ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「日本という牢獄」

 葬儀明け。納骨まで終わって一区切り。葬儀に参列した方々が父親の遺影を見るとみな表情を緩めていたのが印象的だった。父親のお骨は足も腕もしっかりしていて、すんなりと骨壺に収まらないほどだった。長い間、本当に本当によく働いたと思う。安らかに休まれよ。

 今日からはいろいろと手続きに動かなければ…。

 スリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった件での、名古屋出入国在留管理局や法務省の対応には、この間、ずっと不信感をもってきた。ビデオの公開しかり、黒塗りの文書開示もしかり…。
 昨日、出所をメモするのを忘れてしまったが、外国人支援団体を主宰する織田朝日さんという方のコラムを読んだ。標題は「日本という牢獄」だった。以下、引用。

 日本は難民条約を結ぶ国の中でも認定率が余りに少ないのは周知の事実だろう。他の国に行けばいいという意見もあるかもしれないが、日本から第三国に行くのは本当に難しい。入管は「他の国へ行きたいなら、まず自分の国へ帰ってからにしろ」と冷酷に切り捨てる。しかし、難民の立場であれば、帰ることは難しい。入管はあまりにも心がない。それでも日本を出たい人は、国際移住機関などの厳しい審査を受け、わずかな人だけが運良く第三国出国に成功できる。
 7月、日本で長年暮らしていたナイジェリア難民の女性がカナダで暮らすことが認められた。日本では難民として認めあられることはなかった。入管に収束され、その理不尽な扱いに対し、職員と喧嘩になった。男性職員たちに集団暴力を受け、職員がそれぞれ四肢をつかみ、手も足も開かれた状態で、女性としてはあまりにも恥ずかしい姿で懲罰房まで連行された。どさくさに体も触れられ、何重にも屈辱を受けたと彼女は言う。
 助けを求めた難民女性を暴力とセクハラで痛めつける日本に対し、カナダの対応は立派だった。同じ難民条約を結ぶ国として恥ずかしくないのだろうか。カナダに到着した、やっと日本という牢獄から抜け出せたのだという彼女の声は、とても晴れやかに聞こえた。  
 日本で苦しみ続けているのは彼女だけではない。難民でありながら収容され、第三国に行くことも認められない人のほうがはるかに多い。彼女には、せめて日本では叶わなかった幸せをかみしめてほしい。ただ、こうやって出会った人との別れは、個人的には寂しいものだ。

 「日本という牢獄」。病気になっても病院で診てもらえず、自宅で亡くなる人が続発している現況を知ると、「牢獄」が入管に限られた話とはとても思えない。

 8月20付の毎日新聞のコラム「金言」で、論説委員小倉孝保氏は、入管の蛮行に戦前の内務省特別高等警察特高)の系譜や連続性があることを示唆する。

金言:「鼻から牛乳」の原点=小倉孝保 | 毎日新聞

 3年前に亡くなった国際法の泰斗、大沼保昭は日本の入国管理政策史にも関心が高かった。彼によると、戦前の入管は国内の治安維持を主目的とし、内務省特別高等警察特高)が業務を担った。
 戦後、内務省特高は解体されたが、その関係者が入管業務に携わるケースも少なくなかった。彼らは朝鮮半島や台湾の出身者に対し、抜きがたい偏見を持ち続けた。大沼は書いている。「入管イコール治安維持的発想にもとづく取り締りという結果をもたらすこととなった」

 スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさん(当時33歳)が3月、名古屋出入国在留管理局の施設で病死した。先日公表された出入国在留管理庁による最終調査報告からは、職員による外国人への根強い偏見や差別意識が伝わる。
 不法残留で収容されていたウィシュマさんは亡くなる5日前、カフェオレをうまく飲み込めず、鼻から噴き出してしまう。この時、職員は言った。「鼻から牛乳や」。死亡当日の朝、向精神薬を飲んでぐったりしている彼女に、職員は「ねえ、薬きまってる?」と話しかけている。死の淵にいる者を前にした発言とは思えない。
 調査報告は、施設の医療体制や情報共有、職員教育への取り組みが不十分だったと指摘した。不法残留だったとはいえ、施設に彼女を死亡させる権限はない。当時の名古屋入管局長と次長が訓告、警備監理官ら2人が厳重注意となった。命の重さに比べ、処分はあきれるほど軽いと私は思う。
 施設を出れば職員はみな、親切な市民であり、家では善良なる父や夫、優しい母や妻なのだろう。なぜ施設内ではこれほど、非人道的になり得るのか。2007年以降、入管施設での死者はウィシュマさんを含め17人。異常である。

 国連人権理事会の恣意(しい)的拘禁作業部会が昨秋、日本で難民申請中の男性2人の長期収容について、「恣意的拘禁であり、国際法違反」とする意見書を出した。これに対し上川陽子法相は3月30日の記者会見でこう強調した。「我が国の出入国管理制度は適切に運用されている」
 ウィシュマさんが「不十分な医療体制」の下、命を落としたのは、この会見の3週間あまり前だった。別件とはいえ、法相の「適切に運用されている」という言葉が空疎に響く。

 終戦から76年になった。外国人との共生が求められる今もなお、戦中の治安維持思想が亡霊のごとく生きている。ウィシュマさんはその身をもって、私たちにそれを突きつけた。

 戦中の治安維持思想の「亡霊」があるかどうかは小生にはわからない。しかし、こういう「分析」は怖いところがある。ことは100年も前の特高警察の話である。それが今でも「引き継がれている」となると、この国の国民はいったいこの百年間何をしてきたのかということになる。

 たとえば、森喜朗のような昭和の悪辣を象徴する化石のような輩が、その適格性を問題視され、批判されて公職を退いても、なお公然と(隠然とではなく!)影響力を行使し、それを組織体や世間は追従・追認する国なのである。結局、この国は「変わらない」「変われない」、だから、「仕方ない」になってしまわないかどうか。小倉氏の意図するところとは、おそらくは正反対の「結論」を、多くの読み手が得心しないか、それが怖い。

 この国は「変われること」、「変われる人材が複数いること」を、様々な障害と妨害を乗り越えて、世に示すことが大切だ。入管問題もそういう視点で見たい。




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