ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

手を組むヒトラー 腕を組むスガ 

 毎朝仏壇にご飯とお茶を供え、母親の写真を拝む。葬儀で写真が必要になったとき、母親は笑顔で写っている写真が少なかったので、探すのに苦労したが、葬儀屋さんがそれらしく仕上げてくれてありがたかった。以後、ずっとこの写真が母親の「基本的」肖像となるわけだから、笑顔で写っている方が断然いい。
 しかし、不思議なことに、笑顔で写っているはずなのに、拝んでいる側が「笑顔」でないと、母親が笑っているように見えないことがある。そういうときには思い直して「気持ち」を入れ替え、再度手を合わせるのだが、毎朝拝みながらこの〝関係性〟について考えさせられる。
 いくら今は一般の人でも好き勝手に写真を加工修整できる時代になったとはいえ、この〝関係性〟までは加工修整できない。まして、写された人間の内面などはとうてい変えられない。たまにしかるべき人が写すと、被写体の内面を透視するような画を映し出してしまうことがあって、やはり写真には怖いところがあると思う。

 大昔に『歴史写真のトリック 政治権力と情報操作』(アラン・ジョベール著 朝日新聞社、1989年)という本を眺めていたら、ヒトラースターリン毛沢東らが写っている元写真にどのような修整が加えられたかをつぶさに解説していて大変興味深く思ったことがある。今本箱の奥から引っ張り出して開いてみると、たとえば、63頁に、ヒトラーが首相になる前にヒンデンブルク大統領と二人で写った写真がある。眼光鋭く威厳ある現職の大統領を横に、ヒトラーの方は手を前に組み、ややかしこまった感じで写っている(この段階ではまだヒトラーは首相になっていない)。ヒンデンブルクは当時絶大な人気があったから、その人気にあやかりたいと思ったのだろう。ヒトラー(のお抱え技師)はこの写真にいろいろな加工を施して宣伝用ポスターに作り替えている。ヒンデンブルクと目線の高さをそろえ、二人の間を詰める。緊張して上向き気味のヒトラーの顔を下げて真正面を見据えさせ、上半身だけを切り取り、組んだ手を見せない(説明するより写真を見た方が早いので、興味のある方は下記を参照)。

https://ghdi.ghi-dc.org/sub_image.cfm?image_id=1872
https://www.icp.org/browse/archive/objects/poster-of-president-paul-von-hindenburg-and-chancellor-adolf-hitler-der

 もちろん修整を施そうと思うのは為政者本人とは限らないし、多くの場合、直接指示するのはその取り巻き達だろう。しかし、為政者本人も、知っていれば「完成版」を見せろと言うかも知れない。
 何でも段取り通りに事が進まないと気に入らないスガ首相の場合、自分が写っている写真をどう見ているのだろうか。

 スガ首相は7月20日アメリカの「ウォールストリート・ジャーナル」のインタヴューに応じた。宮武領さんのブログに7月21日付のその記事が引用されている。
菅総理がWSJ誌に「東京五輪をやめるのは一番簡単なこと。挑戦するのが政府の仕事」と啖呵。簡単ならリスクのある五輪はすぐにやめて、もっと価値あることに挑戦せよ。【安倍逮捕とか、麻生・二階解任とかwww】 - Everyone says I love you !
 「五輪をやめることは簡単だ」発言が物議を醸した記事だ。途中前触れもなく、なぜか三浦瑠麗氏の太鼓持ち発言が出てきたりして、新聞社と官邸との共演合作を疑わせるが、それはともかく、問題は、スガ首相が腕を組んだ姿を写した写真である。フォトジャーナリストの深田志穂氏が撮影したと思われるこの写真、上述の「修整」話を念頭に眺めると、いくつか感じることがある。

 腕を組んだ構図は威厳をもたせるための常套手段だろう。背景を黒にするのも同様だ。しかし、これとて被写体次第のところがある。
 インタヴュー中のスガの言葉を拾ってみると、空疎な言葉が目を引く。
 〇「ワクチン(接種)も進んで、感染対策を厳しくやっているので、(オリンピックを開催する)環境はそろっている、準備はできている」
 〇「(オリンピックを)やめることは一番簡単なこと、楽なことだ」「挑戦するのが政府の役割だ」
 〇「日本は手を挙げて、日本でオリンピックをやりたいと招致してきた」「(IOCから)押し付けられるようなことだったら、跳ね返す」

 
 「日本国民の約3分の2は、五輪を楽しめるとは思っていないと回答していますが…」と話を向けられると、スガは、競技が始まり、国民がテレビで観戦すれば、考えも変わるとして自信を示した、という。しかし、これは本当に「自信」がある人の表情なのだろうか?
 感染対策は実は全然厳しいものでない(開会式があった昨日は、選手村でPCR検査キッドが足らなくなったようで、オーストラリアは自前でPCR検査をすることにしたらしい)。「挑戦」などという語がつい口から出てしまったが、おこがましいのは本人が一番わかっているのではないか…。これでは、写真で腕を組もうが、背景を黒くしようが、「威厳」につながるはずもない。

