ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

8月6日の疑惑の検証

 今年の8月6日、広島の原爆死没者慰霊式・平和祈念式で内閣総理大臣として挨拶したスガが文章を読み飛ばした件(それ以外にも、原爆を「原発」と読んだり、内容も前年のアベ挨拶をほぼコピペしたものであるなど、「事件」と呼んでいいくらいの失態だった)。珍しくも、その日のうちにスガ本人が陳謝したが、問題は、なぜ読み飛ばしたか、その理由の説明だ。報道各社は、首相周辺(誰?)のオフレコ取材より「原稿を貼り合わせるのりがはみ出して紙同士がくっついて剥がれず、めくることができなかった」「事務方のミス」などと報じた。代表して毎日新聞共同通信(孫引き)の8月6日付記事を以下に。

首相の読み飛ばし 原因は「原稿がのりでくっついてはがれず」 | 毎日新聞
首相の原稿、のりでめくれず 広島式典の読み飛ばし(共同通信) 政府関係者は6日、菅義偉首相が広島の原爆…|dメニューニュース(NTTドコモ)

 これは最初から怪しい感じがした。こともあろうに首相の式典挨拶状の「蛇腹」をつくる責任者が、「完成」したあとにちゃんと開くかどうかを確かめないわけがない。

 ジャーナリストの鮫島浩さんは8月11日付記事で、こういう「怪情報」を疑いもせずそのまま垂れ流す政治報道の問題性を指摘していた。

菅首相の原稿読み飛ばしで首相周辺がオフレコで説明した「のり原因説」を垂れ流す政治報道の危うさ│SAMEJIMA TIMES

<前略>
 真偽はわからない。しかし、この「のり原因説」の信憑性は怪しいと私は疑っている。少なくとも首相周辺のオフレコの話を鵜呑みにして報道するのは極めて危険である。まっとうな政治記者なら、首相周辺が「のり原因説」を各社に一斉にオフレコで説明した時、まずは「本当か?」と疑わなければならない。報道各社が言われるがままに横並びで「事実」として報じたことに、現在の政治報道の劣化が映し出されていると思う。
 菅首相の原稿読み飛ばしの原因が「のり」でなかったと仮定しよう。その場合、首相周辺(政治記事でこの表現を使う場合、その多くは首相秘書官である)は報道各社にあえてウソの説明をしたことになる。つまり、ウソをついてまで隠さなければならない「本当の原因」があったことになる。その場合、単なる「事務方のミス」ではなく、首相をめぐる重大な政治問題が潜んでいることになる。首相周辺がひた隠しにしなければならないほどの「異変」が起きているかもしれないのだ。
 政治家や官僚の「ウソ」は「隠された事実」を暴く貴重なヒントである。だから政治記者は常に権力を疑い、ウソに敏感でなければならない。
 実際、菅首相の挙動はこのところ不自然である。東京五輪の開会式で天皇が開会宣言する時に起立するのが遅れたことは、集中力の低下を物語っている。長崎の平和祈念式典に「トイレ」を理由に遅刻したことも異例のことだ。国会や記者会見でも原稿の棒読みが甚だしく、覇気がない。支持率が高かった首相就任当初はネット番組で「ガースーです」と冗談を飛ばす余裕があったが、支持率が急落した後は同じ答弁を何度も繰り返す無気力な姿勢が目立つようになり、視線も力なく彷徨う場面が増えた。
 私は20年近く前から菅首相を取材で知っているが、このところの様子をみると、精神的にも体力的にも相当追い込まれるという印象を持っている。日常的に菅首相をウォッチしている官邸記者クラブ政治記者たちはそうした変化に気づいているはずだ。もし気づいていないのだとしたら官邸に常駐している意味はない。
 政治記者たちにまして「首相周辺」に日々密着している首相秘書官たちは、首相の精神面・体力面の変化をより強く感じているだろう。コロナ危機対応に加え、秋の自民党総裁選や衆院解散・総選挙にむけて正念場を迎えている今、菅首相の気力・体力に疑問符がつくような報道が展開されれば求心力は一挙に低下しかねない。
 菅首相の「原稿読み飛ばし」事件は、そのような中で起きた。首相自身や首相周辺が求心力低下を恐れ、「事務方の失敗」を装い「のり原因説」をでっちあげたかもしれないーー政治記者ならそのような想像力を働かせ、首相周辺が「のり原因説」を説明したときに「それは本当なのか」とその場で厳しく追及し、他の首相周辺にも取材を重ね、納得できるまでは「のり原因説」をそのまま垂れ流してはいけないのである。
 まして安倍・菅政権は虚偽答弁や公文書の改竄・廃棄による隠蔽工作を繰り返してきたのである。よりいっそう、すべてを疑ってかかる取材姿勢が不可欠だ。決して権力の情報操作に利用されることなく、権力監視を徹底する政治報道とはそういうものだ。
いくら「首相周辺が〜明らかにした」「政府関係者が〜明らかにした」という形式の記事でも、読者はそのまま受け止める。「記事では断定していない。首相周辺の説明を伝えただけだ」という言い訳は通用しない。当局者の情報操作に加担していることに変わりはないからだ。

