ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「政治的中立」という “事なかれ”

 木村草太さん(東京都立大教授 当時は首都大学東京教授)という憲法学者の講演企画を2018年、鎌倉市が「政治的だ」という理由で拒否していたという。
 昨日の東京新聞の記事が以下。部分引用する。

【独自】憲法記念日の講演に憲法学者・木村草太さんの起用NG 鎌倉市が「9条に言及する懸念」で拒否:東京新聞 TOKYO Web
憲法記念日の講演・木村草太さんを2度提案も…「拒まれて驚いた」と鎌倉市の実行委経験者:東京新聞 TOKYO Web

……この講演会は「憲法記念日のつどい」。2017年までは市と実行委の主催だったが、18年から主催は市で、実行委が企画・運営。市側が作成した議事録によると、実行委は17年12月に講師の選定を始め、木村教授を含む3人を候補に挙げた。ところが翌年1月の会議で市の担当者が「政治的要素が見られる」と難色を示した。委員は「全く政治性のないことはありえない」と反論し、あらためて木村教授を1番目の候補者として5人を提案した。
 しかし、後日、市の担当者から「木村教授は許可が下りない」という趣旨の連絡が委員に入ったという。講演会は18年5月3日、鎌倉生涯学習センターで別の講師を招いて開かれた。
 市の担当者は本紙の取材に「事業実施に当たっては行政の中立性を損なわない内容が前提。憲法記念日のつどいで憲法学者が講演すると憲法九条にも言及する懸念があり、木村氏の講演は遠慮願いたいと実行委に伝えた」と話した。

 委員の1人は「いろいろな考えがある中、平和のためにみんなで話し合ってやってきた。政治を持ち込んだのは市だ」と指摘した。
 木村教授は取材に当事者としてのコメントは避けたが、一般論として「憲法学を専攻する学者が、憲法記念日憲法について解説する講師として不適切な合理的な理由は考えにくく、(講師起用の拒否は)差別に当たる可能性がある。学者が九条を分析すれば、改憲・護憲どちらかに有利になることはあり得るが、それで行政が政治的中立性を害したことにはならない」と話した。

<中略>

 武蔵野美術大の志田陽子教授(憲法学)の話 憲法記念日憲法について考える講演会を開けば、政治的な議論を呼ぶ話題が扱われるのは当然だ。民主主義は多様な議論が開かれることを必要としている。自治体が事なかれ萎縮に傾くと、萎縮を市民に押し付けることになり、むしろ議論の多様性をふさぐ非中立的な姿勢となる。「中立性」の言葉を拡大解釈して使うべきではなく、特に市民に萎縮を押し付ける合言葉に使ってはならない。鎌倉市の判断は民主主義に逆行している。


 それで思うのだが、日本の公務員には憲法遵守義務があり、むかし、小生も「日本国憲法を守り……」と校長室で誓わされた(笑)。総理大臣は公務員組織のトップであり、率先して憲法を守らなければならない立場にある。にもかかわらず、その総理大臣が2代続けて憲法改定を唱道しているのがこの国である。
 木村さんを「(行政の)政治的中立」を損なうという理由で講演者から外すのなら、アベスガなどは、「政治的中立」を損なうどころか、違反しまくりなのだから即刻総理大臣から外れてもらわなければならない。そういうことになりませんか、鎌倉市長さん。是非、一緒にアベスガに「憲法を守れ!」「守る気がないなら、総理大臣を辞めよ」と言いましょう。いかがですか?(追記:アベは総理を一時お休みのつもりだから油断なりません)

 行政も「政治的中立」、メディアも「政治的中立」……。かくして、テレビのトップニュースを和歌山のドンファンが飾る、と。テレビももう天気予報だけでいいよ。

 昨日(4月30日)、木村さん本人が次のようにTweetしていた。引用を許されたい。
https://twitter.com/SotaKimura/status/1387919685874716675
学問に基づいた発言が、当局から見て不都合に感じられると「政治的」とされてしまう社会。「学問の自律性」に対する理解のない社会。
何をするにも判断基準は「社会の空気」のみ、なんてことにならないよう、学問を続けるしかない。



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