ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「国賊」vs「反日」 国葬の日の記録

 岸田首相(政府)が「国葬」ではなく(正式には)「国葬儀」と言い張っていた安倍氏を「偲ぶ会(お別れの会)」は、知らぬ間に「国葬」という呼称で通されているようです。その「国葬」には行かないと公言した自民党村上誠一郎議員が、9月20日安倍氏を「国賊」と批判し、党内から反発を呼んでいましたが、27日、国葬に参列した長崎県平戸市黒田成彦市長はツイッターに、国葬に反対する人たちを「反日勢力」と呼び、「一般献花の人の列がすごい(市長の妻のメールの記述)……テレビよ、反日勢力よ。この静かな反撃を直視せよ!」と投稿したとのこと。人のことはとやかく言えませんが、この国葬をやることで、すっかり世論は二分され、互いの対立感情が露わになってしまったように感じます。
安倍氏国葬を欠席へ 自民・村上氏:時事ドットコム
平戸市長、反安倍氏勢力は反日 国葬に参列、ツイッター投稿 | 共同通信

 千葉県の田舎の役場などの公的機関やスーパーなど一般のお店が、9月27日のこの日、どういう対応をするのか、興味がないこともなかったのですが、それを確かめる気力もなく、小生は終日畑の草刈りに精を出していました。国葬のことは夕方以降のニュースで少し見た程度ですが、ネットで調べてみると、いろいろな情報が上がっています。なかでも、チダイズムさんの記述が最もまとまったかたちで当日の会場周辺の雰囲気を伝えてくれていて、ネットで目にした他の断片的な情報が、だいたいうまくつながりました。

【選挙ウォッチャー】 安倍晋三の国葬が最後までカオスすぎた件。|チダイズム|note

 チダイズムさんによると、葬儀の行われた日本武道館の前には、日蓮宗の一派「顕正会」の人たちが大挙して集まり、「日本はもともと「仏の国」だったのに、安倍晋三が「神の国」を作ろうとしていたせいで、日本が滅びようとしている」と訴えていたとのこと。おそらくその人たちにからんでいったと思うのですが、一人のチンピラ男が、「(おまえら)日本人か、ほんまに」と大声で威嚇している動画を見ました。でも、怒鳴られた若い女性はさしてひるんだ様子も見せず、毅然としています。「お前ら、安倍さんが何してくれたか、わかってやっとんのかぁ!」と言うので、じゃあ安倍さんが何をしたのか説明してください、と訊かれたこの男、返す言葉が「外交、がんばったやないかあ!」ですから(笑)。こんな貧相な理由しか答えられないのに、場所をわきまえろ、わかってんのか! などと怒鳴られてもねえ……。警官が止めに入ると、最後の捨て台詞が「国賊がおんねん」ですと。女性たちに罵声を浴びせてないで、次は国会前に大勢集まっている、あなたの言う「国賊」の皆さんを前に、一人で堂々と同じことを言ってみてほしいと思いますね、是非。
https://twitter.com/moco20210120/status/1574621669402226688

 それにしても、小生も大昔に右翼青年から「おい、そこのメガネ!」とか何とか罵声を浴びせられ、威圧されたことがありますが、この手の人たちはいつもこういう調子ですね。「教育」の成果とはいえ(小生も学校で働いていましたから、責任の一端があるかもしれませんが)、相手に敬意をもって話しかけるという、人としての基本がまるでなっていません。それでも「日本人か、ほんまに」と、こちらが言いたいくらいです。

 その他、国葬反対の声を上げている人たちに向けて「すぐそこで葬式をやっているんだから、静かにしろー!」と拡声器で叫ぶ人(笑)とか、「山上徹也君に感謝状を」と書かれた幟をもって角のガードレールに黙って座っている老人と、マンツーマンで彼を見張る警察官のこととか……、おもしろい(愉快という意味ではなく)ネタ(写真)が満載です。

 チダイズムさんのレポートで会場周辺の雰囲気はだいたいわかるのですが、武道館の中の様子は、中に入れた人でないとわかりません。

 この日の葬儀を一手に任された業者のムラヤマの会場設営に失笑する画像もいくつか見ました。
 チダイズムさんも「安倍晋三の遺影にガッツリと黒いリボンがつけられ、コントのような風合いに仕上がっていました」と書いていますが、正面の祭壇を角度を変えて眺めると、あっさりハリボテなのがわかってしまうのです。いやあ、安倍氏に「ふさわしい」と言われたら笑うしかありませんが、外国からもたくさん弔問客を招いておいて、これかあ、という思いはあります。
https://twitter.com/itokenichiro/status/1574761013198848001

 それから、レンタルなのでしょうが、数が数とはいえ、会場のイスももうちょっと何とかならなかったのでしょうか。公立学校の卒業式とかPTA総会で並べるパイプ・イスより少しは上等に見えますが、何と言ってもこの儀式、総予算が16億円以上ですからねえ。
https://twitter.com/shi_shi0489/status/1574895021341704192

 献花の順番待ちで長時間待たされたことに怒って係員を怒鳴りつけていた元議員(自民党?)の話などもありました(いつも優遇されてばかりだから、みんな同じに順番で並んで待つという習慣がないのですね)。でも、日刊ゲンダイの記事によると、進行自体が相当にぐだぐだしていたようなので、お怒りもごもっともかも知れません。
https://twitter.com/kikko_no_blog/status/1575035857865940992
(2ページ目)これが安倍氏国葬の内幕…会場では水しか飲めず、官僚は寝落ち、超グダグダ進行に怒号まで|日刊ゲンダイDIGITAL