<以下略>

 ところがである。この疑惑の蛇腹を検証し、のりの付着などなかったことを明らかにした人たちがいた。広島のジャーナリスト宮崎園子さんの10月1日付記事。これはいい記事だった。引用を許されたい。

【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(上) | InFact / インファクト
【総理の挨拶文】のり付着の痕跡は無かった(下) | InFact / インファクト

<前略>
公文書開示請求
 広島市公文書館広島市中区)の一室。9月下旬のある日、私はそこで、ある「公文書」の開示を受けるために、待機していた。その6日前に広島市長あてに提出した公文書開示請求に対する開示決定がされたとの連絡を受けていた。
 私が広島市に開示請求していた公文書とは、まさに、今年の広島原爆の日の8月6日、菅首相が広島の平和記念公園で開かれた平和記念式典で読み上げた、挨拶文の原本そのものだった。広島市情報公開条例に基づき、公文書の開示請求をしたところ、「市民の知る権利を尊重し、市民に公文書の開示を求める権利を保障する等市政に関する情報の公開について必要な事項を定めることにより、市民に説明する責務が全うされるようにし、市民の市政参加を助長し、市政に対する市民の理解と信頼を深め、もって地方自治の本旨に即した市政を推進することを目的とする」とした条例第1条の規定によって、開示が決定されたのだ。
 一国の首相が、広島の原爆死没者慰霊碑前で、世界に向けて発した演説だ。貴重なものだし、ちゃんと扱わねば、と思って白手袋を用意していた。だが、市職員が素手で触って目の前に差し出したため、私も素手で手に取った。
 挨拶文は、A4サイズの和紙のような薄紙を、横に7枚並べたものだった。会議室の横長の会議机からはみ出る長さ。2メートルほどあった。紙と紙の継ぎ目部分は、幅約2センチの同材質の紙を裏側からのりのようなものでくっつけた形状だった。挨拶は縦書きで、3行分ごとに折り畳んである。「御霊」「哀悼」「焦土」「尊さ」などの単語には、丁寧にルビが振られていた。

<中略>

 本当にのりの不具合があったのだろうか。入念に挨拶文を観察した。
 紙と紙の間を接続する細い紙は、表面ではなくて裏面に貼り付けてある。万が一のりがはみ出したとしても、裏面同士がくっついてしまう構造であるため、蛇腹をめくれない状態になどならない。接続部分をよく見てみると、たるみやシワ、うねり、ズレが何一つなく、ピシッとのり付けがされている。貼り付け部分からのりがはみ出した形跡もまったくない。ましてや、くっついてしまった部分を無理にはがした跡もなかった。

