一応国会は「言論の府」と呼ばれている。国会における議員活動の基本は言論におかれており、問題はすべて言論によって決定されるという「建前」もある。議員は自由な言論を保障され、また、尊重される。だから、発言する者が自己の発言に責任を持つ(感じるのではなく!)のは当然のことである。
日本の国会の劣化や堕落が指摘されて久しい。国会中継を子どもに見せるのは教育によくないとまで言われているが、昨日、とうとう自分の問題発言をとらえて、それは無意識に言ったことである(だから、いいんだ!?)と言い始めた国務大臣が現れた。
3月19日の参議院予算委員会でのやりとりである。
https://twitter.com/kokkaiwatcher1/status/1372801496111144966
蓮舫議員:3月16日の衆議院予算委員会、東北新社との面談を問われた(総務省総合通信基盤局)電波部長へ「記憶がないと言え」と言われましたか?
武田総務相:ご指摘の予算委員会の収録を私自身確認してみましたが、確かに「記憶がない」っていうところまでは(そう)聞きとれ、聞こえたように感じました。予算委員会においては、逢坂委員と鈴木部長との間で、何度も「記憶がない」「記憶がない」のと、私の前でやられておって、なぜか私は無意識っていうか、口に出たんでしょうけど……。いや、無意識で出たのでしょうと思うけど、いずれにせよ、答弁を指図するようなつもりもないし、意味もないし、「せよ」という「しろ」とか、命令するってことは、私としてはないと思います。
蓮舫:あの、次々と珍答弁というの、やめていただきたいんですが。じゃあ、無意識でもいいんですが、言われたということであれば、それは不適切と認めます? 国会の場でですよ。
武田:そうした誤解を与えることにつながったんであれば、それは申し訳ないと、このように思ってます。
しかし、国民はどうやったら国務大臣が無意識で言っていることと意識して言っていることの区別ができるのだろうか? そもそも意識してない指図や命令だからいいんだというゴマカシがすさまじい。こういう答弁に対して、他の議員も失笑はするが、いちいち驚かなくなっているところが脅威だ。
違法接待を受けても金を戻せばいい、というのも同じで、こういうのが蔓延して国の末端で苦慮する人が出ることを少しは想像してほしいものだ。警官、教員、役所の職員、……そして、子どもの親まで、大勢がこういう「へ理屈」を振り回す輩と日々相対しているのである。
「あなた、昨日、お店の品物を黙って持っていきましたよね?」
「いや、してません。」
「ちゃんとビデオに映ってますよ。金を払わないで店の外に出て行ったじゃないですか?」
「いや、でも、記憶にないんで……。」
「バカを言いなさい。この映っている人は、あなた本人じゃないですか!」
「いや、そうかも知れないけど、無意識だったんで……。」
「はあ? 持って行ったのは事実でしょう。何で認めないの?」
「じゃあ、金払いますよ。いいでしょ、それで……。」
こんなのが現実社会で通じるだろうか。しかし、国民を前に、こういうことを実践して見せている人々が国民の代表たる国会議員の中にいるのである。
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