ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

危機の時代と自己責任

 8月20日に放送されたCSのTBS NEWS『国会トークフロントライン』で、元自民党幹事長の古賀誠が、コロナの感染拡大と自己責任について言及していることを知った。自民党の総裁選の話より、こちらの方が気にかかった。
 以下、該当部分の引用。

解散は?総裁選は?出馬意欲の3名は?元自民党幹事長 古賀誠氏に聞く|TBS NEWS

石塚博久政治担当解説委員
 ……毎日コロナの感染拡大が止まらないということで、新規陽性者数の推移を見ていくと、8月18日の時点で2万人を超える事態となっているということです。毎日、東京の感染者数に関しては午後4時45分に発表になるんですけど、毎日びっくりするような数字が出ているということで、どうご覧になりますか。
古賀誠自民党幹事長
 ここまで感染が拡大するとは私も予想だにしませんでした。しかし怖いですね、この感染症というのは。何か全然見えないものと一生懸命戦っているようなね。やはり国民一人一人がいかに自覚と覚悟するかと。感染症というのは、やっぱり自分で身を守るということがいかに大切かということを象徴的に表してますね。そんな気がします。

<中略>
石塚解説委員
 (感染を抑える)なかなか決定的な方法がなくて、イギリスなんかだとロックダウンを何回かやっても結局感染拡大しているし、アメリカでも収まったかなと思ったらまた拡大ということなんですよね。
古賀元幹事長
 だから一方的に感染がこんなに拡大してるのは政治が原因だと、政府に責任があるんだと。そういうのは私はおかしな話だと、いつも思いますね。最初に言ったように、やっぱり自ら極めてこの感染に対して身を守るという責任、そういったものはやっぱり一人一人が自分でできることをしっかりやっていくということは、まず第一の基本でしょうね。

 これは学校の先生が子どもたちに「心得」を伝えるのとは意味がちがう。衆院議員を退いて9年、まだまだご健在とはいえ、81歳になる元?政治家の発言が、スガの「自助」と同じというのはちょっと驚かされる。自民党にはこういう思考が脈打っているということなのだろうか。
 この理屈でいったら、コロナは不心得者が感染するということになりかねない(だとすると、日本を漫遊するために?戻ってきたIOC・バッハ会長は感染しなくて、最前線で医療に従事する人が感染するのは、なぜか?)。さらに言えば、オリンピックをやれば感染爆発を引き起こす、医療崩壊を招く、とオリンピック開催に反対する声が大多数だったのに、世論に反するかたちでオリンピックの開催を強行したのは政府である。これで政府に責任があるというのが「おかしな話だと、いつも思う」のは、どうしてか?


 ジェニファー・ラトナー=ローゼンハーゲン著(入江哲朗訳)『アメリカを作った思想 五〇〇年の歴史』ちくま学芸文庫 2021年7月)に、アメリカ合衆国ニューディール時代(1930年代)を取り上げた部分がある。読んでいくと、1930年代の大恐慌2020年代パンデミックには似たところがあるように感じた。

ニューディーラーニューディール政策の推進者)たちは、社会的ないし経済的に重要なあらゆる領域を自分たちは視野に収めるべきだと考えていた。しかし、他方で、…アメリカ思想の辺縁に追いやられてほしいと彼らが望んだ観念が…頑強な個人主義である。当時のアメリカの史学界における第一人者であったチャールズ・ビアードによれば、(40年前=19世紀に論じられた)「フロンティア」の反社会的かつ個人主義的なメンタリティ…の称揚はもはや危険なまでに時代遅れであった。ビアードはこう主張した。「西洋文明が認識した自らの危難[…]は、自分の身は自分で守れ他人のことなど気にするなという個人主義の信条に主な原因がある――これが冷厳な真理である。この信条は、農業も産業も原始的であったころにいかなる(いささかは?)取り柄を有していたにせよ、テクノロジーや科学や合理化された経済の時代には適用しえない」。
(同書、220頁)※( )は当方の補足と解釈。

 上の文章は、「個人主義」を「自己責任」に置き換えれば、今の時代にも一層あてはまる。”危機”の時代に「自己責任」はそぐわないし、通用しないと思う。一人ひとりの危機が集まって全体が危機となっているわけでもないのではないか。全身傷だらけでも、重傷と重体は異なるはずだ。

 別の箇所には、こんな文章もあった。

 フランクリン・デラノ・ローズヴェルト(大統領)は「大胆にして弛みなき実験」なくして破壊された経済と自暴自棄の社会との修復は果たしえないと考えていた。さまざまな経済学者たち、社会科学者たち、法学者たちを起用し政府顧問として働かせた彼は、経済的かつ社会的な荒廃と戦ううえでの最良の武器は知識だと信じていた。…
(同、219-220頁)

 パンデミックを「荒廃」と直結はできないが、知識や学問を軽んずる総理大臣が経済的かつ社会的な危機と「戦う」(向き合う)とどうなるか、その現実を我々は日々見せつけられているように思う。

 そもそも、古賀氏には、誰もが誰かにコロナを感染させるという視点が感じられない。コロナから「身を守る」という発想だけでは、対応が、台風が過ぎ去るのを待つのと同じになるのは当然かも知れない。




↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村