ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

100分で名著『資本論』 4

 NHK「100分で名著 カール・マルクス資本論』」も最終回を迎えた。1月25日放送の第4回は「<コモン>の再生」という題名だが、ポイントは、エコロジー(人間が生態系の一部として自然との調和・共存をはかるという考え)とそのための<コモン>(共有財)とその共同管理=協同社会(アソシエーション?)の構想か。<コモン>という語に始原的意味を持たせ、その再考を通して、新しい社会への転換を考える。その「共同=協同社会」は、<コミュニズム>や<共産主義社会>という語についてまわるイメージとは一線を画したものにしたいという思惑があるようだ。

 齋藤マルクスが思い描いた将来社会、資本主義に代わる社会はどんなものなのだろうというのを考えてみたい。それが現代社会においてどんな可能性をもっているのかというのも一緒に考えてみたい。そのカギとなるのは “物質代謝論” です。
 安部:やはりそこに来るんですよね。“物質代謝論” ——「人と自然とが循環して生きている」という概念です。
 齋藤:人間は自然なしに生きられないし、たえざる自然との循環過程の中で私たちは生活を営んでいるわけですね。ところが資本主義社会というのは、ありとあらゆるものを商品化し利潤追求のためにつかってしまう。そのせいで、労働者の生活がどんなふうにめちゃくちゃになっていったか……。当然これは循環の過程なので、労働が歪められると、人間だけでなく自然の側にもさまざまな矛盾が出てきてしまう。これは現代で言うところの「環境問題」ですね。
 伊集院:ずいぶん先見の明があるというか、昔からそんなことを考えていたんですか?
 齋藤マルクスはそういう「環境問題」のことは考えてないから全然つかえないんじゃないかという批判もいろいろあったんですね。ところが新しい資料を読みながら資本論を再解釈すると実はちがった姿が見えてくるんですね。


 伊集院:いろんな規模で起こってますよね。汚染物質とか廃棄物とか……。小規模だったらサイクルの中で分解していくんだけど、この規模になるともう取り返しがつかないということは起きてますよね。
 安部:「修復不可能」ということですね。「物質代謝の亀裂」というのは、実際にはどんなことが起きてるんですか?
 齋藤マルクスが当時問題視していたのは、土壌の養分を短期間でどんどん吸い尽くしてしまうような農業経営が利潤のために行われるということです。これは現代だと私たちはあんまり考えなくていいように見えるかもしれないですけど、たとえばアボカドですね。これは南米でほとんど生産されていますが、「森のバター」と言われるくらい、栄養分が豊富だけれども、土壌の養分を徹底的に吸い尽くすわけです。さらに栽培するのに水を大量に必要とするんです。もともと(産地の)チリはあまり雨が降らないところにアボカドをどんどんつくると、普通の生活をしている人たちの生活用水がどんどん枯渇していってしまう。そこにコロナの影響があって、本当は水で手を洗わなければならないのに、手洗い用の水もないようなところまでチリの人たちは追い詰められていく。その一方で、私たちは、健康にいいよね、栄養価も高いし、と言って1個100円くらいのものをバクバクと食べている。その裏では、本当のコストは私たちには不可視化されたところで押しつけられているということなんですね。
 安部:ショックですね。アボカドは好きだし、女性誌を開いたら、いつも美容と健康にいいって書いてあるし、スーパーに行けばだいたいのところにはあるので……。
 齋藤:資本主義の先進国の人たちのニーズを満たして、それがお金になるからといって一部の人たちがめちゃくちゃなことを始めてしまう。それに対して、マルクスは、そういうことをやっていると、持続可能ではなくて、循環に亀裂が生まれてしまうぞと批判していたわけです。
 安部:「物質代謝の亀裂」を修復するにはどんなことをすればいいのか、というのはわかってるんですか?
 齋藤マルクスは「アソシエーション(自発的な結社)」ということばを使って、アソシエートした生産者たちが自分たちのためにどんなものをどうやってつくるかというのを決められるような働き方をしていこうではないか、そして、そのもとで労働者の生活とか自然のことをもっと大切にするような働き方を実現していこうではないか。利潤を永遠に求めるような生産から、もっと使用価値(人に役に立つかどうか)、富(お金以外のことも含む豊かさ)を重視するような生産様式に移行していこうではないか、というのがマルクスの発想ですね。


 齋藤さんは「新しい資料(MEGA*の新版)」の編集にも参加している研究者で、資本論の本文に書かれてはいないものの、マルクスの着想の中(特に晩年)にこの「エコロジー」的発想が見出せると指摘している。小生の浅い理解では、フォイエルバッハの影響を受けていた初期のマルクスにはエコロジカルの “芽“ はあるが、後期に行くほど「生産力至上」的「予定調和」的な発想に傾いていくと思っていたので、これは少々驚きであった。
* MEGA:マルクスエンゲルス全集 Marx-Engels-Gesamtausgabe の略称。

 今回のシリーズに刺激されて、初めから『資本論』を読み直してみることにした。昔は「第1章 商品」を読むだけでうんざりしていたが、今読んでみると、意外にも「噛んで含めるように」丁寧に書かれていることがわかって驚く。日本語訳も以前に比べて数段洗練されている感じだ(年をとったのだなあ……)。


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