ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「国のために戦いますか?」

 「もう二度と戦争はあってほしくないというのがわれわれすべての願いですが、もし仮にそういう事態になったら、あなたは進んでわが国のために戦いますか」――こう訊かれて、「はい」と答えた人の比率は、日本の場合(2017~20年)、13.2%と世界79カ国中最低だという記事を見ました。
 6月8日付プレジデントON LINE の本川裕氏の記事です。 

「国のために戦いますか?」日本人の「はい」率は世界最低13%…50歳以上の国防意識ガタ落ちの意外な理由 他国はリーマンショック後の世界金融危機直後に「国防意識」上昇 | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
 
 このデータ、どこかで見たような気がしたので、調べたら、電通が2008年に編集した『世界主要国 価値観データブック』(同友館)に同様の調査結果が載っていました。こちらの方は調査時期は2005~06年となっているので、もう16,7年前ということになります。それによると、「もし、戦争が起こったら、国のために戦うか」という同じ問いに対して、
〇「はい」   15.1%(13.2)
〇「いいえ」  46.4%(48.6)
〇「わからない」38.5%(38.1)
 ※( )は今回=2017~20年

 でした。「はい(戦う)」は今回より約2%多いのです。その分「いいえ(戦わない)」も今回より少なかったのですから、今回の方が16,7年前よりも「(国のために)戦わない」が増えていることになります。まあ誤差と考えてもよい程度ですが、それにしても、日本の人の「はい(戦う)」の少なさは、他国と比べて突出して(いや、逆にへこんで?)います。加えて、「わからない」という回答が4割近いというのも、日本のある種の雰囲気を伝えているように思います。

 これまで何かにつけて「戦後民主主義」は叩かれてきましたが、それとセットになってきた「戦争放棄」や「平和主義」の方は77年間否定しようがなかったということでしょう。ここ10年、いやそれ以上に長く、右派的言論がけっこう幅をきかせてきたことを思うと、わずか2%とはいえ、「国のために戦わない」という人が増えているのには少々驚かされました。しかし、もし、これが「国」ではなく、「家族」や「大事な友だち」や「恋人」だったら、様相が一変するのではないでしょうか。日本の一般的な人の意識では、親しい人たちを「守る」ことと国を「守る」こととの間には大きな隔たりがあること、オリンピックやW杯で盛り上がるような「愛国心」が「国防意識」には結びつかないこと、それが良きにつけ悪しきにつけ、この国の問題というより、特徴のように思います。

 手元にある『価値観データブック』を眺めていると、興味深いデータがいくつもありますが、日本の独自性を示すものとしては、たとえば、「権威や権力が尊重されること」をどう思うかという問いに対して、
〇「良いこと」   3.2%
〇「気にしない」 14.1%
〇「悪いこと」  80.3%
〇無回答      2.4%

となっています。
 十数年前の調査とはいえ、権威や権力を8割もの人が尊重せず、これを否定的に見る国は他にはありません。これも日本の「突出」した特徴になっています。

<参考>
*韓国 :良いこと27.2  気にしない29.7  悪いこと43.1
*中国 :良いこと43.4  気にしない20.0  悪いこと 8.0
*米国 :良いこと59.2  気にしない32.0  悪いこと 6.7
*ドイツ:良いこと49.8  気にしない29.2  悪いこと16.7
*ロシア:良いこと40.0  気にしない42.6  悪いこと 5.2
(同書、129頁)

 でも、日本の「権威」や「権力」を預かる人々の実態を思えば、そりゃそうだな、と思い当たるところはあります。
 むかし、暗殺されたイスラエルのラビン元首相の回顧録を読んでいたら、イスラエルでは軍人(上がり)でないと首相になれないというようなことが書いてあって、日本の国情とは全然違うことを思い知りました。イスラエルの人々にとっては、感覚的に周り中「敵」に囲まれて、いつ戦争になるのかわからないのですから、国民は政治指導者に命を預けているという思いがあるでしょう。指導者もその期待や切迫感に応える任務を負っています。
 一方、日本の指導者はどうか。毎度の例が「富ヶ谷殿」では恐縮ですが、自民党が2009年野党に転落したとき、茫然自失の党の総裁となり、反転攻勢をかけたのは、谷垣禎一氏(2017年引退)でした。ところが、東日本大震災原発事故もあって、民主党政権への不支持が広がり、政権奪還の気配が出てきた途端、谷垣氏を押しのけて党総裁に割り込み、その後8年近くも首相を務めたこのお方、コロナとの「戦争」では、アベノマスクをはじめ愚策・失策を責められておもしろくなくなったのか、自らの病気情報を流して(国の指導者なら普通は隠すことです)、政権を投げだし、その後勇退するでもなく、今もなお血気盛んに議員と講演活動を続けておられる。先頃、またまた桜前夜祭でのサントリーの酒の寄贈問題が明るみになりましたが、この間、疑惑の説明からも逃げまくりです。万一もし、日本が戦争になったと考えた場合、臥薪嘗胆、火中の栗を拾うよりも「勝ち馬」に乗るのが得意な輩とそれに群がる集団に命を預けて本当に大丈夫か、一部の礼讃者を除けば、これはほとんどの人に自明なことだと思います。それは戦時に限ったことでもなく、平時でも同じです。他の政治指導者たちも、申し訳ないけど、どんぐりの背比べと言わざるを得ません。
 
 むかし学校で生徒に「戦争になったらどうするか?」というアンケートをしたら「逃げる」という回答がやけに多かった記憶があります。「どこに?」と思いつつ、これもこの国のある種の雰囲気を伝えているように思います。「戦争は悪」――多くの人々に共有されているこの理念は、物理的暴力に限った話ではなく、「争いごと」を忌避する風潮がこれを後押ししているように思いますが、これはまた別の機会に。






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