ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「駿河大学客員教授」田﨑史郎氏のこと

 テレビのワイドショーにコメンテイターとして頻繁に出演する田﨑史郎氏。新聞のインタヴューで、「政治」と会食は不可欠のような言い分を延々と述べている。小生は直接見ていないのだが、氏は今年1月12日に放映されたテレ朝のモーニングショーで「政治家は会食をするのが仕事です」と発言したところ、番組にLINEで視聴者から数千件もの質問(非難?)が殺到したという。今回のインタヴューはその「釈明」もあろうが、昨今の会食接待に対する世間の批判に対し、「識者」をきどった「言い訳」(政府の代弁)のようにとれる。
 曰く、「政治家はリモートでは仕事できないのかとか、代金は誰が払っているんだとか……。僕は42年間も政治取材をしてきましたが、自分にとって当たり前だったことが、視聴者にはとてもおかしなことに映っていたのです。会食はなぜ必要なのかと、この間、自分に問い直しました」と。

 「自分に問い直しました」というから、反省の弁でもあるのかと思ったら、再度「政治」に(密室での)会食は不可欠だと強調しているのである。以下、3月15日付朝日新聞デジタルからの部分要約。

スシローと呼ばれても 田﨑史郎さんが隠し持つオフレコ:朝日新聞デジタル

 一番ショックだったのは「リモートでもできるんじゃないか」という声だった。僕の考えでは、政治という営みには会食をすることが不可欠だったから。会食する最大の目的は、互いの人間関係を深めること。「政治家は政策を競い合え、政策ベースで動け」と説く人が多いが、現実の政治家は政策では動いていない。
 政治は人間が動かしている。そして、その人間を動かすのは感情だ。他人の感情を、自分にプラスになるように育む。それが政治家にとっては大事な仕事になる。食事を重ねることで人間関係を築いていく。今の政治家で言えば自民党幹事長の二階俊博さんや総理の菅義偉さんが、そういう努力をひたすらやってきた人たちだ。

(会食は)長い時間を一緒に過ごせる。夕食なら2時間、朝食や昼食でも1時間は話せる。日中に仕事場でサシで話せるのは、せいぜい30分だが、食事をしながら2時間サシで話をすると、相手の生まれ育ちや家族、交友関係など、いろいろな方面に話が広がり、相手の人間性が分かる。
 外国の首脳が来日したとき、必ず晩餐会とか午餐会とかを開いて会食する。食事には人と人のつながりを深める効果がある。それは、人間が歴史的に積み重ねてきた知恵だと思う。

 政治とは闘い、権力闘争で、権力闘争をし続ける上で大事なのが「こいつは信頼できるのか、できないのか」だし、闘いを現実に動かすのは政策ではなく、「こいつなら一緒にやっても大丈夫だ」という感情と「こいつにはこういう借りがある」という打算だ。

 リモートではサシで2時間話せるかという問題があるし、微妙な表情が分かるかどうかというのもある。相手がどこでちょっと顔をしかめたか、どこで目が少し泳いだか、リモートでは、そういう微妙な雰囲気までは分からないだろう。
 議員会館の部屋で話せばいいだろう、とも言われるが、それだと部屋の外には秘書もいるし、ほかの議員がいつ来るかも分からない。本音の話をするためには、隔絶された環境が必要なのだ。

<以下略>

 政治に会食が不可欠だ(しかも密室の!)と言いたいがために、「食事には人と人のつながりを深める効果がある。それは、人間が歴史的に積み重ねてきた知恵だと思う。」と「人類学?」風の妙な風呂敷を広げるのも眉唾ものである。単に公けでは通じない話だから、こそこそと隠れて決める、そのために会食しているだけの話だ。こんな理屈で政治が動くことを正当化されたら、高額な食事をできない、やらない人たちの声は政治に反映されなくても当然だと開き直られている感じだ。おまけに、その高額な食事の代金が政治資金(税金)だったりすることもあるのだ。

 政治に信用が欠かせないのは、今の日本政府と国民の関係を見ていると痛切事だ。政治家・官僚・業界関係者が会食や接待を通じて「信用」を深める一方、政府は国民との信用を深めていない。もし、食事を通じ「信用」を深められるのであれば、どうして政府は毎日の食事に困っている人たちに食事を確保し「信用」を得ようとしないのだろうか? そうしないのは、食事代も払えない人からは何のうまみもない、選挙前でもなければ、余計にそうだ、ということか。

 田﨑氏の言う「政治」に会食が不可欠だとはこういうことなのだろう。彼の言う「政治」は民とは関係ない。絶対王政か幕藩政治の為政者の腹づもり以外は「政治」ではないかのようだ。さすが「スシロー」と言うべきか。
 

 余計なことを付け加えると、田﨑氏は「駿河大学客員教授」(来年まで)の肩書をもっている。メディアの政治部にいた記者が、職を退いたあと、大学に職を得ることは珍しくないが、こういう人が大学教授などと称してあまりに頻繁にテレビに出るにつけ、大学でちゃんと授業をやっているのだろうかとずっと疑問に思ってきた(そういえば、毎日テレビに出ている弁護士もいるが……)。
 ジャーナリストの浅野健一氏の調べたところでは、田﨑氏は大学で「科目を担当していない。授業もしていない。教壇に立つことはなく、学生との接触は全くない。大学の教育研究一般に助言をしてもらうアドバイザー」で、駿河大学では「アドバイザーを客員教授と呼んでいる」のだという。ちょっと驚きである。「アドバイザー」ならそう書けばいい話だ。田﨑氏は「大学教授」の肩書と報酬を得、駿河大学は田﨑氏がテレビに出るたびに大学の名前が画面に出て宣伝になる。ウィンウィンの「信用関係」が成り立っているわけだ。(安倍首相“スシ友”田粼史郎氏が、何もしない「大学客員教授」になっていた - ライブドアニュース

 しかし、田﨑氏は上のインタヴューの中で、政権擁護の姿勢を問われ、こう答えている。

僕は、政権が何を考えているのかを伝えているつもりです。つまり事実を伝えている。結果として政権擁護になっていることはあるでしょうが、擁護しているという意識はありません。批判することだけがジャーナリストの仕事なのではないと僕は思っています。大事なのは事実を伝えることで、そのためには権力に食い込んでいなければ分からないことが結構あるんです。

 客員教授なのに「授業をしない、教壇に立たない、学生と接触しない」——自身のこういう大事な事実を伝えてないし、こういう「客員教授」のあり方に対して批判もしない。「上級国民」ならぬ「上級ジャーナリスト」は、まあこんなところなのか。





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