ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

100分で名著『資本論』 3

 1月18日放送のNHK「100分で名著 カール・マルクス資本論』」第3回 イノベーションが「クソどうでもいい仕事」を生む !? を見た。

 伊集院:僕、ついこのあいだ、イノベーションについての番組で、大きな倉庫の中でたくさんのものを運ぶ仕事で、今までは10人がかりで台車を押していたんだけど、これからは先頭の人、一人だけは台車を押すんだけど、残りの9台は先頭の台車についていくプログラムをされている台車が導入されるから、これすごいコストカットになりますから、ということなんですけど、残りの9人は失業するじゃないですか。
 安部:そうでうよね。
 伊集院:まず、この先頭の一人の人は、いろいろな側面があるけど、まず意見を言う集団にはならないじゃないですか、絶対に。「お前もクビでいいの?」、「仕事やりたいという人まだ9人いるよ!」いうことじゃないですか。その機械が悪いってことじゃないですよ。でも、イノベーションというものの側面がむき出しにされた気がします。
 齋藤:資本家にとっては夢の技術革新なんだけど、実はイノベーションを進めていく際には、労働の効率をできるだけ上げていかなければならないんですね、生産力を上げるために。そのためには資本の命令を聞くような労働者たちをどんどん作り出していく、そういう都合のいい生産過程を作り出していくというのが、マルクスがもっとも問題視していた、いわば “働かせ方” 改革の本質になるわけです。
 伊集院:で、それすごいなと思ったのは、先頭の人にゴーグルみたいなのが付いていて、遠隔から彼が見ているものがわかるんですよ。で、遠隔から、その暗い倉庫の通路、3本目から右に曲がって行ってくれ、と外から指示できるんですよ。そうなってくると、この人はもはや「人」なの? っていう……。
 齋藤:労働者たちが、賃金が下がっていくという貧しさだけじゃなくて、技能、もともと持っていた能力も奪われてどんどん貧しくなっていくんですね。誰でもできるような仕事ばかりになってしまう。

 労働には本来「構想」と「実行」という二つの側面がある。何を作るか、どうやって作業を進めるか、などを考えて決める面と、それを遂行する具体的な作業の面と。職人などの仕事を見ればわかるように、両者は分離されておらず、一個一個の作業を進める過程で「構想」と「実行」が折り重なり積み上げられていく。瞬間、瞬間に、二つの側面が同時併存している。それは職人に限らず、多くの労働の本来の姿だと言ってもよい。
 しかし、製品生産に関しては、これだと一個一個の品物をつくるのにある程度の時間がかかるのは避けがたい。時にはそれが長くなることもありうる。これは大量生産には不向きだ。たくさん作ってたくさん売りたいと思っている資本家には都合が悪い。そこで、資本家は職人の仕事をつぶさに観察・分析して、作業を切り分け、分業によって素人でも少しの技術を習得すれば同じような製品が作れるようマニュアル化した。あとは口ごたえしない労働者を集めれば生産性が上がるはずだ、と。
 機械を使うのではなく機械に使われるという倒錯した関係、機械の歯車と化す人間の労働はこうして始まった——この行き着く先が「クソどうでもいい仕事(bullshit jobs)」* ということのようだ。
* 文化人類学者のデイヴィッド・グレーバーの用語。被雇用者本人でさえ、その存在を正当化しがたいほど、完璧に無意味で、不必要で、有害でもある有償の雇用形態。
 追記:齋藤氏はテキストで「そもそも社会的にさほど重要とは思われない仕事、やっている本人でさえ意味がないと感じている高給取りの仕事が広告業やコンサルタント業を中心に急速に増えている」と述べている。


 機械は労働者を労働から解放するのではなく、労働を内容から解放する……。
(『資本論』)


 ここまでだったら、100年前でも50年前でも、まあそういうことだと理解できるだろう。しかし、伊集院さんの次の発言は少し考えさせられた。これが “今” という時代なのか、と。

 伊集院:………一生、技術もない、成長もないということになって…。でも、これすごくバランスが難しいのは、成長を期待されるのが苦痛な人もいるわけですよ。「俺はもうそれでいいんだ」っていう人もいっぱいいそうで。わかったうえで、それでいいならいいけど、僕らはあんまり考えたこともなく、そういう社会にいるのはどうかなとは思ってます。
 齋藤:そうですね、思考が停止して、現状をそのまま受け入れてしまうというのは、本来マルクスが思い描いていたビジョンとはちがうわけですね。人間というのはもっといろいろな可能性もあるし、労働者の人たちも自分の能力を発展させる可能性があるかもしれない。もともとそういう人たちであったというよりも、機械化が進んで行って、構想を奪われ、機械の部品として働くことにもう慣れてしまった、諦めてしまった現代の労働者たちの姿とも言えるんじゃないですかね。


 小生の頭の中では機械労働と疎外はチャップリンの映画「モダン・タイムス」に結びつく。しかし、あの映画を、自分と同じようには見ていない人が増えているのかも知れないと思うと……。しばし、唸らされてしまう。



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