「Business Insider」にジャーナリストの浜田敬子さんが社会学者の上野千鶴子さんにインタヴューをした記事があり、興味深く読んだ。企業組織のあり方に話が及んだ後半の多くは割愛し、オリンピック組織員会の森喜朗退任の件をはじめ、前半を中心にいくつか発言を拾ってみる(要約)。
森騒動とは何だったのか。上野千鶴子氏が語る「男性もイエローカードを出すべきだ」【前編】 | Business Insider Japan
上野千鶴子氏は組織をどう生き抜いたのか。孤立しないためにやった“根回し”【後編】 | Business Insider Japan
(森発言と反響について)今回、胸に手をあててみると、自分にも思い当たることがある、という人は多かったのではないか。五輪組織委員会の女性理事たちは「わきまえている」という森さんの発言から、「#わきまえない女」というハッシュタグがTwitterで広まった。男社会で生きていく中で、いつの間にか「わきまえ癖」を内面化してしまっていて、そのことを反省したという声もあるが、多くの女の人の怒りを呼び起こして、これだけ裾野が広がったと思う。
報道などを見ていると、五輪組織委は本当に上意下達の集団だ。まず、女性は発言が長いということに証拠はないが、仮にこれが経験的事実だとしても、長くて何が悪いのか。民主主義というのは合意形成コストがかかるもので、議論になれば、発言が長くなるのは当たり前だ。
さらに呆れたのが、引責辞任する人がさっさと根回しをして後任指名をし、指名された本人もやる気満々だったことだ。結局、組織的な意思決定プロセスを踏んでほしいと指摘されて白紙になったが、これは当たり前の指摘だ。
もし、森さんの意向のままにことが進み、理事会などで承認されたら、今回の問題は再生産される。日本の組織文化を支えているホモソーシャル(男性同士の結びつきの強い社会)なボーイズクラブによる、根回しと忖度政治が再生産される、このことが実に見事に浮かび上がった。海外から非難されたことも含め、日本の常識は世界の非常識、おっさんの常識は女にとっての非常識ということが見える化したのはよかった。
私は企業の方たちと話す中で、SDGsの17個のゴールの中で、ジェンダー平等の優先順位が低いという印象を持っている。日本では「男女平等」と言いたくないから「ダイバーシティ」という言葉に置き換えてごまかしているのではないかとしばしば思う。人口の半分いる人たちを、対等に仲間に入れていくことが男女平等の基本の「き」なのに。現状の組織文化を変えたくないという抵抗がすごく強いからだろうか。女性を活用した企業の業績が伸びたという実証データはたくさんあり、すでに効果は証明されているのに、なぜ抵抗するのかと考えると、男性たちにとって居心地のいい組織文化を変えたくないのだとしか解釈できない。
例えばコロナ禍であぶりだされた人権問題が外国人実習生の問題で、あれを見たら、日本は人権後進国だと思われても仕方ない。それを放置してきたのが日本の政治だ。だから、人権では動かないと。でも、経済合理性ですら動かないとしたら、一体何なのかと。
ある組織が変わろうとするときには、変わらなければという内発的な動機付けが必要だ。外圧では変わらない。その内発的な動機付けは、危機感によってしか生まれない。だから日本の企業にはまだ危機意識が足りないのだと思う。出口(治明 * 立命館アジア太平洋大学学長 上野さんとの共著あり)さんから教えてもらったが、日本はGDPでは世界3位だが、1人当たりGDPは26位(2018年)だという。本当は二流国三流国に落ちているのだ。
鹿児島県は女性議員ゼロ議会が多い。地元メディアが女性議員のいない議会の議長に「女性がいないことで何か不都合がありますか」と聞いたら、「なんの不都合もありません」と答えた。当たり前ではないか。既成のやり方で物事を決めていたら、そこにいる当事者たちには何の不都合もない。
もう一つ。立候補したある女性に、後援会長のオッサンが「もう少し控えめに主張しろ」とアドバイスしたそうだ。控えめに主張して(たら)、当選する気があるのかと(なるのに)。つまり、女の分をわきまえろ、ということだ。
今回すごく変化を感じるのが、「#わきまえない女」というハッシュタグに若い人たちだけじゃなくて、年長の人までも反応してシェアしていること。「こんなことは私たちの世代で終わりにしたい」と、これまで自分たちが我慢して、わきまえてきたことを反省している。これは事件だ、変化だと本当に思った。今回森さんが辞めざるを得なかったのは、世論の力だったと思う。そのときに見過ごさず、その場その場でイエローカードを出し続けることがすごく大事だ。残念なことに女がイエローカードを出すよりも男が男にイエローカードを出すほうが効果がある。だから、男性にも傍観者にならないでほしい。沈黙は同意、笑いは共犯なのだから。
能力というのはポジションが育てるところがある。女性にリーダーシップがないとしたらリーダーシップを発揮する場が与えられてないだけ。でも、最近は中高大でサークルや部活のリーダーをやって、リーダーシップを持った女性はいっぱいいる。森さんも、一時後任に名前が上がった川淵(三郎)さんも、人脈と金脈がある調整型のリーダーだ。その人脈も金脈も一定のポジションにいたから蓄積できたもので、同じようなポジションに女性がいなかったというだけの話だ。
でも、今回の後任人事で、私は嫌な予想をしてしまった。危機に陥った組織は、「困ったときの女頼み」で女を使うことがある。特にこういう性差別発言の後は、女は一応クリーンに見えるから。女性をリーダーに立てて幕引きさせて、一番嫌な役をさせる。一番嫌な役というのはオリンピックの廃止も含めて決断しなければならないという役回りだ。
コロナ禍のもとでの強行開催か、それとも廃止か、こんなにかじ取りの難しい時期に、この困難なポジションに女性をわざわざ人身御供みたいに立たせて、「やっぱり(できない)」とやられたら、汚いなと思う。女性をこのチャンスにというのは、私は賛成しかねる。
最後の話にはぎくりとさせられる。インタヴューは橋本聖子氏が森の後任に決まる前に行われたものだが、後任決定後、記者から感想を求められたアベ前首相が「火中の栗を拾ってもらうことになった」と述べたことは象徴的だ。火をつけるのは得意だが栗は拾わない、それどころか逃げ足が速いというのがこの男だが、しかし、これは特定の男の話ではないかもしれない。自嘲することがないようにありたいものだが……。
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