ペンは剣よりも強く

日常と世相の記

山下泰裕JOC会長への疑問

 1980年夏のモスクワ・オリンピックは異様な印象だけが残っている。テレビで中継録画を見ていた記憶はあるが、何かヴェールの向こう側に霞んで見えたようなイメージだ。大会会場が日本との交流の薄い社会主義圏(ソ連)であったことや当時の衛星中継の技術などが関係していたかも知れないが、そもそも日本の選手が参加していない大会であったことが決定的だったような気がする。

 前年の1979年12月に起こったアフガニスタンへのソ連の軍事介入に西側諸国は抗議し、アメリカの呼びかけで約50か国が大会ボイコットを決めた。日本もその一国となったのだが、同じ「西側陣営」でも、イギリス、フランス、イタリア、オーストラリア、オランダ、……などは、何らかの抗議の意思表示はしたものの、ボイコットはしなかった。今も変わらぬ日本政府のアメリカ追随が、代表選手の「叫び」を封じたことは今もよく覚えている。
 レスリングの高田裕司さんは前回1976年モントリオール大会で金メダルをとり(当時22歳)、モスクワ大会での連覇が期待されていた選手で、眉に絆創膏を貼った姿で涙ながらに訴えた。「オリンピックに出るために毎日毎日練習してきて、これで出なかったら何のためにやってきたか……」と。これは多くの選手の声を代弁していたと思う。当時金メダル確実とまで言われ、モスクワの次の1984年ロサンゼルス大会で悲願の金メダルをつかむことになる柔道の山下泰裕・現JOC会長もそのとき声を上げた代表選手の一人だった(当時23歳)。

モスクワ五輪「ボイコット」が決まった――1980年5月24日(川端康生) - 個人 - Yahoo!ニュース

 オリンピックは4年に一度しかない。選手としてのピークを逃したくないと思うのは当然で、今回東京五輪が中止になったら、次はないと覚悟している選手は少なくないはずだ。山下会長は次のチャンスに恵まれたが、大部分の選手はそうはいかない。選手たちに自分が味わったような辛い思いをさせたくないという気持ちが山下会長に働くのは当然だ。それはわかる。しかし、JOC会長の立場としては、選手の気持ちを代弁することの他にも考えなければならないこと、やらなければならないことがあるのではないか。

 昨日(5月26日付)の毎日新聞に山下会長のインタビュー記事がある。部分引用する。
(聞き手:浅妻博之記者)

論点:東京五輪開催の可否 | 毎日新聞

選手には「一生に一度」 山下泰裕JOC会長
 東京オリンピックパラリンピック開催に対する支持率が上がっていないのは、安全面に多くの日本国民が不安を持っているからだと感じている。国民の安全を守ることを大前提に、大会の準備を進めているものの、そのことを伝えきれていないのが一番の理由だと思う。
 新型コロナの世界的な感染拡大で東京大会の延期は2020年3月に決まった。追加経費がかかるため、削るところは削って簡素な大会計画を作り上げた。9月以降は国民の安心安全を守りながらどう開催できるかを国際オリンピック委員会IOC)と真剣に議論してきた。残念なのは「国民の安心安全を守るのか」「強引に大会を開催するのか」という二者択一に受け取られてしまったことだ。