挨拶文は裏側で細い紙で丁寧に貼り付けられている
 丁寧で細やかな仕事ぶりに、思わず口をついて出た。
「めちゃくちゃいい仕事、してますね」
 読み飛ばしや読み間違いは、誰だってあるだろう。それはさておき、広島市民として、私が納得がいかなかったのが、その日の午後6時過ぎには、「のりが付着してはがれず」などと読み飛ばしの理由を説明する「政府関係者」の話が、ツイッターのタイムラインなどで流れていたことだ。まさかそんな粗相、あるのかしら、と。
 同じように憤慨していたのが、私より先に、挨拶文原本を情報公開請求していた、本田博利・元愛媛大法文学部教授だった。翌日7日の新聞各紙で、「完全に事務方のミス」などとする「政府関係者」の釈明を読み、「そんな訳がない」と確信していた。というのも、本田さんは、広島市役所に30年近く勤務した元職員。挨拶文を用意する事務方の役人が、いかに事前に入念にチェックにチェックを重ねるかだけでなく、ある重要な事実を知っていた。それは、挨拶を終えた首相が、手元の挨拶文を、壇上に置いて自席に戻り、そのまま式典会場を離れる、ということだった。
 本田さんは、駆け出しの3年間、式典の裏方として、ハト小屋担当を勤めた。式典では、広島市長が平和宣言を読み終えたタイミングで、平和の象徴であるハトを一斉に放つ演出をする。その任務を果たすため、ハト小屋前からスピーチ台を凝視してきた。だから、来賓は挨拶文を壇上に置いて帰ることを知っていた。
 「挨拶が済んだら、挨拶文は広島市の取得(入手)文書になる。読み飛ばしが発覚した時点で、『政府関係者』はその状態を見られるはずがない。どうして『のりが付着していた』などという説明ができるのか」
 本田さんはまた、1986年施行の市情報公開条例に立案段階から関わり、広島市公文書館の4代目館長も勤めるなど、長く情報公開に携わってきた。挨拶文原本は広島市が保管する文書として公文書にあたると考え、情報公開請求をしたという。
 読み飛ばされた部分は、蛇腹の挨拶文で6行分に相当する箇所だった。その6行の周辺の接続部分について、私は同行した元国会議員や元大学教授らとともに、表や裏をくまなくチェックした。だが、のりがくっついたり、その後はがれたりした箇所はやはり、見つからなかった。かがんで挨拶文をじろじろ凝視する私たちを戸惑うような表情で見つめていた広島市の担当者も、「めくることができないようには見えない」「後からはがした事実も見当たらない」との見解だった。

<中略>

あまりに美しかった挨拶文
 私が広島市公文書館で閲覧した、首相の挨拶文原本は、最初のページは1センチ程度の折り込みがつけられ、めくりやすく工夫されているほか、紙と紙の継ぎ合わせの部分は、とても丁寧に、乱れなく、貼り付けられていた。
あまりに美しかったので、テープ状ののりか何かを使っているのかと思ったぐらいだ。ひとつひとつ、ハサミを入れた跡があったため手仕事とわかる。蛇腹の幅もピチッと揃っていて、これを準備した現場の役人の仕事ぶりにはただただ感銘を受けた。にもかかわらず、「完全に事務方のミス」(共同通信)と罪をなすりつけられたのならば、現場の役人が気の毒でならない。

 こうした「政府関係者」の根拠なき説明を、そのまま伝える報道機関。私の不信感は募るばかりだ。あるいは、「たかだか、広島での挨拶なんて」と考えているのだろうか。そうでないと信じたい。


 上の筆者・宮崎さんは、10月1日16時頃から、TBSラジオ荻上チキ・Session」に電話出演され、インタビューを受けていたが、核兵器廃絶を願う広島の人々の思いと、報道される中央(政府)の姿勢とのあいだには、どうしても温度差やギャップを感じてしまい,率直に残念に思う、と述べていた。

 岸田・自民党新総裁は広島選出。一族にも被爆者がいると聞く。10ヶ月後、どうなっているかはわからないが、8月6日に首相として挨拶に立つならば、核兵器廃絶への気迫というものを是非示してほしいと思う。

 さてさて、スガ首相周辺のどなたか知らないが、「撤収」する前にきちんと説明してくださいよ、このウソをね。



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