ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

山本太郎のゲリラ街宣

 5月3日 憲法記念日
 日本国憲法には、国民の「生命・自由・幸福追求の権利」(第13条)や「生存権」(第25条)の保障の条文がある。法律の専門家にしかわからない話ではないはずだが、「法は(お上に)従うもの」という肌感覚だけが刷り込まれているので、一人ひとりが幸福に生きる(普通に生活する)権利を保障されているという話が、日常ではどこか高尚で根無し草に響いてしまうことがあり、「周りの空気を読め」みたいな雰囲気に押し流されていくと嫌なものを感じる。
 しかし、一年以上も続くコロナ禍に、家にいろ、営業するな、で生活の糧自体を得られなくなっている人は数多い。外国の状況を見るにつけ、もし、国がちがったら、コロナ感染前の日常をすでに取り戻せていたかも知れないと思うと、日本政府の失政(責任)は重大だ。あらためて、政府は憲法・第13条と第25条を守れ!と思う。

<第13条 個人の尊重・幸福追求権・公共の福祉>
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
<第25条 生存権、国の社会的使命>
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。


 しかし、コロナ禍と生活の悪化を直結させるのは短絡的で誤っているかもしれない。コロナの前からすでにあった生活難がコロナの直撃を受けたととらえるべきなのだろう。これはれいわ新撰組山本太郎さんらがずっと言い続けていることでもある。

