ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

「個性重視」と言いながら…

 日本社会は個性を尊重しない、個性を押し潰す社会のように言われてきました。学校はその元凶のように見られがちです。そこでむかし働いていた人間としては不本意ですが。
 「天才ドラマー」と言われる(詳細はわかりませんが)相馬よよかさんのことを紹介した以下の記事でも、12歳の彼女にとって「(日本の)学校」は残念ながら居心地のよい場所ではなかったように思われます。4月2日付テレ朝ニュースの記事からの一部引用をお許しください。

天才ドラマーよよかさん(12)が日本を去るワケ〜「学校は答えを最初から決めている」|テレ朝news-テレビ朝日のニュースサイト

……「やっぱり、ここで学びたい。自然体でいられます」。(よよかさんは)去年秋、演奏で1カ月ほど過ごしたアメリカで、湧き出る気持ちを抑えられなくなりました。「アメリカ人と演奏していると、色を自由に塗ることができる感じがします。日本での演奏は、まるで塗り絵をはみださないように描くよう求められている気がします」。日本だと点数を付けられ、100点満点を求められる気分になってしまうそうです。……
 よよかさんの渡米は、日本の教育に問題提起をしています。教育は国づくりの基本です。高いモラル、高い協調性、生真面目さ、高い当事者意識…。日本人が誇りにしてきたこれらの特性は、この教育制度があったからこそです。しかし、協調性は時に個性を奪い、生真面目とは時に思考を制御します。激変を続ける世界の中で、たった1つの決められた答えに導くような教育では、国が凋落するのも無理はありません。
 教育の現場からは「ミシミシ」ときしむ音が聞こえるようです。教職員の人員は足りません。家庭教育や社会福祉の機能まで背負わされ、学校現場は悲鳴をあげています。すべての子どもの個性を受け入れる余裕は、なかなか持てないのかもしれません。不登校は増え、いじめはなくなりません。個性を奪われ、自由に、楽しく生きることを拒まれ、イノベーションの芽を摘まれる。こんな教育制度は持続可能ではありません。
 もし個性を存分に受け入れる土壌があったなら、よよかさんは、日本でドラムを叩き続けたかもしれません。彼女の周りには国内外から多くの人が集まり、その自由で創造的な発想は社会に伝播し、イノベーションを生むパワーになっていたはずです。……

 この記事を書いたテレ朝の記者は、日本はあらゆる分野でイノベーションが必要で、新しいアイデアを生み出すために、今までの教育を変え、新しい国、新しい社会づくりに挑む時が来ていると強調しています。今、というより、前からそうだったとは思いますが、同感です。よよかさんのような才能を持つ人が外国に出て行って、成功を収めると、「日本人はすごい」などと、急にその「個性」を称賛してご満悦というのがこの国のならいですが、個性や才能を国内で育て開花させられなかったことに、少しは恥や疑問を感じなければならないところです。

 日本財団が今年(2022年)の1月から2月にかけて、日本を含む6カ国を対象に行った調査の結果を見てみると、日本の若年層=18歳(17歳から19歳まで)には、自分の将来とか目標、自分と社会との関わりについて、他の5カ国(英米中韓印)の18歳の意識とは大きく乖離し、意識面での諦めが非常に強いように見えます。自身や国の将来にも悲観的な人が多い。

https://www.nippon-foundation.or.jp/app/uploads/2022/03/new_pr_20220323_03.pdf

 以下の質問項目に「はい」と答えた割合が、日本の18歳は6カ国中最低です。
・自分には人に誇れる個性がある。
・自分は他人から必要とされている。
・勉強、仕事、趣味など、何か夢中になれることがある。
・自分のしていることには、目的や意味がある。
・自分の人生には、目標や方向性がある。
・将来の夢を持っている
・自分の将来が楽しみである。
・社会が今後どのように変化するか楽しみである。
・多少のリスクが伴っても、新しいことに沢山挑戦したい。
・多少のリスクが伴っても、高い目標を達成したい。
・リスクのある挑戦よりも、経済的安定を重視する。
・リスクのある挑戦よりも、心理的安定を重視する。
・自分は大人だと思う。
・自分は責任がある社会の一員だと思う。
・自分の行動で、国や社会を変えられると思う。
・国や社会に役立つことをしたいと思う。
・慈善活動のために寄付をしたい。
・ボランティア活動に参加したい。
・政治や選挙、社会問題について、自分の考えを持っている。
・政治や選挙、社会問題について、積極的に情報を集めている。
・政治や選挙、社会問題について、家族や友人と議論することがある。

 「個性重視」と言いながら、実は手のひらの上で転がされる「個性」、自ら囲い込んだ円内でだけ許される「個性」に、本音の部分では偽善や鬱屈したものを感じている人は多いと思います。どうにかしないといけない気になりますが、「この国はダメだ」などと書いても(いつもこんな調子ですみません)、若い人たちに合点のいく話にはならないでしょう。まずは自分の個性を発信しようと、檻を破って新しいものに挑戦するとか、成功体験を積み上げる生き方をするなどと、気ばったことも言えません。しかし、気持ちがあれば「なるほど、自分もがんばろうか」と思える、人の言葉や生き様に出会うことは可能です。それを拾い上げながら、嘘をつかずにまっとうなことをしていくしかないかなと思います。まず何より、年配者は(影響力のある人はなおのこと)出しゃばったことはせず、後進に道を譲らなければいけません。自覚が必要です。

 トルストイは今日4月3日の『文読む月日』に以下の言葉を載せています。

 (二) もしも人生は夢であり、死は目覚めであるならば、私が自分をいっさいの他者から独立した個体と見るのも夢ではないか。    (ショーペンハウエル
……
 (九) 死を恐れもせず、またそれを願いもしないといった、そんな生き方をしなければならない。

(北御門二郎訳『文読む月日 上』、388・390頁)




↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。


社会・経済ランキング
にほんブログ村 政治ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村