ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

100分で名著 『資本論』1

 1月4日に放送されたNHK「100分で名著 カール・マルクス資本論』」第1回 「商品」に振り回される私たち を見た。講師は斎藤幸平氏大阪市立大学准教授)。

 『資本論』・第1巻は1867年の刊行だ。その本文の書き出しは、以下のとおり<番組内>。
 資本主義的生産様式が支配的な社会の富は、「商品の巨大な集まり」として現れ、個々の商品は、その富の要素形態として現れる。それゆえ、われわれの考察は商品の分析から始まる。


齋藤氏はこれを次のように解説する。

 齋藤:……裏を返せば、資本主義じゃなければ社会の富は商品として現れなかったよね、という風にも読めますよね。
 伊集院:そうですね、言葉としては……。
 安部アナマルクスはとても広い意味で「富」をとらえているようで、空気や水、森、公園、図書館、(知識、文化、技能、)コミュニケーション能力などを含めて社会の富だと。
 齋藤:私たち一般に「富」と聞くと、不動産とかお金とか、そういうのを思い浮かべると思うんですけど、それは私たちが富と商品を混同しているからで、水がきれい、森がたくさんあるとか、もう少し現代で言えば、公園がある、図書館があるとか。富としてみんなで共有して管理して発展させていくべきだとマルクスは考えたということですね。ところが資本主義社会を見てみろと。ありとあらゆるものが商品になってしまう。
 伊集院:ほんとだ。水、買う。有料で入る公園とか、最近いっぱいありますものね。
 齋藤:歴史的に見れば、こういったものは商品で、お金のやりとりの対象になってこなかった。なぜかというと、お金のやりとりの対象にしてしまうと、お金のない人はそこからはじき出されてしまうわけです。
 伊集院:確かにお金を持っていれば楽しいけれど、持ってないと非常に不自由な世の中に、刻一刻となってますよね。
 齋藤:一見すると、今の社会って何でもあるし、コンビニとかに行けば何でも安いし、世界中のものを何でも買えるけど、それは商品ベースの話であって、富で考えると、僕らはそんなに豊かじゃないかもしれない。
<中略>
 伊集院:空き地でみんな様々な遊びをしていた時代もあったのに、そこが買い取られてフットサル・コートになったときに、フットサルをお金を出してやることしかできない。……もともとは野球やってたし、キャッチボールもやってたんだけど、もう野球もキャッチボールも鬼ごっこもやるところはないんですね。で、お金を出したものだけがフットサルができて、たぶんお金がある人のサイドはいつでもフットサルができていいと。でも、そういうことなのか……と。

以下、価値論から物象化論へと話が進み、最後に、

 齋藤:必ずしも市場での競争とか、お金儲けになじまないものというのは本来たくさんあるんです。なぜかというと、商品と富は別物だから。富を必ずしも商品として管理することが適してないものはたくさん存在しているんです。そうなると、こんなに商品化をおし進めていいのか、それだけだと矛盾が出てくるのではないかと。……そういうのを問題視するために、最初のきっかけになるのがマルクスの考え方だと思いますね。


 補足で、マルクスの生涯について調べた私的なメモを付す。

 〇ロンドンのハイゲート墓地にはカール・マルクスの墓がある。ある旅行者によると、たまたま隣に居合わせたおばあさんが孫に向かって「この人は偉大な哲学者だから、よく覚えておくように」と諭していたそうである。
 〇マルクスは1818年5月5日、ドイツのトリールに生まれた。1818年は、ナポレオンがセント・ヘレナ島に追放され、ヨーロッパ全土に「保守反動」の暗雲がたちこめ、フランス革命の自由・平等の恐怖を身をもって体験したヨーロッパの保守層が国を越えて団結し、革命運動とその思想を厳しく弾圧していたウィーン体制の時代だった。
 〇ボン大学に進学したマルクスは法律を学び、在学中18歳のときに、後の妻となる4歳年上の女性イェニーと婚約する。
 〇舌鋒激しいマルクスは当局から危険人物とみなされ、ドイツにいられなくなりパリへ向かう。このときイェニーと結婚(マルクス25歳)、かつての知人エンゲルスと再会。その後、パリにもいられなくなり、1845年にベルギーのブリュッセル、さらにさまよいながら、1849年にロンドンへとたどり着く。ブリュッセルから逃げ出したのは、あの「万国のプロレタリアよ、団結せよ!」という言葉で締めくくられた『共産党宣言共産主義者宣言)』を書いたことによる。このときマルクス30歳、エンゲルス27歳。
 〇当時のロンドンは、大陸を追われてきた「革命家」のたまり場になっていた。マルクスはロンドンでの極貧生活で、まだ幼かった長男、次男、三女を相次いで失っている。
 〇子どもたちの死を乗り越えるように、マルクスは資本主義の分析に取りかかる決心をし、1850年9月頃からロンドンの大英博物館の図書室に通い始める。朝から一日中籠もって、文献を読みあさり、ノートをとり続け、館員から「あの人はいつも同じ場所に座るので、とうとう椅子が磨り減ってしまった」といわれた。途中、第一インターナショナル(国際労働者協会)の委員に選ばれ、組織のとりまとめや文書の執筆に追われる中、1867年、49歳のとき、ついに『資本論』第1巻を出版する。大英博物館に通い始めて、実に17年後のことだった。
 〇それから16年後の1883年3月14日、肝臓がんでマルクスは亡くなった。享年65歳。妻イェニーにはわずかに先立たれている。
 〇マルクスの葬儀に参列したのは、わずか20人ほどだった。エンゲルスは友人宛の手紙にこう書いている。「人類は頭一つだけ低くなったのだ。しかも、人類が現在持っている最も大切な頭一つだけ」。マルクスはハイゲート墓地の、妻のそばに葬られた。

 * マルクスの墓石に刻まれている文言
“ WORKERS OF ALL LANDS UNITE.” 「万国の労働者、団結せよ」(共産党宣言より)
“ THE PHILOSOPHERS HAVE ONLY INTERESTED THE WORLD ON VARIOUS WAYS. THE POINT HOWEVER IS TO CHANGE IT”  「哲学者たちは世界をさまざまに解釈してきただけだが、大切なことはそれを変えることである」 (「フォイエルバッハ・テーゼ」より)

 ◆マルクスの娘がマルクスの生前、大好きなパパに行ったアンケートがある。
 ○パパの好きな徳は?      …… 素朴!
 ○パパの好きな男の人の徳は?  …… 強さ!
 ○パパの好きな女の人の徳は?  …… 弱さ!  
 ○パパのおもな性質は?   …… ひたむきさ(一貫して目的を追うこと)!
 ○パパがいちばん大目にみてあげる悪徳は?
             …… 軽信!(すぐに信じてだまされてしまうこと)
 ○パパの好きな仕事は?     …… 読書に没頭すること! 古本屋あさり!
 ○パパの好きな色は?      …… 赤!
 ○パパの好きな名前は?     …… ラウラ、ジェーン!(二人の娘の名前)
 ○パパの好きな格言は?
       …… 人間に関することで、わたしに無縁なものは、なにもない!
 ○パパの好きなモットーは?   …… すべてをうたがえ!
 ○パパの不幸は?        …… 服従すること!
 ○パパが幸福だと思うことは?  …… たたかうこと!

(参考:少年文芸手帳 歳時記(80) 3月14日 カール・マルクス



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