ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「I am KENJI」「I am not ABE」

 昨日1月30日は、今から6年前の2015年にフリージャーナリストの後藤健二さんがIS(イスラム国)によって命を奪われたとされる日。古賀茂明さんが1月26日付AERAの連載で記事を書いている。
 
古賀茂明「菅政権で忘れられた英雄たち」 (1/2) 〈週刊朝日〉|AERA dot. (アエラドット)

 後藤さんは米軍のシリア爆撃の犠牲にされている人々の姿を伝えるためにこの地に入ったが、2014年10月末にISに拘束され、その後、夫人との間で身代金などの交渉が行われていたとされる。これは日本政府も当然承知していた情報だ。
 ところが、翌2015年1月、当時首相だった能天気なアベは、「火中」の中東を訪問すると、1月17日にエジプトで「イスラム国と闘う周辺各国に2億ドルの支援を行う」などと発言して関係者を驚愕させ、つづくイスラエルではユダヤ男性がかぶるキッパを自らも頭につけて歩いた。アベ本人は「友好的一興」のつもりだろうが、イスラエルと周辺国との緊張を考えたら、ISとその支持者はもちろんのこと、イスラームの人々のあいだに相応の不信感をもたらす危険性は十分ある。“アベ一行“ は観光客ではないのだから。当時、そんな違和感をもった記憶がある。

 1月20日、ISは動画メッセージを発し、後藤さんと当時一緒に拘束されていた湯川遥菜さんの二人の映像を公開するとともに、日本政府に72時間以内に2億ドルの「身代金」を払うよう要求した。額は3日前にアベがイスラム国と闘う国に拠出するといった額と同額だ。曰く、「アベよ、勝ち目のない戦いに参加するというおまえの無謀な決断のために、このナイフはケンジを殺すだけでなく、おまえの国民を、場所を問わずに殺戮する。日本にとっての悪夢が始まるのだ」と。そして、翌月2月1日のISの動画発信により、24日の湯川さんに続いて、30日に後藤さんが処刑されたことが明かされる。この間、水面下で何らか動きはあったかも知れないが、官房機密費と同じですべて「闇の中」である。「テロや脅しには屈しない」とするアベ政権は、結果、邦人の救出に完全に失敗する。

 コロナ禍にこの事件をふりかえると、この事態や国民に向き合う政府の姿勢がつながるような気がしてくる。現政権にあっても、首相をはじめ周辺政治家から飛び出る不用意な発言や行為の数々、マス・メディアの支配(箝口令)と情報の隠蔽(捏造)、そして何よりも国民を守るという意識が根本的に欠如していると疑うに十分な政策……。他の政権だったらISから二人を救出できたたなどという保証は何もない。しかし、やりようはあったと思う。しかも、事後にもたらされたこの「空気」というか雰囲気——異常な「自己責任論」の蔓延。

 これについて、フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが2年前の2019年1月26日に書いている。その要約が以下。

後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件から、4年|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

 安田さんは、ISによって後藤さん殺害の動画が発せられた2015年2月、シリアの南隣国、ヨルダンに飛んだ。事件はもちろんのこと、殺された二人に対するバッシングや ”自己責任論” といった命を切り捨てるような言葉が溢れていたことが悲しかったという。
 ヨルダンの首都アンマンに着き、事件の緊急対策本部が置かれていた日本大使館前に向うと、100人を超えるヨルダンの人々が集い、「日本の友人たちのために祈りましょう」と二人のための追悼集会を開いていた。ヨルダンの人々だけでなく、この国に逃れてきたシリアの人々に何度も「日本人か?」「大丈夫か?」と声をかけられたという。
 シリアでは友達や親戚を殺されたことがない人々などいないくらい、毎日のように殺戮が続いていた。「なぜそれでも国籍の違う人を悼んでくれるの?」と尋ねると、「ジャーナリストだって一人の市民じゃないか」と真っすぐに答える人がいた。同じくらい強い気持ちで、自分はシリアの人々の平和を祈ってきただろうか、と安田さんは思う。
「何より悲しいのは、人々の生活が困窮していくことはもちろん、世界の報道の目が殆どISの恐ろしさにしか向けられなかったことだ。ここで起きていることが辛うじて伝わるのは、自国の人間が人質になったときだけだ」と、援助関係者。
 シリアから逃れてきた男性もこう言ったという。
「私たちを最も苦しめてきたものは、“イスラム国”でもアサド政権でもなく、世界から無視されている、忘れ去られているという感覚なのです」。