 その他、当日演奏された楽曲の選曲センスとか、某国際政治学者のTwitter上の喪服姿アップとか、諸々ありますが、あとは割愛します。

 これで7月末から2ヶ月続いた一連の喧騒も「一区切り」となるのか(岸田首相とその周辺はそれを望んでいると思いますが)、来週からはいよいよ国会が始まります(野党から召集を求められてから2ヶ月近くが過ぎています)。

 最後に、ジャーナリストの青木理さんの記事より引用をお許しください。
 歴史的事象にかぎらず、些細なことでも何か出来事があると、主体と構造の相互作用というのは、いつも考えさせられる問題ですが、それでも小生には、「安倍晋三」もまた日本の政治的資源として仕立て上げられ、そして、消費された面が大きいという印象が強いです。いや、もちろん、イヤなら長兄のように最初から政治家になど名乗りを上げなければよかったのですから、「被害者」だとは思いませんが……。
安倍晋三は政治家一家に生まれた平凡な人 空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれた|日刊ゲンダイDIGITAL

……いまさら記すまでもなく、晋三の父は安倍晋太郎、母方の祖父は岸信介。父方の祖父・安倍寛もまた戦中に衆院議員を務め、眩いほどきらびやかな政治一家だが、そうした家に生まれていなければ、晋三が政治家になることはなかった。……軍部ファッショの嵐が荒れ狂った先の大戦中、軍部の圧力を受けながら翼賛選挙を非推薦で勝ち抜いた寛は、強烈な魅力を発する反骨の政治家だった。息子の晋太郎は所詮2世の“プリンス”ではあったが、山口の寒村で父の支持者に囲まれて育ち、大戦末期には志願した特攻を辛うじて生きのび、存外に魅力的逸話の多い政治家ではあった。
 だが、やはり晋三は違った。東京で生まれ育ち、小学校から大学までを成蹊学園で過ごし、いくら取材しても語るに値する逸話がない。同級生や恩師、あるいは大学卒業後にコネ入社した神戸製鋼所の上司や同僚など、何十人もの関係者に話を聞いたが、のちの政治姿勢につながるエピソードさえ出てこない。
 それどころか、晋三の口から政治的な発言を聞いたことのある者すら皆無――決して大袈裟ではなく、1人たりともいなかった。晋三は大学時代、地方自治を専門とする碩学のゼミに所属したが、当時を知る教員は「彼が卒論で何を書いたかも覚えてないし、ゼミで何かを積極的に発言した記憶もない」と振り返るのだった。
 かといってワルでもなく、成績はごく平凡。あえて等身大に評すれば、名門政治一家に生まれはしたものの、可もなく不可もないボンボンのおぼっちゃま。そんな晋三がなぜゴリゴリの右派に変貌したのか。神戸製鋼所時代の上司は当時の晋三を「要領がよくて、みんなに好かれていましたよ。たとえて言えば、まるで子犬」と評し、のちの政治姿勢についてはこう指摘している。
「周りに感化されたんでしょう。子犬が狼の子と遊んでいるうち、あんなふうになってしまった。僕はそう思っています」
 おそらくはその通りだったのだろう。戦後日本政治における右派の巨頭・岸の孫として生まれた晋三を、永田町内外の右派勢力はサラブレッドとして育てた。晋三にも、それが時代の潮流だと読む計算程度はあったのか、少なくとも自らを溺愛した祖父・岸への憧憬を抱いていた。そうして空虚な入れ物に、ジャンクな右派思想ばかりが注ぎ込まれた。……
 毎日新聞で晋太郎の番記者だった故・岸井成格が生前教えてくれた逸話も思い出す。晋太郎は晋三を岸井に紹介した際、苦笑しつつこう漏らしたのだという。「こいつはね、出来は悪いが、言い訳をさせたら天才的だ」と。そうやって「無知」と「無恥」、そして「言い訳の天才」という“才”を武器に「憲政史上最長」政権を成し遂げたボンボンが、病でも政治テロでもなく、カルト宗教に人生を破壊された男に手製銃で撃ち抜かれてしまったのは、最後の最後に世襲政治家としての運命にのみ込まれてしまったようにも思える。
 繰り返しになるが、世襲政治一家に生まれなければ晋三が政治家になることはなく、その空虚な器にジャンクな右派思想を注ぎ込まれることもなかった。だが、いまさら記すまでもなく旧統一教会が日本で勢力を伸ばす端緒を開いたのは祖父の岸。以後3代続いた教団との蜜月が汚れた澱を深く重く沈殿させ、ついにはそれが強烈な遺恨となって3代目の胸を貫いてしまったのである。

<追記>
 映画批評家前田有一さんが当日のNHKのテレビ中継を読み解いた記事がありました。「歴史的中継(作品)」として、この日のNHKのライブは見ておくべきだったと、ちょっと後悔します。前田さんの書いているとおりなら、NHTK(日本放送統一協会)などという薄っぺらな揶揄は、今後はやめることにします(10月1日記)。
安倍晋三元首相の国葬を映画批評家が分析したら、NHKのホンネがバレた件|前田有一┃映画批評家|note
【安倍氏国葬】"張りぼて祭壇"を映したNHKの意図|前田有一┃映画批評家|note
確変するNHK/国葬中継に込めた隠されたメッセージ|前田有一┃映画批評家|note







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