ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

続 スガさん、任命拒否は違法だよ

 反対意見のある者は排除する ―— 仲間同士の狭い付き合いでもふつうはやらない。国家がこんなことをやっていたら、“沈没”するのではないか。

 アベもそうだが、スガも自分の考えに共鳴したり「よいしょ」したりできない者は「敵」に思えるらしい。助言は“文句”に聞こえ、意見は“否定”に聞こえ、批評は“攻撃”ととらえられる。妄想の中で「敵」は膨れあがり、排除するしかないように思えてくるのだろうか。官僚から「敵」を排除し、メディアからも「敵」を排除し、そして、学界からも、……と。しかし、こういうのはこの国の「いつか来た道」ではないのだろうか。 

 日本学術会議の任命拒否の一件が発覚してから、野党はヒアリングで今回の経緯について確認した。日本学術会議は8月に105人の推薦書を内閣府に提出していて、野党は、いつ6人の除外が決まったのか、9月に官邸に提出された「起案書」など、検討過程を示す文書を求めたが、内閣府は「確認中」と回答したという。ヒアリングの中で、新しい事実として、内閣法制局2018年に内閣府から法律解釈について問い合わせを受けたこと、先月にも内閣府から口頭で再確認があったことが明らかにされた。つまり、今回の件は突発的な出来事ではなく、2年前から準備が進められていたことになる。Twitterで「安倍政権でさえやらなかった任命拒否」のような文言を見かけたが、何のことはない、病気を口実に「退場」しなかったら、アベ本人がやっていたことなのだ。なるほど、「アベ政治の継承」だ。
任命されなかった教授ら「大きな禍根残すことになる」|TBS NEWS


 内田樹さんも昨日の夕方、以下のようにツィートしている。
https://twitter.com/levinassien/status/1311581865074065408
 日本学術会議へのこの介入は菅政権の強権的な本質を露呈したものです。これについて日本のすべての学者は「権力との親疎に基づいて学者を格付けすること」に同意するのか反対するのか意思表示をする義務があると僕は思います。

 安倍政権は「権力と親疎に基づいて政治家・官僚・ジャーナリストなどを格付けする」ことで一強体制を築いてきました。その「成功体験」を菅も踏襲したつもりなのでしょう。権力におもねる政治家や官僚や言論人を形容する特別な言葉は存在しません(「茶坊主」とかいう包括的な表現はありますが)。

 でも、学者については存在します。「曲学阿世」というのがそれです。それが学者にとってどれくらい恥ずべき、致命的な呼称であるのか、官邸の諸君はたぶん知らない。


 小生なんぞが言うことではないが、これは「検察庁法改正」のときに匹敵する大問題だと思う。

 余談ながら、維新の橋下徹Twitterで「学術会議のメンバーに入らなくても学問はできるから学問の自由の侵害になるわけがない」などと書いている。
https://twitter.com/hashimoto_lo/status/1311577278405459968
 コメントする価値もないが、念のため。この方は弁護士なのに、憲法が保障する「学問の自由」の意味を知らないのだろうか。「学問の自由」とは、自分が学び研究することに他人からケチをつけられたり、妨害を受けたりしないことではないだろう。アベ前首相も国会で「悪夢のような民主党政権」なる発言を撤回せよと言われて「言論の自由がある」などと答えていたが、個人が自由に学問をし、自由にものを言うために、他人ではなく)国家権力はこれに干渉してはならないというのが、この「自由」の意味ではないのか(アベなどは首相職にあったのだから、自分の言論の自由を言う前に、個々の国民やジャーナリスト、テレビ、新聞などメディアの言論の自由を保障すべき立場なのだ)。学術的な推薦を受けている人をメンバーから外すというのは、外された方の研究内容を首相(国)が認めないという話だから、これは“立派”な学問への政治介入であり、侵害である。あるいは、外された理由が彼らの過去の言動にあるというなら、言論の自由の侵害である(そうでないなら、きちんと説明してみろという話だ)。法曹の人間がこういう害悪をたれ流していて恥ずかしくないのかと言いたい。

※下線部  追記(10/4)


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