 「一月万冊」で清水有高さんと佐藤章さんは、スガ首相は「空疎」だと言っていた。

東京五輪強行開催&コロナ大拡散!「五輪中止を止めたのは私」と菅総理の恐怖の自白。国民の命を奪う五輪開始。そこに天皇を引きずり出す・・・元朝日新聞記者ジャーナリスト佐藤章さんと一月万冊 - YouTube

 清水菅さん、責任とれるんですかねえ? 何人もオリンピックを中止にした方がいいと進言してきたけど、私はそれを突っぱねたんだと。「挑戦」するって言うけど、どうやってリスクをとるんだろう。そもそも「成功する」とはどういうことを言ってるのか、結局何もない、空っぽの精神論ではないかと思うんですね。
 佐藤その通りですね。安倍さんのときからそうなんだけど、安倍さんとか、菅さんとか、三浦瑠璃さんとか、共通しているのはそこなんですよ。空っぽな精神論なんですよ。言葉が全部空っぽ。何にもないんですよ、内実を見ると…。先ほどね、菅さんのインタヴューの言葉を掘り下げてみましたけど、たとえば、ワクチン(接種)が進み、感染対策も深くやっているので…と言ってますよね。でも、本当にそうなのか、というと、全然ちがいますよね。…内実は何もない。でも、言葉自体はかっこいい。たとえば、安倍さんは「人類がコロナ・ウィルスに打ち勝った証として東京五輪を開こうじゃありませんか!」と言ったけど、これも、内実は何もない。勝つためには努力が必要なのに、そのウィルス対策のために何をやったのかって、ほとんど何もないんですよ。

 そう言われると、腕を組んで映っている写真のスガの表情には、内面から滲み出るような自信はますます見えない。撮影した深田氏はもちろんだが、周囲の者も十分承知していたことではなかろうか。時間が限られているとはいえ、「修整」できるものなら威厳ある「まともな写真」にしたいと考えたのではないか。でも、結局そういう写真を写すことはできなかったし、「修整」する時間もなかったと見える。スガはこれでいいと思ったのか。

 フランスのジャーナリスト、西村カリンさんは「段取り上手なはずの日本はどこへ行ってしまったのか」と述べている。これには上の写真の話に通底するものを感じた。7月22日付毎日新聞の記事より。

「安心安全」って何? 仏紙記者が見た五輪開幕直前の日本 | 毎日新聞

「私も羽田空港でコロナ対策を取材しましたが、がっかりしました。ルールをちゃんと決定して徹底すれば、それほど問題ないかもしれないと思っていました。むしろ日本らしい完璧なやり方を(フランスの人たちに)見せようと思って取材に行ったんですね。それが全く逆で、信じられないという気持ちでした」
 流ちょうな日本語でそう語る西村さんは、かれこれ日本在住約20年になるジャーナリストだ。もともと旅行で訪れたことをきっかけに日本を気に入り、仕事と生活の拠点をパリから移した。……
 一人の生活者として、「日本は本当に住みやすい国」と西村さんは話す。何ごともシステマチックで、先々を見据えた段取りの徹底。その根底にある勤勉で真面目な国民性……。こうした良さを日々肌で感じているだけに、ことオリンピックを巡る対応には首をかしげることが多いという。それは何も、空港の件に限ったことではない。

……
 何よりも疑問なのが、五輪に関係する菅首相らキーパーソンたちが判で押したように「安心安全」を連呼しながら、肝心要の根拠が一向に示されないことだ。西村さんが出席した最近の記者会見でも、禅問答のようなやり取りになることが少なくないという。例えば大会組織委の橋本聖子会長は6月11日の記者会見で、「安全は何なのかということが明確に発信できない限り、安心にはならない。安全であるんだということが組織委から国民にしっかり伝わらない限り、安心にならない」と述べた。かと思えば、日本オリンピック委員会JOC)の山下泰裕会長は同28日、「『安全安心』というのは大会組織委で定義されているわけではない」。結局のところ彼らが何をもって「安心安全」を判断しているのか。それが依然としてはっきりしないと言う。
 「意味がよく分からないんですよね。記事に使いにくい言い方です。逆に基準がないから、いくらでも言えてしまうんだと思います。開催に賛成する人たちは『安全安心』だと言い張り、反対する人たちは『安心安全ではない』となってしまう」。そしてこれが、大会への賛否に直結している。だからこそ求められるのは、基準の明確化とはっきりした説明だという。「賛成する人も反対する人も、どちらも安心安全とは何かを分からないままになっています。どこまでなら許せるのか、選手村に感染者が出ても本当に安心なのか。(菅首相らが)そこを説明しない限り、納得できない人が多いと思います」

……
 日本が好きだからこそ、西村さんは残念でならない。「いつも準備や管理が完璧なイメージが日本にはありますが、今回は明らかにそうではありません。らしくない部分が目立っています。批判ばかり、ネガティブな情報ばかり言っていると思われるかもしれないけど、私はそうしたいわけじゃないんです。現実を見るとそうなっちゃうんです」
 
 総理大臣が国民に肩車されて大通りを進むようなシーンは映画かドラマのようだが、もし、そんなことが起こりうる国なら、スガ首相の腕組み写真の表情はもっとちがっていたかも知れない――まあ、それは空想が過ぎるというものだが…。



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