<略>
……大半の選手にとって、五輪は4年に1回ではなく、一生に一度出場できるかどうかの大会だ。……選手は新型コロナの感染拡大で大会延期が決まる前から練習に参加していいのか、練習自体がわがままな行為ではないか、練習よりも社会のためにやるべきことがあるのではないか、と思い悩んできた。選手が集中して練習に取り組める環境を作るのがJOCの役割だ。ワクチン接種や開催可否に関する発言で選手側が批判を受ける事態も起きている。
 私も現役時代、ソ連アフガニスタン侵攻の影響で日本が1980年のモスクワ五輪をボイコットした際、激励の手紙とともに「アフガニスタンでは何人の人が死んでいると思っているのか。五輪に参加しようとするのはわがままだ」とのお叱りの手紙をいただいた。当時は親友とアパートで2人で暮らしていた。友人によると、私は震えながらその手紙を読んでいたという。何の罪もない選手を責めるのはやめてほしい。
 前回の64年の東京五輪の時、私は小学1年生だったが、今でも印象に残っている。熊本県の山間部に住んでいた私に東京五輪がどれだけの夢を与えたか。小学4年から柔道を始め、中学生の時の作文で「大好きな柔道を頑張って五輪に出て、メインポールの日の丸を仰ぎながら君が代を聞く」と将来の夢を書いたほどだ。
 大半の選手に2度目の五輪はない。モスクワ五輪でのボイコット後、私が受け入れられなかったのは多くの人から「4年後、頑張ってください」と言われたことだ。当時、私は「五輪のことは考えません」と言い続けた。励ましと分かっていながら、選手は一日一日身を削るような思いをしている。そして幻のモスクワ五輪の柔道の代表だった7選手で84年のロサンゼルス五輪に出場できたのは私だけだった。
 大会には世界中のアスリートが万全の準備をしてくる。開催を信じて選手は焦らず一日一日、自分のすべきことに取り組み、夢に向かって完全燃焼してほしい。五輪憲章には「オリンピズム」という言葉がある。あらゆる人種、宗教、思想、言語、文化の人たちが集まり、同じルールのもとで競い合いながら相互理解を深め、平和な社会づくりに貢献するという五輪の理念だ。東京大会はコロナ禍によって分断された世界が一つになれる機会と言える。選手が勇気や希望を届け、共に五輪の理念を再認識し、歴史に残る大会になると信じている。

 山下氏が実直な選手想いの会長であることがわかる。もし、氏が一選手ならば、それでよいかもしれない。しかし、責任のある長となると、これにはいささか苦言を呈せざるを得ない。「国民の安全を守ることを大前提に、大会の準備を進め」、「選手が集中して練習に取り組める環境を作るのがJOCの役割」とするなら、国内感染を全力で抑え込むよう政府に強く働きかけ、まずもって安心安全な環境を確保して選手の心配を払拭することが、JOC会長としては、最重要、最優先事項だったはずだ。昨年に延長を決めてからこの1年、国民の安全を守れないでは大会は開けないことが大前提だったはずで、昨年同期をはるかに超える感染状況にある今、安全を「伝えきれていない」という認識は完全にズレている。ない「安全」は伝えられない。
 五輪が選手にとって「一生に一度」という文言についても、このコロナ禍で一生に一度の機会を逃したり、やむなく我慢をしいられた人々、とりわけ、感染で命を失った人やその家族・縁者にとってはそのまま胸に落ちる言葉ではないだろう。

 さらに言うなら、「何の罪もない選手」などと、選手たちにわき目を振らずにひたむきに練習に打ち込むようなメッセージとイメージを付与することにも違和感を持つ。むしろ、国民の8割が五輪開催に疑念をもつ世論状況に関心もなく、自身の意見をもたないような代表選手がいるとしたら、それも「罪」ではないかとさえ思う。意図的ではないにしても、選手を、何も知らない純粋無垢な存在へと貶めている。選手は「子ども」ではない。
 開催に反対したら選手にとっては「自己否定」ととられかねない。それでも、国内感染の拡大と世論動向を気にして、本当に五輪はできるのか、自分はそういう状況下に国民の代表として五輪に出場してよいのか、と悩み続ける選手も少なくない(と思う)。こうした個々の選手の声や思いをJOCが本当に汲み上げて動いているかどうかは疑問なしとしない。かつて、山下氏ら個々の選手が自身の声で政府の方針に異議を唱えられた時代からすれば、これは後退ではなかろうか。

 山下会長は関与していないと思うが、以下の引用のように、東京五輪には責任者が説明のできない(説明しない)疑惑が多すぎる。これも国民が五輪開催を支持しない大きな理由である。安全安心への懸念だけではないのだ。

 毛ば部とる子さんのブログをご覧いただきたい。
五輪組織委デタラメ経費のツケは国民の税金で | 毛ば部とる子



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