ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

小川・成田編『世界史の考え方』

 この4月から高校の授業科目が模様替えされます。国語の新科目「論理国語」をめぐっては、文学の扱いについて、いろいろと反響を呼びました。社会(地理歴史)の方は、長らく日本史と世界史の二本立てで進んできた「歴史」の授業に、新たに「歴史総合」という「統合科目」が設けられました。そもそも歴史が二つあるわけではないので、これは当然の話なのですが、どうやって教えたらよいか、長らく二本立てを当たり前としてやって来た学校現場は、新科目の発足にとまどいがあるかもしれません。
 これに合わせるように、岩波新書から先月、小川幸司さんと成田龍一さんが編集する表題の本が刊行されました。これは大きな課題に直面している歴史の先生方へのエールでしょうし、授業のヒントを読みとることができる内容です。そう思いながら、読んでいると、編者の二人とゲストの学識が深いので、授業マニュアルのような部分が確かにあるものの、全体として、日本人の歴史認識、極端なことを言えば日本思想史の概論のように読めるところがいくつもありました。歴史の事実として個人的に知らなかったことも多く、小生にはかなり勉強になりました。
 付箋をつけたところはたくさんありますが、記録(記憶)の意味で、少しだけメモしてみます。

〇人種・民族・国民という言葉の関係について……私(小川)の理解では、近代日本は、白人を頂点とする人種ヒエラルキーにおいて自らが劣等人種と位置づけられることを回避し続け、自らの人種(意識)に正面から向き合うことなく歴史の道程を歩んだように思います。その意味では、「人種」からの回避、隠蔽のために「民族」という言葉が用いられるケースが散見され、それが今の「日本には人種差別はない」という俗説につながっているのだと思います。
(同書 176頁)

〇日本の場合、……植民地には、大日本帝国憲法が施行されません。最初に台湾を植民地にしたとき、……内地との制度上の分離がなされました。……そのため、朝鮮にも台湾にも議会がなく、同時に徴兵制も、アジア・太平洋戦争の末期まではありません。これは「内地戸籍」を有している日本人も、台湾・朝鮮では選挙権行使も、徴兵令の適用もないということです。
 他方、日本に居住する朝鮮人、台湾人は、大日本帝国憲法下で生活することになり、男性普通選挙が実施されたときには、彼らもその対象になります。日本にいる二〇歳以上の朝鮮人、台湾人男性は、一九二五年以降、居住条件を満たせば選挙権を行使することができ、第一回の普通選挙がおこなわれた一九三〇年にはハングルのポスターが出されます。のちには朝鮮人の代議士も当選しています。しかし、そういう人たちがいたこと自体が現在では忘れられています。

(192-193頁)
 ★これは知りませんでした。外国人に選挙権を与えたら国が乗っ取られると言っている方々も、たぶんこの日本の過去を知らないのではないでしょうか。

〇本書(荒井信一『空爆の歴史』)で強調されるのは、第一次世界大戦での飛行機の使用であり、第二次世界大戦での空軍力―空爆の比重が高まり、軍人の死者だけでなく民間人の死者が多数生じるようになったことです。第一次世界大戦では、死者のうち、民間人の割合は六パーセントでしたが、第二次世界大戦までに六〇%に達したといい、荒井は「戦線から遠く離れた後方でも国民の生活は安全ではなくなった」と総力戦と空爆の関係を記します。
(236頁)

(ゲストの永原陽子さんの話)現在の日本では歴史にかかわる「責任」と言えば、「謝罪」するかどうかにのみ焦点が当たるように見えます。世界の他の国々の同様の問題に関しても、謝罪したかしなかったかというニュースばかりが駆け巡ります。でも本当に大事なのは、事実をどう認識するかであり、国家のレベルで言えば、何を事実として認定するか、だと思います。まさに歴史認識の問題です。……歴史的不正義に関する謝罪や補償といった場合、具体的な事実をどこまで、国家が公的に認めるか、というところが大きな意味をもちます。国家がそれを認知するとなれば、それが歴史教育に反映されていくことになります。
(273-274頁)
 ★やはり為政者に「責任を取ればいいというものではない」などと言わせてはいけないのだと改めて思います。

 先生方、大変でしょうが、いい授業をお願いします。



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