあるがゆえのおごりでしょう。「議論する気もしない」というのは「お答えを差し控える」というのと変わりません。それは、何かを言わなければ現状を変えることができない側にはありえないコメントです。
 そして、最後の「決め台詞」、「僕を含め多くの人は安倍晋三さんと静かにお別れをしたいと思っているだけなのだ」(だから?国葬の議論はやめましょう)と。これは逃げです。そもそも安倍氏の死は市井の人の死と同じではないから、公葬をするとかいう話になっているわけで、「静かにお別れ」をするのがよいのだったら、7月11日の葬儀で、「けじめ」の「お別れ」をして、話はもう完結しています。わざわざもう一度仰々しく葬儀=国葬をやって騒がなくてもよいと言うべきです。したがって、国葬の議論をやめましょうという結論ではなく、むしろ国葬自体をやめましょうと言う方が説得的です。
 もうひとつ。平井氏の「安倍さんの死を揶揄する」というとらえ方も的外れです。というより、(安倍氏に対してではなく)国葬に対する批判の声を意図的に混同させ、「死者に対する冒涜」を印象づけようとしているように見えます。

 いずれにしろ、首相が国葬をすると決めたんだから、それでいいじゃないか……と言ってしまう「ジャーナリスト」とは何なのか、と問わずにおれません。




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