ひとむかし前は人前で話をするのが仕事だったが、今や「人前」どころか「今日は誰かと話をしたかな」と思うほど “現場” から離れてしまっている。ふりかえるまでもなく、公的な場で話をするのは、緊張もするし、あまり得意ではなかった。うまく言葉を紡ぎ出せなかったり、冷静でなかったり(逆に肝心なところで誠意や情感を欠いていたり)…と、終わって後悔することばかりだった。
他方、変に緊張することもなく無難に話せたと思うことも少なからずある(当たり前か)。一度、証人尋問のような場に立って、長時間にわたって脳が活性化していたせいか(あるいはその疲労のためか)、終わった直後の会合で、口をついて次々と言葉が溢れ出てくるという不思議な経験をしたことがある。このときに理路整然と意を尽くした話ができたかと言えば、とてもそんなことはないのだが、後悔の念などはほぼゼロである。自分の中から湧き上がってくるものに、「後悔」云々といった間尺はすでに当てはまらないだろう。
10月31日からイギリス・スコットランドのグラスゴーでCOP26(国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議)が1年遅れで開催されている。11月6日には、地球温暖化対策の強化を呼びかける「グローバル気候マーチ」が各国で行われた。グラスゴーの公園にも市民や環境活動家など10万人以上もの人びとが集まったという。その中に、スウェーデンのから駆けつけたグレタ・トゥーンベリさんや、日本から参加した高校生や大学生たちがいる。すっかり有名になってしまったグレタさんも、今はともかく、元々人前で話すことが得意な人だったようには思えないが、彼女からも迸り出るものを抑えられないというのは伝わってくる。それは日本の若い人たちも同じだろうと思う。
気候変動や環境問題は日本の若者にも関心の高いテーマだと言われている。しかし、こと総選挙の争点となると、生計や経済などをめぐる費用対効果の声に押され、優先課題の上位から退く傾向がある。
選挙の争点 10代「新型コロナ対応」最多|日テレNEWS24
何もしなければ確実に危機的状況の歩を進めるのがこの問題なのに、多くの人がわかっていながら有効な手立てをとれないままで来ている。しかし、そんなことは言ってられない。
経済思想家の斎藤幸平さんが様々な現場を歩いてリポートする毎日新聞の連載企画に、仙台で行われた若者たちの「気候アクション」のことが取り上げられている。11月7日付毎日新聞記事より(年齢等は省略)。
斎藤幸平の分岐点ニッポン:資本主義の先へ 「気候不正義」に異議 若者のストに同行 おかしなことには声を上げる | 毎日新聞
「気候危機に抗議する初めての学校ストライキを行うから取材してほしい」。10月上旬、1通のメールが届いた。送り主は「フライデーズ・フォー・フューチャー」(未来のための金曜日、FFF)のメンバー。政府が気候変動対策にもっと取り組むよう声を上げている若者の団体だ。団体の名は、スウェーデン人の環境活動家グレタ・トゥーンベリさんが金曜日に学校に行かずに、国会議事堂前で座り込みをしたことに由来する。
英国では現在、気候危機への対応を話し合う国連気候変動枠組み条約第26回締約国会議(COP26)が開かれている。気候危機はまったなしの状況であり、干ばつ、熱波、豪雨などの異常気象のリスクが今後、飛躍的に増大していく。その被害を最も受けるのが子どもたちである。けれども、子どもたちには選挙権がない。政策が高齢者寄りになる「シルバーデモクラシー」という問題もある。それどころか国内での気候変動に対する関心は低く、先日の衆院選でも全く争点にならなかった。
自分たちの未来が危機にひんしている時、学校でお勉強する意味はあるのか。いや「もっと闘わないといけない」と、FFF仙台の清野華那さんたちは「本当の学び」を求めて学校ストライキを決めた。実は日本のFFFが「ストライキ」を呼びかけるのは初めてだ。「強い言葉を使うとみんな遠ざかってしまうのではないか」との懸念があったといい、「気候マーチ」と銘打った抗議行動を放課後に実施してきたのである。「運動がないと社会が荒廃していく。抵抗するような運動をつくることこそが現状に絶望している若者の希望になる」と清野さんは訴える。
気候変動に関する世界一斉デモが繰り広げられた10月22日、仙台へ向かい、FFFの抗議活動に参加した。朝10時、駅近くの公園に集まったのは10人ほど。中には福島の大学生や仙台市内の高校生2人もいた。手描きのプラカードには、「気候不正義を止めろ」とある。抗議は、住友商事や国際協力機構(JICA)などがバングラデシュで進める大型石炭火力発電所事業に反対するもので、この日は両団体への申し入れや「グローバル化と経済」などをテーマにした公園での学習会を行った。
石炭火力は二酸化炭素排出量が多く、世界で問題視されている。バングラデシュは気候変動による海面上昇によって国土が失われるといわれている国だ。そこに「途上国支援」と称し、石炭火力を建設することに、現地でも反対の声が上がっているという。一方、住友商事は毎日新聞の取材に、「本案件はバングラデシュ政府の長期エネルギー計画上も実現が必要。安定した電力供給が今後の経済成長を支える」と説明する。
東北大2年の清野さんはもともと、貧困や労働問題に関心があり、官僚になって経済成長の道を描くことを目指していた。けれどもその「コスト」に気が付いた。つまり先進国がさらなる経済成長を求めることで、途上国の資源や労働力を奪っている、と。途上国の人々は大量の二酸化炭素を排出していないのに、気候変動の影響を真っ先に受ける。彼らは先進国での政治的意思決定に関与もできない。これが「気候不正義」である。「労働問題や環境問題を接合して考えないと次の社会は構想できない。その時、気候変動の問題はテコになると思った」と清野さん。
ではなぜ今、ストライキなのか。その理由が現場で見えてきた。住友商事もJICAも、対応者は「うちの担当ではないから分からない」と言うばかり。「気候変動を止めるために石炭火力を建設すべきではない」「現地ではさまざまな問題も起きている」と抗議しようとも、「知らない」「分からない」の一点張りで、反論しようと身構えているこちらも拍子抜けしてしまう。何を言っても、どこかの国の国会答弁で見たような「お答えできません」を繰り返されると、「対話が大事」という民主主義のきれい事など通用しない現実を突きつけられる。
FFFの活動に初めて参加した高校生の柴田昊弥(こうや)さんはその後、繁華街で行われた演説でこう述べた。「日本の社会のあり方を、自分たちが良ければいい、今が良ければいいという考え方でみつめていては一切良くならない。僕たちには後世を思いやる政治、考え方が必要だ」。力強いスピーチだったが、緊急事態宣言が明けて買い物にいそしむ人々にどれくらい届いているのかは正直、横で聞いていても心もとなかった。
そんな大人の対応を見て、学校を休んだことを後悔したのではないかと心配になったが、「今日で社会は変わらないけれど、自分が変わった。もっと勉強して、自分たちの声を聞いてもらえる大人になりたい」と柴田さん。他の参加者も、「無関心が一番の敵。変わらないと言っているだけじゃ本当に何も変わらない」「声を上げるという一歩を踏み出せて良かった」と頼もしい答えが返ってきた。
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斎藤さんは後段で「FFFが「学校ストライキ」という言葉を避ける原因は私たち自身にある。そのことを反省せず、社会の変化を若者に期待するのは大人の責任転嫁にすぎない」と述べている。若い世代にはいつも期待感はもっている小生でも、最近はこうした文脈で「若者に期待する」と結語することには嫌悪を感じてきた。身勝手な「期待」を「若者」に寄せるなら、むしろ自分(のできること)に「期待」するべきだし、そうありたいと思う。
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