ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「なんもしない人」

 何となく電話が苦手だ。腰が落ち着かないような気分になる。相手の顔が見えないからだろうか。では、面と向かって話せば落ち着くのかと言えば、それはそれで違った緊張感もあるので、よくわからない。
 親の介護が必要になって、やっと緊急時の連絡用に携帯電話を持ち歩くようになったが、それまでは長く「家電」のみだった。方々から連絡がとれなくて困るとよく言われた。学校で働いていた頃、生徒から、なぜ携帯電話をもたないのかと訊かれ、そもそも相手の顔が見えないで話すのが苦手だから電話自体好きではないというようなことを言うと、「(顔を見て話す)それって大事なことだよね」と言われたのを思い出す。まだ1990年代半ばの話だ。

 その後、携帯電話も含めてインターネットが急拡大し、社会にその地盤をかためると、人間同士の関係も変化してきた。ふつう、名前を知っている人は「親密な人」と「疎遠な人」に分かれるが、名前を知らない人はほぼ「疎遠な人」である。ところが、ネット社会の現在では、名前を知らないのに「親密な人」というのが存在する(英語圏では、Intimate stranger=「親密な他人」というらしい)。これは「親密さを装って」などという警句が付いて犯罪の温床と見なされることが多い。しかし、危険と隣り合わせかどうかはともかく、「親密な人」と名前を知る・知らないは、直接関係がないことははっきりしている。さらに言うなら、名前(という人格)を知らない方が「親密」になれる場合があるのではないかということをも想像させる。

 「何もしない」を職業にする男性を紹介した2年前の記事を読んだ。この方はテレビ出演もされていたようだが、何せ小生はテレビを見ないうえにアンテナが低いので、まったく知らなかった。しかし、これは非常に興味深い。「何もしない」職業って何だろう? と思いながら読んだが、なるほどなあと思った。そして、人は一人でいたいときもあるし、誰かと一緒にいたいときもあるのだという、至極当然ではあるが、都合がよく、わがままで、しかし、哀らしくも温かくもある存在であることを改めて感じた。微笑と苦笑が交差する。

 「OCEANS」、2019年8月15日付の記事(取材・文:藤野ゆり氏)より。

「何もしない」を職業にした35歳男の豊かな人生 | OCEANS | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース

ツイッターのフォロワーは現在17万人超え。当初はポツポツとこなしていた依頼も、今では断らざるをえないほど殺到している。
「毎日2、3件、多いときは4件ぐらいの依頼をこなしています。この1年で1000件以上は『なんもしなかった』ですね」
おかしな話だが、レンタルさん(仮名)の1日は「なんもしない予定」で埋まっているのだ。
「朝8時半ごろ家を出て、依頼者の指定する場所に行きます。日によって変動しますが、3つほどなんもしない依頼をこなして帰宅は夜10時前後。移動がやや大変だけど、基本的になんもしないし、仕事終わりに飲むビールのおいしさが初めてわかりました」
なんもしない……けれど、充実している。そして、なんもしないけれど、人々から必要とされている。
「なんもしない」とはどういうことなのか?
……
偶然にも取材をした6月3日は、“レンタルなんもしない人”が誕生1周年を迎える節目の日。…1年前のこの日、“レンタルなんもしない人”は、ひとつのツイートから誕生する。

「『レンタルなんもしない人』というサービスを始めます。1人で入りにくい店、ゲームの人数あわせ、花見の場所とりなど、ただ1人分の人間の存在だけが必要なシーンでご利用ください。国分寺駅からの交通費と飲食代だけ(かかれば)もらいます。ごく簡単なうけこたえ以外なんもできかねます」(原文ママ、レンタルさんのツイートより引用)

ツイートはすぐに話題になり、その存在が世に知られるのに、そう時間はかからなかった。2019年に入って書籍を2冊発売。漫画化やバラエティー番組の出演、NHKのドキュメンタリーで密着取材を受けるなど、その斬新な生き方には各メディアから注目が集まっている。
……

仕事内容は「ただそばにいるだけ」
 そもそも“なんもしないサービス”とは、具体的にどんなサービスなのか。著書『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社)からは業務が垣間見える。

・「結婚式を眺めにきてほしいという依頼。事情により友達呼ぶの控えてたけど少しは誰かに見てもらいたい欲が出てきたとのこと」
・「離婚届の提出に同行してほしいという依頼。一人だと寂しさがあるのと、少し変な記憶にしたいという思いもあるとのこと。『最後に、お疲れ様でした(旧姓)さんと言ってもらえますか』と頼まれその通りにした」
・「自分に関わる裁判の傍聴席に座って欲しい」との依頼。民事裁判で、依頼者は被告側。初裁判の心細さというより、終わって一息つく時の話し相手が欲しいとの思いで依頼に至ったらしい」
・「『引っ越しを見送ってほしい』との依頼。友達だとしんみりし過ぎてしまうため頼んだとのこと。元の部屋~東京駅だけの付き合いだったけど、いろいろ楽しい会話もあり、演技のない名残惜しさで見送れた」
・「気の進まない婚活の作業を見守ってほしいとの依頼。唸り声を10分に一回くらいあげながら登録作業に勤しんでいた」
著書『レンタルなんもしない人のなんもしなかった話』(晶文社)より一部抜粋

なんもしなくていい。家族でも友人でも恋人でもない、自分のことをまったく知らない誰かに、ただそばにいてほしい。
レンタルさんは、さまざまな依頼人の心のスキマに寄り添うが、なにか特別なスキルで依頼者を癒やすわけでも、的確なアドバイスを繰りだすわけでもない。本当にただそこにいるだけ。極端な話、空気のような存在なのだ。
もちろん、「いる」だけではなく依頼者の身の上話や知人には話せないような秘密、趣味についての熱いトークに、耳を傾けることもある。
「自分の好きな作品について語りたいが、友人では迷惑かもしれないから……という人は多いです。また、初見の人の純粋な反応を知りたいという場合もありますね」
SNS上で盛んに行われるような感情の共有と拡散を、依頼者たちはレンタルさんにリアルの場で求めている。
依頼の多くはツイッターのDM経由で、依頼者は若い女性が多いという。女性ゆえの不安を解消する「なんもしない」リクエストも少なくない。
「例えば夜にポケモンGOをやりたいが夜道に女子一人は怖いから一緒にいてほしい……とか、夜の新宿を撮影して回りたいが不安なので見守ってほしい、とか。逆に男性ひとりではためらうようなかわいいお店に入ったり、クレープを食べるのを付き合ったり、男性ならではの依頼もありますね」

<中略>

「一人では一人になれない」
 つい先日も、こんな依頼があった。

「疲れて飛び降りて入院中の人から「何も知らない何もしない人に会いたい」との依頼があり病院へ。(中略)途中「姿は見えるけど話はできない所にいてほしい」と言われ離れた後、3枚目の画像のDMが来た。「1人にさせてくれる他人」が必要だった模様」(レンタルさんのツイッターより引用)

送られてきたメッセージには、こんな依頼主の切実な思いがつづられていた。

「自分の本当の依頼内容は『一人になりたい』だったのかもしれません。一人では一人になれないので。(中略)一人にさせてくれる自分のための他人がいることはとても贅沢だと思いました」(依頼主のDMより引用・原文ママ

誰とでも手軽につながれる現代、「一人にさせてくれる」レンタルさんに救われている人は、確かに存在するようだ。



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