5月21日付毎日新聞、野澤和弘氏の「令和の幸福論 「役立つ」ことを強いられる日本の子どもたち」という記事を読んだ。以前(気がつけば、もうだいぶ前になってしまったが)学校で働いていたので、内容的に驚いたということはないが、考えるべきことは多いと感じた。
「不幸」になりたいと思う人はまずいないと思うので、「幸福論」と銘打たれると、異議を挟みづらいのだが、結局のところ、「幸福」に何かお決まりの定義や基準をあてはめることはできないと思うのが、まず大前提。だから、「幸福」について考えるというのはともかく、こうすれば「幸福」になれるみたいな話はちょっと勘弁願いたいと思う。というのも、「幸福」は「健康」というのによく似ていて、ケガや病気になると「健康」のありがたみを実感するように、「幸福」も平時にはなかなかわかりづらいものがある。「健康」を求めて健康機器を買い集めたり、サプリをあれこれ飲むというのは一種の「不健康」=「病気」のしるしだろう。同じように、「幸福」を追い求めることは「幸福」でないことの証しみたいなものだ。もし、平時にこれに気づくとすれば、それは他人の「幸福」(ないし「不幸」)な様子を見たときではないか。
キング牧師もこんなことを言っている。
幸せを探そうとしない人は、もっとも確実に幸せを見つけるようです。
なぜなら、幸せを探す人は、幸せになるもっとも確実な方法を忘れているからです。
それは、他人の幸せを探すということです。
(キング牧師の名言・格言集。高邁な演説と言葉 | 癒しツアー | Page: 3)
他人から「あなたのおかげです。助かりました。」と言われて不幸だと感じる人や場合は少ないだろう。しかし、だからといって、他人に喜ばれることを自分の「幸福」と直結させるのもどうかという気はする。野澤氏の記事を読むと、ここにも日本の子ども、ひいては日本の人に強いられている「有用性」(役に立つこと)の難問が含まれているように思う。
以下に部分引用を許されたい。
「役立つ」ことを強いられる日本の子どもたち | 令和の幸福論 | 野澤和弘 | 毎日新聞「医療プレミア」
<前略>
日本の若者の幸福感を分析した統計は他にもある。内閣府の「日本の若者意識の現状~国際比較からみえてくるもの」、いわゆる「子供・若者白書」もその一つだ。
日本、韓国、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、スウェーデンの7カ国の13~29歳の若者が対象で、各国1000人以上から回答を得て比較検討している。
18年度に実施した調査によると、自分自身のイメージに関する質問では「私は、自分自身に満足している」の問いに対して「そう思う」と答えた日本の若者は10.4%しかない。アメリカの57.9%に遠く及ばず、フランス(42.3%)、イギリス(42.0%)と比べても際立って低い。調査対象国の中で2番目に低いスウェーデン(30.8%)の3分の1程度だ。
「自分には長所がある」という問いに対しても同じ傾向がみられる。日本の子どもは「そう思う」が16.3%しかない。アメリカ(59.1%)、ドイツ(42.8%)、イギリス(41.7%)、韓国(32.4%)よりもかなり低い。
ここで注目したいのは、「自分は役に立たないと強く感じる」と思うかどうかに対する答えだ。「そう思う」と答えた日本の子どもは17.7%だった。これに対し、アメリカは27.9%、イギリスは24.9%だ。ドイツやフランスよりは高いものの、前の二つの問いとは違って、日本の子どもが「自分は役に立っている」と思っている割合は比較的高いともいえる。
なんだ、日本の子どもは自分に自信がないわけではないじゃないか、と思うのは早すぎる。逆に言うと、アメリカやイギリスの子どもは「自分は役に立たない」と思っても、自分には長所があり、自分自身に満足しているということにもなるだろう。日本の子どもは、自分が役に立たないとは思わないが、自分に自信が持てず、満足もしていないということになる。
複数の質問のクロス集計では、日本の子どもは自分が役に立たないと強く感じている者ほど自分自身に満足している割合が低かったが、同様の関係は諸外国の若者の意識には認められなかった。これはいったい何を意味するのだろうか。
「自己肯定感」と「自己有用感」は、似て非なるものであることをこの調査は示している。そして、両者の関係が、どのようになっているのかを解くものとしてとても興味深い。
まず、自己肯定感には二つの意味がある。一つは、自分のあり方を積極的に評価できる感情のことで、「自尊感情」や「自信」に言い換えることができる。もう一つは、肯定的な面だけでなく、否定的な面も含めて、ありのままの自分を認めることができるという意味だ。
内閣府の調査にある「自分自身に満足している」は後者の「ありのままの自分を認められる」に近く、「自分には長所がある」は前者の自尊感情や自信に近いだろう。
