ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

井上弘貴『アメリカ保守主義の思想史』

 著者の井上弘(ひろたか)神戸大学の准教授。20世紀アメリカ合衆国保守主義の思想史研究が専門とのこと。書名のとおりだ。

 先回、2016年の大統領選挙で、大方の予想に反し、なぜ、トランプはヒラリー・クリントンに勝利できたのか、多くの識者が説明(理解)をこころみてきた。井上氏もその一人のようだ。「あとがき」には、こう書かれている。

 ……二〇一六年大統領選でのトランプの当選がなければ、戦後アメリカの保守主義の思想史をたどる取り組みに実際に踏み出すことは、おそらくなかっただろうと思います。トランプの当選を予期することができなかった人間のひとりとして、トランプが勝利した原因の説明について実証的な政治分析の研究から学びつつ、知識人の言説の検討をつうじて、トランプの登場に至る過去の思想的な背景を理解する必要があることに遅ればせながら気づき、トランプ政権のこの期間、集中的に研究を進めてきました。トランプを支持するという賭けに出た知識人たちが抱えていた焦燥感と、トランプの当選後に勃発した保守の陣営内部の仁義なき戦い——この戦いはいまだ終結していません——を考察することは、戦後アメリカの保守主義の変容だけでなく、アメリカ社会自体の変容の軌跡を理解することにつながるという思いを、本書を書き終えた今、あらたにしているところです。
(本書、279頁)

 前に金成隆一氏の『ルポ トランプ王国――もう一つのアメリカを行く』(岩波新書 2017年)を読んだことがある。かつて鉄鋼業や製造業で栄えた五大湖周辺の「ラストベルト」(さび付いた工業地帯)の住民たち(白人労働者層)がトランプ支持に転じたその「肉声」が丁寧に拾い上げられていた。一読すると、零落する中間層の民主党離れ(というか、既存政党への不信)がトランプ勝利の大きな要因であることがよくわかる。
 とはいえ、零落層や貧困層が成金大富豪を支持するという“捻じれた”構図にはずっと違和感があったし、トランプのあのワンマンで反知性的なふるまいに嫌悪感を示す者が多いなか、これを冷静に眺め、共感ないし理解する識者も少なくないのはどうしてかという疑念もあった。今年の11月の大統領選では、バイデンに敗れはしたものの、支持者たちのあの「熱狂」ぶりである。トランプは人々に何を可視化させ、他方、「岩盤」支持者たちはトランプに何を見てきたのか——本書を読んで、その背後の思想的な系譜の一端が見えた。

 トランプの主義・主張の特徴を列挙すると、自国優先、反移民、白人優越(差別主義)、……等。これは、レーガン政権からブッシュ(子)政権までの共和党政権の中枢を担い、アメリカの保守の主流をかたちづくってきたネオコンの主義・主張とはズレている。保守の傍流がトランプ政権誕生にともない表舞台に現れたかたちだが、その原形は2005年に亡くなった右派の論客サミュエル・トッド・フランシスの思想にすでに見えるという。

 フランシスの論にしたがえば、ニューディール以降、民主党政権が行政権力を行使して主導した再分配政策の直接の受益者はアメリカの貧しいアンダークラスだったが、実は、そうした力づくの政策を通じて新進企業と政府に入り込んだエリート層も階級的利益と地位を確保してきた。ここには、旧ブルジョワや中間層を挟み込んで彼らから物質的利益を吸い上げるエリート層とアンダークラスの同盟=「サンドウィッチ戦略」が見える。あのラストベルトの白人労働者たちに「可視化」されたのはこの構図である。彼らは転落し、かつての地位を失った。つれて彼らがそれまで担ってきた良きナショナリズムアメリカの文化も衰退し、グローバル化した経済と文化に飲み込まれてしまった。彼らが「文化的ヘゲモニー」を取り戻すこと、それがアメリカの「再生」だ。トランプの“もう一度アメリカを偉大な国に”というスローガンに説得力が増していく。

 トランプ登場の背景に注ぎ込むような紹介だけだと本書の「真髄」から離れてしまうが、著者は「雑誌論文」を丹念に読み込みながらアメリカの戦後保守主義思想の潮流を跡づけている。上のフランシスはもちろんのこと、専門家でないと聞いたことのないような「登場人物」のオンパレードだが、論旨が難解ということはない。少し「冒険」してみたが、何とかついていくことができて満足している。

青土社、2020年11月刊、282頁)



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