 5月2日付『長周新聞』が山本太郎さんの九州ゲリラ街宣の模様を伝えていて興味深かった。4月24日、JR小倉駅前の街頭演説を紹介した記事から部分引用する。

れいわ新選組・山本太郎が九州でゲリラ街宣 コロナ禍で進行する「火事場泥棒」に警鐘 | 長周新聞


 ……コロナが来たからみんなが困っているのではない。コロナが来る前から多くの方々は非常にしんどい状況があった。
 コロナ禍以前に日銀が調べた貯蓄ゼロの世帯別割合を見てみたい。これには、今銀行にお金が入っているが月末にはなくなってしまうという人も含む。20歳代では61%、30歳代では40・4%、40歳代は45・9%、50歳代でも43%だ。ひどい状況だ。
 この背景に高度経済成長やバブルというものがあるのなら、まだ逆転のチャンスはある。高度成長期に青春時代を送ったというお父さん、お母さんは自分が20代のときに貯蓄ゼロなんて普通だったという方もおられるが、今この貯蓄ゼロ世帯の背景には何もない。断崖絶壁しかない。今後経済が好転する気配もない。このまま高齢化したときに、国が何かしら手立てを打つのかといえば、残念ながら打たない。
 なぜか? このような状態にさせてしまった政治家たちはその頃には引退している。洪水がやってくるのは、その人たちがいなくなった後という話だ。こんな無責任な話はない。
 とくに経済的失敗であるデフレ――世の中にお金が回っていないときに消費税をどんどん上げていくという間違った政策をうち続けた。そればかりか労働環境も破壊し、安定した職業がどんどん不安定化した。いまや非正規雇用は四割をこえている。このように労働環境と税金のとり方を歪めていった結果、若い人が蓄財できるような余裕はなくなった。誤った政策によって人生が歪められた被害者たちに対して、今政治がなにができるかを考えなければならない。今20~50代の人たちが高齢化していったときにどうやって支えるのか? 現状ではのたれ死にだ。一発逆転できる人が何人いるだろうか。
 今やるべきは積極財政しかない。このような状況に陥ったのは、国から人々に対する財政出動を絞り続けてきたからだ。将来世代に対する投資を絞っている。だから教育でも、大学に行くのに多額の借金を背負わされ、自己責任化されている。公共事業に関しても、橋本龍太郎の時代から小泉の時代までの間に10年間で投資額は半分に減らされた。あらゆる分野に対して蛇口を絞り続けた結果、世の中にお金が回らない状態になった。それが何十年も続けられて消費税も上げ、いろんなことが複合的に絡み合えば当然社会は荒廃する。あまりにも無責任だ。
 徹底した財政出動でなにをやるか。大学や大学院に通うために借りた奨学金をチャラにすればいい。国家財政における9兆円でできる。現在は大学に行くために借金を背負い続けて、卒業する頃には数百万円の借金、大学院を出る頃には1000万円の借金を背負わされた若者たちに、細々と生活しながらそれを返済していくことを強制している。大学生の2人に1人だ。そのような状況から一刻も早く解放してあげることがなによりも重要だ。
 大学生に多額の借金を負わせたうえに利息までとるようになったのは、小泉政権時代の産物だ。大学生の2人に1人が奨学金のシステムを利用し、そのうち6~7割は有利子タイプだ。それによって年間に3百数十億円という利息が生まれ、それが一部の企業に対するインセンティブ(経済的刺激)になる。さらにそれをとり立てるサービサー(債権管理回収業)のような仕事にも波及していくわけだ。企業側に対して仕事を差し上げるために若い世代たちを犠牲にして金融商品にしてきた。この国の未来である若者たちを金融商品化してしまうような国は滅びる。人の命に対して、人生に対してなんのリスペクト(尊敬)もない。すべてカネや票と交換し続けてきた日本社会は当然荒廃していく。
 貯蓄ゼロが多い若年世代から中年世代を下支えすることは国の義務であり、学校教育を受けるための借金を9兆円でチャラにできるのなら、した方がいいに決まっている。財源はある。
 それだけではない。安い家賃で住める家を保障することも重要だ。少子化を問題にしながら、それに対する効果的な施策は何一つやっていない。効果的な施策とは、教育に対する本人や家族の負担を減らすこと、低廉な家賃で一人暮らしができる住宅を作ったり借り上げていくこと、そして収入が低い人に対して補填をすることだ。
 この三つを前に進めた欧州などの国では、出生率が回復しつつあるという報告もある。やるべきことははっきりしている。将来世代が高齢化したときに地獄のような世の中が展開されないように、最低限それをやらなければならない。
 年金がなくなるという話も出たが、年金制度は破綻しないが、もらえる額が減らされる。制度設計を見ても、現役世代が高齢者を支えるという形になっている。だから現役世代がどんどん減っていくような少子化は絶対に防がなければならない。すでに1970年からこの国は少子化に陥る恐れがあるとずっと警鐘が鳴らされてきた。大阪万博の年から警告されてきたのに現在は完全なる少子化だ。政治が機能していないのだ。
 「少子化国難」という問題意識を抱えているのなら、一番にやらなければならなかったのは先述の三つの施策だ。ベビーブーム生まれの人たちに対して集中的にやらなければいけなかった。なぜなら人口のボリュームが一番多く、その後にもベビーブームを起こせるような状況を国として作らなければならないからだ。だが、その頃から国は蛇口を絞ってお金を出さず、すべてを自己責任化していった。
 ロストジェネレーション(失われた世代)が生まれるような状況を放置し続けた。97年に消費税は5%に増税され、アジア通貨危機もあいまってこの国は本格的デフレに踏み込んだ。そこから25年ずっとデフレ。政治が間抜けなこと以外に理由がない。やるべきことはやらず、目の前のお金だけ。自分が議員になりさえすればいい。そのためにずっとこの国を食い潰してきた。
 だからこそ今やらなければいけない。この国のオーナーは皆さんだ。政治家は雇われの期間限定の身だ。それを選ぶのは誰かといえばオーナーである皆さんだ。どれだけ金持ちでもワーキングプアでも、持っている票は一票。金持ちはうまく票をまとめ、それを組織票にして、自分たちの利害を叶えてくれる人たちを議員にしていった。一方で人々の方は50%が票を捨てているのが現状。これでは社会は好きなように破壊され続ける。
 労働環境を破壊して非正規労働者を最大限まで増やした後は、外国人労働者がより大量に入ってくることが可能な入管法の改正を2018年に通過させた。国内の労働環境がこれ以上破壊できないと見込んだら海外からそういった勢力を大量に入れるようにしてさらに安い労働力を作っていくようなことを政治が進めた。それは、組織票と企業献金で固めに入っている人たちの利害に叶うことをするためだ。首が絞まりながらも、この国のオーナーであることを忘れ、票を捨ててしまっている。みなさんが圧倒的多数派なのだということを忘れてはいけない。

