今日は短く。
『次郎物語』の作者下村湖人のことばに
「馬鹿は必ずしも高慢ではない。しかし高慢はすべて馬鹿である」
(『青年の思索のために』)
というのがあるらしい。
トルストイ『文読む月日』の11月9日のテーマは、この「高慢」。
(一) 自愛は高慢の始まりである。高慢は――放任された自愛心が満開になった状態である。
(二) 自分の自愛心、すなわち自分を世界中の誰よりも上に置きたがる性質に嫌悪を感じない人は、完全な精神的盲人である。なぜならそれは、正義にも真理にも矛盾するからである。なぜ正義に反するかと言えば、人間誰しも同じことを、つまり人より上に立つことを望むものだからであり、なぜ真理に反するかと言えば、世界中で一番上に立つことなどできっこないからである。(パスカル)
(三) 二種類の人間がいる。一つは正しいのに自分は罪人だと考える人たちであり、もう一つは罪深いくせに自分は正しいと考える人たちである。(パスカル)
……
(六) 自分自身がまだこれから学ばなければならないのに、他人の先生になりすましている人がたくさんいる。(東洋の金言)
(七) 悪い車輪はいつもひどく軋む。空っぽな穂はいつもぴんと立っている。高慢というのはそんなものである。
……
(九) 人生で最も重要なことは、自己完成である。しかし、高慢ちきな人間がみんなそうであるように、人が自分にすっかり満足しきっていたら、どうして自己完成などできよう。
情報を拾うためにTwitterやブログを眺めていると、意地になって不毛な争いをつづけているものが散見される。誰かが仲裁に入って自分の顔を立ててくれるのを待っているのだろうか。少し心を落ち着けて考えてみてはいかがか。
あなたがたが最も嫌悪すべき最も高慢な連中は、高みの見物をしながら高笑いしてるよ。
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