一方、3番目の問いである「自分は役に立っている」というのは、「自己有用感」という言葉で表されるものだ。周囲の人や自分が所属する集団との関係において、自分の存在を価値あるものとして認められる感情と定義される。
分かりやすく言うと、自己肯定感が「自分の自分に対する評価」であるのに対し、自己有用感は「他者からの自分に対する評価」であり、他者の視線(価値観)を通して自分が価値のある存在として認められる感情のことである。
幼児教育の分野では、自己有用感を重視する考えが強い。自己有用感が高まると、人に喜ばれたい、自分が行動することで他者から感謝されることに喜びを感じて、思いやりの心が育つという。もっとがんばろうという気持ちになり、学習活動に積極的になり、さらに自信を付けていく。人の気持ちをおもんぱかり、協調性が育ち、集団活動に積極的にかかわろうとする、などの効用が挙げられている。
自己有用感を高めることはさまざまな教育効果を上げることにつながり、教育現場で大事なものと認識されるのがよくわかる。
しかし、注意しなければならないのは「他人の視線を通しての自己認識」という点にあることだ。常に自分が価値のある存在と認められているかどうか、他人や所属する集団の視線を気にしながら、がんばることを無意識のうちに強いられる子どもを想像すると、なんだか手放しで喜べなくなる。
子どもは、無条件でありのままの自分を認めることができることの方が自然ではないのかと思えてしまう。アメリカやイギリスの子どものように、自分が役に立つか立たないかなどではなく、どの子も自分に自信を持ち、今の自分に満足し、自分には長所があると思ってほしい。そう感じるのは私だけではないと思う。
<中略>
……グローバリズムが進展していく中、日本企業の競争力に陰りがみられ、特にアジア新興国の追い上げを受けていることがある。コスト削減のために社内でじっくり人材育成をする余裕がなくなり、基礎研究部門を廃止・縮小してきたのが、近年の日本の大企業だ。経済界はすぐに役に立つ優秀な人材を教育現場に求めるようになった。
すぐに役立つ、つまり「有用性」を求める風潮が社会全体で高まっているように思える。「自己責任」「生産性」という言葉がしばしば為政者側から発せられ、物議をかもしているのもここ数年のことだ。
先に紹介した内閣府の調査で、日本の子どもは諸外国に比べて自己肯定感が極端に低いのに、自己有用感は比較的高めであることを紹介した。それはなぜなのだろうか。
うがった見方をすれば、日本の子どもは自分に有用性を認めなければ、いらないものとみなされ、いじめられたり、見捨てられたりすることを無意識のうちに恐れているのではないか。そうした強迫観念のようなものが「自己有用感」だけは高いと回答する子どもの心理を生んでいるように思える。
人間の有用性などというものは実に多様であり、一つの単純な尺度で測れるようなものではない。ある角度から見れば役に立っているようには見えなくても、見えないところで有用な働きをしている場合もある。そのときには分からなくても、長い時間たってから有用性に気づく場合もある。役に立っているかどうかなど自分自身には分からないことの方が多い。社会の価値観が変われば、個人の有用性などいかようにも変わるものだ。人工知能(AI)が普及していくと、産業社会のなかで人間の役割はどんどん奪われていく。これまで通用していた有用性の尺度など吹き飛んでしまうことだろう。人間の存在に関する価値観を根底から考え直さなければならない。
そもそも子どもに自分の有用性を過剰に意識させるような社会には抑圧的で暗いものを感じてしまう。もっとおおらかな心で子どもたちを見守ることのできる社会にしないと、大人たちだって息苦しくてかなわない。未来がしぼんでいくばかりだ。
<引用終わり>
子どもたちがおおらかに生きられるためには、おとなたちがおおらかに生きていなければダメだと思う。そのおおらかさを奪っている根源はおそらく子どももおとなも変わらない。嘘や不正がはびこり、弱者や少数者に冷酷なのに、それを何ら正せないような社会で、どうしておおらかに生きられようか。即効性のある対策は見つからないが、そのときそのとき、場面場面で、声を上げていくしかないのかなと思う。
最後に、上に引いたキング牧師のことばを、もういくつか引用する。
〇嘘は、生き続けることなどできない。
〇どこにおける不正であっても、あらゆるところの公正への脅威となる。
〇悪を仕方ないと受け入れる人は、悪の一部となる。悪に抵抗しない人は、実は悪に協力しているのだ。
〇最大の悲劇は、悪人の圧制や残酷さではなく、善人の沈黙である。
〇この世で本当の無知と良心的な愚かさほど危険なものはない。
〇地獄の一番熱い場所は、重大な倫理上の争いの中にあって中立の立場を取り続ける人間のために用意されている。
〇私たちは限りある失望を受け入れなければならない。しかし無限なる希望を失ってはならない。
(出所:同上)
↓ よろしければクリックしていただけると大変励みになります。