<中略>

……全人口のうちコロナウイルスに感染するのはごく少数だから、ほとんどの人が自分事として考えられない。それは当然のことだ。ウイルスを持っている人たちがちゃんと捕捉され、保護されることが実現できるのならば、社会はちゃんと回せるはずだ。日本と同じ天然のバリアを持つ島国のニュージーランドや台湾では、もうノーマスクを実現している。ノーソーシャルディスタンスで1万人規模の音楽フェスティバルを全国で実施しているような状況だ。日本とは大きく違う。
 それは対策が違うからだ。検査を絞るのか、検査を拡大するのか。検査を拡大しないと多くの人口のなかで一握りの無症状・軽症者は見つからない。見つからなければ捕捉できず、くすぶり続けるしかない。その数が多くなったときに緊急事態を宣言して“一旦閉じましょう”といい、数が減ってきたら“また開きましょう”。開いた時点ですでに違う変異株が存在していて、それが一気に広がって行く――のくり返し。これを何年続けるのか? という話だ。テレビでもその話ばかりで気が滅入る。
 こういった状況を誰が作っているのかといえば、ちゃんとした施策を打ってこなかった政治だ。今からでもやればいい。徹底的にやればいい方法がある。全人口のうち一握りのコロナ感染者をしっかりと捕捉・保護し、経済的にもしっかり支えてあげる。ボーナスも出るという形にするのもいいのではないか。現状ではコロナの疑いというだけで人にはいえない。口に出せば下手したら村八分。これでは収まらない。
 中国などでは、熱があってPCR検査を受けにきた人にはお金を渡している。賢い。患者が向こうから来てくれる。そして、昨年は連休の時期に外に出ない人たちにクーポン券やお金を渡す。これも賢い。GoToキャンペーンとは真逆だ。その結果、もう日常をとり戻している。つくづく真逆のことをやっているのが日本だ。大胆な緊急事態と大胆なお金の給付がセットでおこなわれていたなら、ニュージーランドや台湾と同じく去年のうちに終わっている。今頃はノーマスク、ノーソーシャルディスタンスだ。
 島国なのに水際対策(出入国制限)もザル、国内の検査も絞っていくのならいつまでも続くのは当たり前の話だ。
 1日当たりの最大検査能力をみても、イギリスでは78万2000件。中国は2401万件。人口も多くレベルが違う。日本はたった17万5200件だ。そして1日の最大検査能力が17万件あっても、これまでの実績で最多の日でも6万件程度だ。検査能力も1日当たりの検査数ももっと増やさなければならない。
 例えば、東京都では1日当たりの最大検査能力は6万6000件。これにはPCR検査だけでなく抗体検査も含まれる。ところが実績としての最多検査数は1日あたり1万1500件程度だ。日本は陽性者が少ないというが、検査をしていないから当然だ。コロナに罹患している人は一握りなのだから、この人たちを経済的にも保護し、その期間しっかりと医療が受けられる状況を整えれば、それ以外の人たちは社会活動を再開できる。
 コロナの収束について失敗し続けている大阪を見ても、緊急事態宣言を早めに終わらせた結果、医療の逼迫どころか医療崩壊だ。手術の延期や、救急車に乗せられて何時間も受け入れを求めてウロウロさせられる事態が起きてしまっている。なのに、失敗したトップがテレビに出続ける。本来なら全国の自治体のなかでもコロナをしっかり抑え込んでいると評価されているような自治体トップがテレビで教訓や必要な施策について伝えなければいけないはずだ。それが、もう次の選挙に照準が変わって、選挙に向けて露出を高めていくために、今大阪の首長をテレビに出し続けているのだ。

<中略>

こんな状況を誰が作ったのかといえば政治だ。その政治を作ったのは誰かといえば、こういった政治を放置し続けた私自身だ。政治に興味が持てず、自分の人生で精一杯で、自分の人生が充実しているかどうかだけがメインテーマだった。それが、原発事故を境にして世の中の異常さに気付き、地獄のような社会になっているのなら、なんとかしなければならないと思った。私のように極端に考え方が変わった人は少ないかもしれないが、そこからが始まりだ。知ってしまえばやるしかない。
 でも私たちだけではできない。この国のオーナーであるあなたの力を借りなければ、命に対する価値が低すぎる国、人間が部品みたいに壊されることもよしとされる国、働き方改革という名の下に残業時間月80時間も認められるような国の状況は変えられない。
 命に価値がない国だからこそ、絶望を感じて年2万人以上の人が自分で命を絶ち、命に対して尊厳がない国だからこそ毎年50万人もの人が自殺未遂に追い詰められる。
 この状況で孫の世代にバトンタッチできない。次世代に対してまともな社会をバトンタッチするためには、今この世に生きる、今の時点で生活されている皆さんに対して人間の尊厳が守られるような社会を作らなければいけない。あなたの力は1億数千万分の1ではない。あなたが政治から体を離した瞬間に好き放題やられる。

<以下略>

 アトキンソンの中小企業「淘汰」の話とか、原発汚染水の海洋放出とか、他にもいろいろと深刻な話をしていたが割愛する。

 日本国憲法・第12条にも、山本さんが言っていることと同じことが書いてあった。
この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない




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