 安田さんは昨年2020年2月1日付の記事でも次のように書いている(部分)。

後藤健二さん、湯川遥菜さんの事件から、5年|安田菜津紀(フォトジャーナリスト)

 ……今の日本の中では「自己責任」という言葉が「自業自得」と同義で使われがちではないでしょうか。
 イラク、シリアなどでは様々な国出身のジャーナリストたちと出会いますが、欧米のジャーナリストたちと話すと、日本で飛び交う自己責任論という概念が、理解できない、不思議な現象、と言われることがあります。(そもそも、上手く説明するのが大変だったりします。)そうした価値観はジャーナリストたちだけではなく、国家の中で責任ある立場の人間の言葉、態度にも表れます。
 後藤さん、湯川さんの事件があった2015年前後は、シリアでジャーナリストや人道関係者の誘拐、殺害が相次いでいました。
……2015年1月にワシントンで開かれたジャーナリスト会議において、米国ケリー元国務長官がこんな言葉を残しています。
「ジャーナリストはリスクをゼロにすることはできない。ゼロにする唯一の方法は沈黙することだ。そしてその沈黙は、独裁者を利するだろう」。
https://2009-2017.state.gov/secretary/remarks/2015/01/236125.htm (全文)
メディアによって監視される側でもある政権の人間が、ジャーナリズムや危険地取材の役割を踏まえた上で背中を押すコメントを残したことの意味は大きいでしょう。日本ではそれに逆行するような出来事が相次いでいるからです。……
安田純平さん * は外務省からパスポートの発給を拒否されていることについて、「外国への移動の自由を保障する憲法に違反する」として、東京地裁に提訴しました。
* 安田純平さん:シリアで3年4カ月に渡って拘束され、2018年に解放されたジャーナリスト。
こうした動きへの冷笑や嘲笑は、「自分は関係ない」と思えているからかもしれません。「ジャーナリストじゃないから」「海外行かないから」「自分はあんな”失敗”しないから」、と。
……
こうした中で「自己責任論」は、「自業自得」という意味合いに加えて「”失敗”したらもう終わり」と突きつける言葉になってしまっているのではないでしょうか。一度でも”和”を乱した人間は、復帰や再挑戦は許さない、と。
同時にそれは、発した本人を苦しめる言葉でもあります。”失敗”がないかどうか、常に監視し合うことになってしまうのですから。
生き心地のいい社会とは、果たしてそんな監視社会なのでしょうか。


 後藤さんらがISに拘束されたことがわかると、Facebookに「I am KENJI」というページが開設され、反響を呼んだ。古賀さんは、先の中東訪問時のアベ言動に対して、「I am not ABE」のフリップを出してニュース番組に出演した。別のところでは「I am Kenji」と「I am not Abe」という二つが日本人の命を守る一対の救いのフレーズだとも述べている(I am KenjiとI am not Abe(古賀 茂明) | 現代ビジネス | 講談社)。たぶん今でもそれは変わらない。「自己責任論」と「自助」政府は共振しながらこの国の “歯車“ を回し、人々の暮らしを、命を、削り続けているからだ。孤立や分断よりも共生と連帯を。皮肉やあきらめよりも喜怒哀楽と共感の輪を。みんなで一緒に取り返したい。

 一日遅れとなったが、後藤さんに手を合わせたい。


 

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